死後の世界?

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おはようございます。副住です。
こんな記事がありました。
ちょっと気になる表現もありますが、全体的に
そりゃそうだわな。と思う部分も大きくあります。
お時間あれば、読んでみられても興味深いかも。
死後の世界?
過去に『プルーフ・オブ・ヘブン』という書物を、このブログで
紹介しました(プルーフ・オブ・ヘブンで検索)が、それとも
通じる内容(臨死体験の内容)でした。
この記事の中では、「死んだら霊魂が別次元の意識世界に行く」
とありましたが、ここの捉え方が様々あるように思います。
理由は、我々の世界とは別次元の世界のことですから、
当然私達の世界で、そのことを語ることは無理なのです。
だから、死後のことはわからない。となるわけです。
当然、霊魂だって、私達の世界と次元が異なる意識世界だって、
私達の世界では語り得ないことなのです。
だって、私達の世界とは次元が異なる段階だから。
(もしかしたら、私達の世界と次の世界への移行段階に
臨死体験などがあるのかもしれないですね。)
当然、今後も科学的に証明できない(科学はこちらの世界の次
元だから)分野です。
その別次元の世界は、私達の使う「ことば」によっても表現など
ができない。当然ですね。
唯一、この世界の次元だけれど、あっちの世界のことに少しだけ
踏み込んでいるものが、宗教なのです。私はその意味で、宗教は
哲学とも違うと思っています。
この別次元の世界を、私達の世界で無理やり表現しようとすると
ある人は、それを霊魂と表現したり、ある人は、無我と表現する
場合もでてくるのだろうと思うわけです。
ただし、大事なことは霊魂と言っても、そこには固定的実体
がないということ。つまり、私達の世界のように、色や形が
ある世界ではないのです。
だからたぶん、「意識世界」と表現されているのでしょうね。
ただし、この意識世界も私達の考える意識世界とは次元が異なる
のです。もっと、大きな素晴らしい意識世界と表現してもいいの
でしょう。より専門的に言えば、仏の智慧の世界でしょうか。
一番興味深いことは、臨死体験された方の共通概念として
その後、死が怖くなくなる・・・ということ。
死の世界は、それほど悪くないのかもしれない。と言われている
こと。
臨死体験された方は、死後の世界を「大いなる光」と表現されて
いること。
また、あの世は現世と隔絶されていないと思われるなど。
(隔絶されたら当然ダメでしょ。
だから、還相回向が味わい深いですね)
興味深い点が満載ですね。
 
 
 

日野誕生院

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日のブログの続きです。
京都の本山参拝の翌日は、親鸞聖人が誕生された
日野の地にある法界寺に行ってきました。

 
 
 
 
 
 
 
正確に言うと、法界寺の隣にある誕生の地に行ったのです。

親鸞聖人が生まれた時、当然ですが浄土真宗はまだありませんでした。
当然法界寺さんは、浄土真宗ではないわけです。
確か、真言宗(?だったと思います)のお寺さんです。
今では、その隣の地を、浄土真宗本願寺派が買収したのでしょう
ね。いつ買い取ったのかはわかりませんが、今は本願寺の
飛び地境内地となっているのです。そこに行ってきました。
飛び地境内地というのは、本願寺の所有なのですが、地続きでは
ないけれども境内地ということです。
因みに、西照寺も飛び地境内地があります。
それは西照寺別院(新東松山斎場)となります。
地続きではなく、離れているけれどもお寺の境内地として
認められているということです。
さて、日野の誕生地の話に戻ります。

 
 
 
 
 
 
 
今は枯れてしまったそうですが、この井戸の水が
親鸞聖人の産湯となったそうです。
井戸の隣には

 
 
 
 
 
 
 
親鸞聖人うぶゆ井戸と書かれてます。
さらに、私が井戸を撮っているその後ろ側には、

 
 
 
 
 
 
 
ここに親鸞聖人のへその緒が埋められているのだとか。
さらに、この場所から移動して階段を30段ほど上ると
お堂があります。本堂です。阿弥陀如来が真ん中。
阿弥陀如来を正面に見て、左側に
親鸞聖人のお父様である日野有範公の像が祀られていました。

 
 
 
 
 
 
 
日野誕生院は、京都市のはずれ、宇治市との境にあります。
私は京都に10年住んでいましたので、色々な場所に
行ってましたが、ここは、恥ずかしながら行ったことが
なかったのです。もちろん、知ってはいました。
今回の旅行で、貴重な場所にいけてよかったと思います。
本堂の雰囲気も素晴らしく、もう一度行きたい場所でした。
 
 

本山参拝

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こんばんは 副住です。
一昨日から京都へ、団体参拝でした。
早速、振り返ります。
今回の席は、前の方でした。

 
 
 
 
 
 
 
前から5列目くらい。
私たちは御影堂といって、親鸞聖人像が祀られている堂
の方。つまり、入口から入って左側の大きな堂の方でした。
右側の阿弥陀堂にも、参拝席がありました。
今回の法要では、法要の途中に、ご門主と前門主が交互に入れ替
わり、法要が続けられたので、両方のお堂が同時使用されたので
す。
その夜、今度は今回の法要に併せ、本願寺で特別展が開催されて
いました。夜のライトアップ。

 
 
 
 
 
 
 
順番待ちしている時に、入口の大玄関を撮影したショット。
今回特別公開されたのは、飛雲閣と書院です。
ライトアップされたのは、すべて国宝。
唐門と書院と飛雲閣です。
この3か所がライトアップされ、開放されてました。
初めての試みだそうです。
唐門は、龍谷大学生時代に、何度も見てるので撮影するの
忘れてしまいました。
こちらが飛雲閣です。

