日記

芸術と宗教

おはようございます。副住です。
昨日は、熊谷のNさんが数年ぶりにご来寺くださいました。数時間お話させて
いただき、勉強させていただきました。楽しいひと時でしたね。
また、いらしてください。
その後、夜にはJC関係で坂戸へ。帰りも遅くなりました。
おかげで、寝坊。(JCメンバーに告ぐ)だから言ったんだ!早く帰ろう!!って。
今日は築地なので、早く出かけねばなりません。ああ、時間がない。
西照寺MS委員の皆様、ありがとうございます。是非、よろしくお願いします。
さてさて、続き。
人間界の世界を超える世界との出遇い。これは芸術などの分野でも顕著に言われる
ことです。例えば、音楽家の坂本龍一さんが作曲した「戦場のピアニスト」。
あれは空から音符が落ちてきて、坂本さんは、それを捕まえてただ譜面に載せてあ
げるだけだったと話されたそうです。私が好きなマイケル・ジャクソン。
あの方も空から音楽が降ってくる、と話しています。また、ある著名な仏師の方
は、原木にすでに仏様がいらっしゃるので、私はただその仏様を取り出すだけと話
されます。またとある刀を磨く方は、手が勝手に動く瞬間がある。
と話されました。
つまり、人間界を超える世界と出遇い、その世界から私達に向けられた「はたら
き」を受け取ることで、優れた芸術は生まれるのでしょう。
上記の方々に共通することは、人間界を超えた世界からの「はたらき」が、その方
を突き動かし(受け取る人間からすると、手が勝手に動く、とか、音符を捕まえる
だけなどのように)、あらゆる芸術を生み出す(生み出すのは「私」ではなく、人
間界を超えた世界があらゆる芸術を生み出す)ということです。
これが宗教の世界だと、例えば浄土真宗の場合、阿弥陀仏が私の口をついて念仏と
なってでてくださる。そのような「他力」(阿弥陀仏の力)と言われる世界になる
のだと私は理解しています。芸術の世界も宗教の世界も、それが人間界を超える世
界との出遇いである以上、ある部分で共通しているのでしょう。
まさに不可思議という世界です。ただただ、その不可思議と出遇い、突き動かされ
る、任せる、委ねる。不可思議からの「はたらき」を受け入れる。
私を動かしてもらう。そのようなことが本物といわれるのかもしれません。まぁ、
当然といえば当然ですね。だって、人間界を超えた世界から生み出される「芸
術」、あるいは「救い」なのですから、人間を超えているのです。
私たちからすれば、完全になり得るわけです。
おそらく人間には誰にでも、その世界と出遇える機会が与えられているはずなのだ
と思います。ただ、受け取るのが難しい。「たまたま」という他ないのです。
だからこそ、それを感じ取る(受け入れる)感性が非常に大切だと思うのです。
そこには、知識は邪魔でしかないのかもしれません。