日記

お寺を継ぐ・・・副住職が思わされたこと

おはようございます。副住です。
連載
10月20日のブログにおいて、【ある研修会の席で、ご質問をされたことがあるのです。
それは「私(質問者)は、あなた(私の事)が浄土真宗の教えをいただいて、どう変わった
のか?何が変わったのか?それが聞きたいのです」とのものでした。なるほど。とも思いま
したが、私はこの質問に応答するのに苦慮したのです。それは、私が教えをいただいていな
いから苦慮した・・・というものではなくて、「どう変わったのか?何が変わったのか?」
という部分にありました】と綴りました。
これまで連載で綴ってきましたが、私が浄土真宗の教えと出遇うストーリーは、その起因が
お寺を継ぐかどうか、これを判断するために、浄土真宗の教えが納得できるかできないか。
という部分から始まってました。だから殊更、人生や生き方などに悩んでいたり、救いを求
めて、とかそのような観点が、始めから無かったわけです。つまり、生き方とかに対して、
意識してこなかったわけなのです。意識してこなかったわけですから、何がどう変わったの
か?と聞かれても、結構答えが難しいのです。はじめから高度な問題意識をもって、浄土真
宗の教えと出遇ったならば、色々言えることもあると思うのですが、私はそうではなかった
のです。元来頭が悪いので、そもそも、人生などに対して、さほど考え問題意識をもってい
なかったわけなのです。しかし、お寺以外の方で、浄土真宗の教えに興味をいだき、話を聞
きにくるような方は、それなりの高度な問題意識をお持ちなのです。
教えを聞いて、その解決に役立つのか、それを望んでおられるのだろうと思います。
だからこそ、前述のようなご質問がだされるのだと推察するのです。
しかし私の場合、悩みがお寺を継ぎたいのか継ぎたくないのか、教えに納得できるかできな
いか!だったので、質問者の方の聞きたい内容と合致していない気がするのですね。
ですから、質問を頂戴したその時は、私が変わっただろうこととして「教えを心から納得で
きるようになりました」とか、「お寺を継いでもいいと思えるようになりました」などと、
自分の中では、頑張って話したのですが、ご質問者の方の聞きたい答えではなかったのだろ
うと思います。そんなことを考えながら、数年たって、この度の「連研の為の研究会」で
門徒推進員の方からの、あの発言だったわけです。
つまり、門徒推進員になる前となった後では「今までは、家の宗教だったのが、自分の宗教
となりました。また、他の方の意見などに流され辛くなったように思いますし、あまりTV
を見なくなりました」とのものです。
私も同感なのです。私の場合、中学校の時からそうですが、あまりTVを見ません。これは
今でもあまり変化がないです。また、色々な考え方がありますが、他の人の意見に流され
ることは少ないです。自分の意見をもっていますし、その意見も教えに照らし合わせての意
見なので、時には周り全てが私の意見に否定的でも、教えに照らし合わせてだされた意見で
あれば、そこには微塵の動揺もありません。
このことは、自分が変わった点として、何となくですが、言われて気づかされたことです。
他にも変わっただろうと思われる点が多々あることだと思うのです。しかし、自分で自覚が
ないぶん、人から言われて 確かにそうだ!と気づかされる点があるのだろうと思います。
このような発見をしっかりと受け止め、より的確な発信ができるようになれればと思って
います。
PS いやいや、今朝は重い知らせがありました。
ついに・・・はくるものなのです。
いつも思うことですが、本当に辛いものですね。