日記

学年末 通信簿 通知表

おはようございます。副住です。
さて、そろそろ学校も終了式を迎えるのですね。
学生の頃は、休みが定期的にありますが、
大人になると、そんなものはありません。
うーん。春休みと聞くと、羨ましい。
でも通知表が嫌ですよね。
私は小学生の頃は、特に4年生以降
成績はドンドン下がり続け、6年生の頃には
体育以外は全て最低評価でした。(三段階評価の最低)
そんな同級生はいませんでした。
ダントツの最下位。
私は勉強嫌いだったし、通知表を見ると「あー」とショックを
受けるけど、普段のテストとか、どうでもよかった。
宿題もやらないタイプ。
つまり突き抜けた「落ちこぼれ」タイプ。
もっとも、遊びは大好きだったので、遊んでばかり。
勉強とか宿題とか放り投げて、遊び続けていました。
時には、面倒臭いので学校に行ったふりして、休んで遊びにいってました。
(まれに学校から家に電話がかかり、発覚して怒られるのですが)
初めて会う同級生でも、皆が友達というお目出たい感覚をもっていたので
友達は多かったですね。(世間で言うところの悪い連中も、実はいい奴なんです)
(一時期、そんな人たちに誘われるようになりましたが、そっちにはいきませんでした)
結局、大学試験などで苦労することとなるのですが。
でも、だからこそ言える、世の中勉強だけではありません。
でも勉強はとても大事。ただし世界が拡がるような勉強が大事です。
やらされている勉強なんて、やめてしまえ!
(もっとも、これも大事ではあるけど、身にならない)
自分がやりたくなってする勉強こそ、とても意味があるのです。
勉強は嫌々やるものではなく、興味をもって行うものなのです。
そうなったら、もう勉強とは思わなくなります。
だから興味があるものから始めたらいいんです。
それが学校で習う科目じゃなくてもいいと思う。
興味があれば、それを追求していくうちに、
どうせ他の関係科目の勉強をしないといけなくなるんです。
私などは、家がお寺だったので、後継ぐかどうか迷った時、
初めて仏教とは、どんな教えだ?と興味がでました。
そこから仏教を学ぶのですが、漢文を読まないといけなくなって。
それで漢文の勉強。そしたら、今度は文法も理解しないと
正しく文章が読めないことがわかって、今度は古典の文法を。
そうかと思ったら、今度は歴史を知らないと、当時どのような
背景があって、仏教の各宗派ができてきたのか?とか知らないと
いけなくなって。そしたら、今度は当時の中国はどうだったのか?
となって、今では政治などの流れもチェックしてます。
さらには、文化財を任される今、今度は全く違う「鉄」や「刀剣の見方」
なども興味の範囲に入ってきました。
もっとも、お寺の経営ということも、5年ほど前から学んでます。
そうなってくると、もう一生勉強なわけです。
大学受験の頃、有名大学を志望する同級生が言ってました。
「勉強するほど、自分が馬鹿だってわかる」って。
つまり、勉強するほど興味が拡がって、今まで知らなかったことが
多かったということを知るのです。
だから自分は勉強できている!と思っていたけど、全然馬鹿だった!
と思うわけです。当然のことです。
自分は色々知っている!と思っている者ほど、世界が狭いんです。
どこまで自分の興味を拡げられるか、これがカギ。
だからこそ、興味が一番大事です。
皆さんも、興味を一番大事にしてあげてください。