日記

お寺の本堂でご葬儀をしよう (本堂葬のすすめ)

こんにちは 副住です。
私のみ、山口県から帰宅してきました。
義母が浄土に往生され、お通夜とご葬儀が勤まりました。
あちら(妻の実家)では、ご自宅でお通夜(お仏壇の前で)を行い、翌日に
ご遺体をお寺に運び、ご葬儀を行うのですね。
(妻の実家のお寺さんだけかもしれませんが)
これは素晴らしいです。
実は妻の祖母が、私たちが結婚して1年ほどで、往生されました。
その際も、同じような感じだったのです。
お通夜は、ご自宅がいいですよね。
私が亡くなったら、自宅に少しおいてほしい。
また、ご葬儀はお寺の本堂で行われました。
これもとても素晴らしいことでした。
実はご葬儀というものは、葬儀会館などよりも、お寺の本堂で行われるべき儀式です。
ただし、これまでの流れとして、セレモニーホールなどは駅前にあったり、駐車場が広かったり、
と使い勝手が良く、今ではセレモニーホールで行われることが一般的となってしまいました。
しかし、葬儀という意味のある儀式は、宗教施設で。
特にお寺の本堂は、宗教的空間そのものですから、葬儀という儀式のど真ん中の場所となるのです。
宗教空間で葬儀を行うことで、意義深い葬儀が可能となるのです。
どうしても、セレモニーホールだと、宗教空間ではないので、葬儀の意義が薄れてしまうのです。
ただ、それは仕方がないことなのです。だってセレモニーホールは宗教施設ではないわけですから。
セレモニーホールでできることは、「お別れ」のお手伝いなのです。
ですから、そこに宗教はないわけです。
だから告別式(別れを告げる式)というのです。
葬儀というものは、それが仏式であれば、宗教の儀式なのです。
だからこそ宗教的空間が大切なわけなのです。
宗教空間で葬儀が勤まることで、来世のことが語り得るし、ただ「別れを告げる式」でなくなるわけです。
人が亡くなって、ただ「別れを告げる式」だけであるならば、宗教家がそこにいなくてもいいのです。
ぶっちゃけですが、家族や大切な方だけで行えばいいのです。
しかし、そうではない。
やはり、別れもあるのだけれども、それだけではない。
例えばですが、故人の冥福を祈ろうとする気持ちがある。
(そもそも故人の冥福なのですから、死んだ先の世界があることが前提なわけです)
来世のことを想うからこそ、宗教が必要なのです。
そこの部分は宗教でないと語り得ないわけです。
だからこそ、お寺の本堂で葬儀が勤まることが、素晴らしいと思うのです。
本当に偉大な義母を亡くしましたが、義母は最後に私達に大切なこと(本堂で葬儀を行う意味)を伝えてくれました。