日記

嬉しいコメント

おはようございます。副住です。
今日から僧侶研修会が築地本願寺で行われます。
私は、企画側なので、3日間つきっきりとなります。
う~ん。どうなることやら。
さて、17日に開催した 「西照寺こども祭り」
後日、このブログで「お礼」をアップさせていただきました。
すると、嬉しいコメントが届けられました。
因みに、このブログにコメントを入れていただくと、
私のアドレスまでコメントが届くようになっているのです。
なので、私以外はコメント見れません。
もちろん、私から他の方へと見ていただくことはありますが。
さてさて、18日のコメントには、たまたま「こども祭り」を知って、初参加してくださった
とのことです。若い時にお母堂様を亡くされ、こども祭り当日がご命日だったそうです。
因みに、西照寺にお墓があるわけではないようですが・・・そんなの関係ね~♬
昨日、刑務所に行ってきましたが、被収容者(一般的な言い方だと受刑者)の青年達は、
刑務所に入って、家族の大切さに気づくと話す方が多いです。
刑務所に入る前は、一人だった!と話すのです。刑務所で、一人ではないことに気づくということです。
特にお母さんの存在は大きいです。お母さんが何度も面会などに来てくれ、心配してくれることが
一人でなかった と気づかせる縁になるのでしょうね。
若い時にお母堂様を亡くされることは、とても大きな、大きすぎること。
受け止め切れるはずもなく、色々な行動にもでざるを得ないことでしょう。
でも、産んでくれてありがとう。と受け止められることは、お母堂様の無言の愛情を受け取った印。
お母さんというものは、どんなことがあったとしても、命を産む覚悟で出産をするのですから、
必ずや どうでもいい なんて思わないのです。
時に、そのような(どうでもいいと思ってしまう)お母さんがいたとしたら、その時は大きな病気に
そのように思わされているだけなのです。本心は、大事なこども。
何があっても、こどもの見方です。だからこそ、お母さんに恥じない、顔向けできない生き方を遂げては
ならないのです。しっかり生きねばならないのです。責任がありますよね。