日記

親鸞聖人のお手紙

おはようございます。副住です。
昨日の続きです。
私は、母などを経由し、これまであまり会ったこともない親族に連絡し
色々と聞きまわり、やがてある情報をキャッチします。
その情報こそ、ある方がそれを持っているかもしれない。というもの。
しかし、その方に私はこれまで会ったこともないのでした。
もちろん、連絡先なども全くわかりませんでした。
そこで、連絡先を教えてもらい、ちょっと連絡しづらかったのですが、
そこは伯母が手伝ってくれて、何とか連絡をとることが可能となったのです。
それが、ちょうど4年~5年前のことでした。
私の趣旨をご理解くださり、場所を鎌倉に指定され、お会いすることとなったのです。
それが4年ほど前のことでした。
初めてお会いした際、親鸞聖人のお手紙を見せていただけるのだろうと思っていたのですが、
残念ながら、そうはいきませんでした。
鎌倉を訪ね、再度趣旨をお伝えし、「親鸞聖人のお手紙に興味があるので、もしお持ちでしたら
拝見させてください」とご依頼すると、「残念ですが、今はもうないの」とのご返答でした。
どこかのお寺(浄土真宗らしい)に寄贈されたということでした。
ただし、写真をお持ちでしたので、それを見せていただきました。
しかし、現物が古いもの(もし、親鸞聖人のであれば、鎌倉時代のものですから、当然古い)なので
黒ずんでいるんですね。それを写真に写しても細かなところがわかりづらいのです。
現代は、筆跡鑑定などで真筆なのか、ある程度判明しますが、現物がないと・・・
との思いもありました。
私も30代までは、一応浄土真宗の教えの研究者(教義が専門)だったわけで、
親鸞聖人の文字の書きぶりや癖なども、ちょこっとわかります。
もちろん、親鸞聖人の真筆の複製の手紙や書物なども所有しているので、
それと見比べれば、ある程度の予測はできるのです。(素人ではないということ)
そのような意味で、私が写真を見ても、「う~ん。微妙」とも思えます。
綺麗な字なのです。親鸞聖人の字は、角ばっているというか、特徴があるのですが、
それよりも綺麗。ただ、似てる特徴も見受けられます。
また、親鸞聖人は晩年に沢山の書物を書いています。
しかし、関東時代の手紙であるとしたら、若かりし親鸞聖人の文字となるので
晩年の字とは、多少異なっていても不思議ではありません。
親鸞聖人の若かりし時代の真筆は、あまりないので、見比べるものがないのです。
ただこの手紙には付属として、蓮如さん(本願寺8世)なのか、親鸞聖人の毫であるとの証明書が
別紙に付けられてありました。
だからといって、真筆の可能性が高いといえないところが、難しいところなのですが。
ただし、お手紙の宛名には、佐竹〇衛門〇〇とありました。
見せてくださった方も、「これは親鸞のではないと思う」と話されていました。
この手紙に関しての口伝は伝えられていない模様でした。
私もやっぱりそうだよね。と内心思いながら、若干の落胆をしたのでした。
ある程度目的を果たせた私は満足し、その場を失礼することとしたのですが・・・