日記

思議と不可思議

おはようございます。副住です。
昨日は、所要で朝のご法事を勤めた後、鎌倉まで行ってきました。
東松山ICから圏央道を通り、新湘南バイパス経由で、茅ヶ崎までいきました。
何と、東松山ICから茅ヶ崎まで1時間で行きました。凄い。
茅ヶ崎から鎌倉までは20キロ。混んでたので、全体で2時間弱でした。
便利になりましたね。茅ヶ崎なんて、これまでは遠すぎて行こうなどとも思わな
かったですが、圏央道を通れば、1時間でついてしまうのです。
東松山から池袋にいくような感覚です。近い!
さてさて、続きます。
因みに、「死んだらどうなるのだろう・・・?」という問いと、「死なないとわか
らない」という答えは、人間界での論理に基づく、問いと答えです。
「死んだらどうなるのだろう?」との問と答えは、人間界の論理では、説明がつき
ません。証明もできません。
だって死んだ後のことは不可思議(人間の論理を超えているもの)なのだから。
科学的に説明ができないのです。しかし、不可思議という世界を受け入れる方に
は、死んだ後の世界も不可思議と受け取れるはずです。
私達の論理を超えた世界を受け入れているからです。
だからこそ生前に、不可思議という世界と出遇う、受け入れることが何より大切で
す。この出遇いは頭で考えていても出遇えません。
だって、私達の論理を超えているのですから。頭で考えても無理なのです。
では、どうしたら出遇えるのか。どうしたら受け入れられるのか?
それは感性です。感じる以外にありません。経験する以外にないのです。
現代人は、頭でっかち(科学に汚染されている)なので、感性が衰えているので
す。もっと感性を育む必要があります。私達人間界の世界を超える世界を感じるの
です。昔の方は、現代人のように科学的な視点をもっていなかったと思います。
その代わり、感性は鋭かったはずでしょう。現代人のように不可思議ということを
受け入れ辛い環境ではなかったと想像します。
私達は、昔の人より現代の人の方が優れていると思っている方もおられるでしょう
が、逆かもしれません。(科学的な考え方や知識の量などを比べれば、現代人が優
れているかもしれませんが) むしろ(感性というか、人間界を超えた世界を受け
入れるあり方というかを比べれば)昔の方の方が優れている可能性があります。
現代人は昔の人よりも目線が狭くなっている恐れさえあり得るのです。