 
 
 
 
 
 
 
京都の三閣(金閣・銀閣・飛雲閣)として有名です。
通常は非公開で、予約しないと見れません。
今回は特別な法要の為、公開されてます。
趣がありました。
私が一番感動したのは、書院です。
残念ながら、撮影禁止だったので、撮したかったけど
無理でした。
書院は、国宝の鴻の間があって有名です。
鴻の間
夜のライトアップは初めての試みだそうで、
とても雰囲気があって、凄いの一言。
大名気分が味わえました。
今後、このような特別公開があってほしいです。
是非もう一度行きたい!と思うことの少ない私が
もう一度、是非見たい!と思うほど。
夜にボンモリでライトアップされた見事な鴻の間は
溜息がでるほど素晴らしいものでした。
鴻の間というのは、豊臣秀吉が小さかった自分を大きく
見えるよう細工された部屋なのです。
部屋の襖などは、すべて下地が金で鳥なども描かれています。
時代を経て、金色も味のある感じで、ライトアップでさらに際
立っていました。
鴻の間からは、戸を開くと能舞台が見えるのです。
豊臣秀吉の力の凄さを知りました。
明日は、二日目の報告を致します。
 

京都旅行

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おはようございます。副住です。
京都へのご参拝旅行が始まりました。
今は新幹線。
早くからの出発で大変でしたが、何とか電車に間に合いました。
 

母の日に花束を 

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こんばんは 副住です。
今日は比企青年会議所の例会
「母の日に花束を」を行いました。
青少年事業です。
今日は母の日だったので、母の日をつかって
大切なご家族に感謝の気持ちの意味で、
花束とお手紙を渡すという事業でした。
お手紙はサプライズだったわけです。
おおよそお母さんがお迎えに来てくださったので、
お母さんにお手紙を読んで、花束を渡しました。
多くのお母さんは、サプライズに涙しておられました。
もちろん、恥ずかしくて、ぶっきら棒に手紙を読んだお子さんも
おられましたが、おおよそ、良い時間がもてたのではないかと
思いました。
午前中に例会を終え、私はこどもの発表会に駆けつけました。
何とか、我が子の出番に間に合い、ホッと一安心。
夜は、私の母(家族も)も連れて、食事をしに出かけました。
明日から、西照寺のご門徒と京都(ご本山)に参拝旅行です。
昨年6月に、西本願寺のご門主(住職)さまが継職されたことに
伴い、約8か月をかけて法要を行っているのです。
全国の浄土真宗本願寺派のお寺が、ご門徒と共に法要に参列して
いるのです。明日は埼玉にある浄土真宗本願寺派の複数のお寺が
各ご門徒さんと一緒になって団体で本山に向かい、法要に参加
するのです。
昨年10月から始まり、今月末で終える(約8か月)法要で、
延べ数十万人のお参りがあるはずです。100万人までは
いかないと思うのですが。
因みに、お寺には留守番がちゃんといるので、大丈夫です。
 

西照寺 法話会

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おはようございます。副住です。
今日は天気が悪いのですね。
雨模様のようです。現在降ってはいませんが、
どんよりした雲が拡がっています。
大雨となる可能性もあるのかな!?
さて、今日は第二土曜日です。
西照寺法話会の日。
ご法事を終えたら、別院に向かい
法話会をします。
13時半から読経
14時からご法話となります。
長いこと正信偈のお話しをさせていただいてきました。
そろそろ正信偈も終わりになります。
 
 

そこにいてくれるだけで

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日は築地本願寺への出勤でした。
結構、色々と仕事を進めたので、疲れました。
その為、ブログの更新もストップしてしまいましたね。
そういえば、一昨日、自宅庭の囲い木が伸びたので、
刈り込んでいました。数日かけてたのですが。
一昨日、ある程度やって疲れたので止めようと思ったら
坂戸市在住のHさんが、助っ人に・・・
正直、とても助かりました。
一人だったら止めていましたが、ご門徒さんが
手伝ってくださる!というのだから、こちらとしても
やらないわけにはいかない。
お陰で、一人だったら辿り着けない場所まで
無事に終えることができました。
何だか、一人だとダメだけど、そこにいてくれる
だけで、一歩前に進めることってあるもんだな。
と思わされた出来事でした。
Hさんありがとう。

意識の共有 会議

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日は天気が悪いですね。
昨日と変わって気温も低いし。
ちょっと寒さすら感じます。
でも、この季節はこんなもんかもしれません。
風邪をひかないようにしないといけませんね。
さて、今日は久しぶりに西照寺会議があります。
会議は重要ですね。
私は常々思っていましたが、日本人は会議が好き。
築地本願寺でも、JCでも、他の私が関わる機関でも
会議・会議・会議・・・
30代は会議について学ばせてもらった印象さえもちます。
でも最近思うことは、会議にも質があるということ。
質によって、どうでもいいと思える会議と、すっごい重要と
思う会議と違いがでてきてしまうのです。
そこにはどんな違いがあるのかと言えば、重要と思える会議は
会議のメンバーが、高度な意識の共有ができていて、それを土台
に中身が話し合われる会議。正直とっても頭を使うし、疲れる会
議。
もちろん、会議で話し合われる中身(議案提出者)のプレゼンが
しっかりしていることが前提です。
こんな会議は、我が事として会議に臨めるし、我が事として
意見をだせる。だから会議が楽しい。
でも、意識の共有ができてないような会議、あるいは
プレゼンもよくわからないような会議だと
どんな意見を出せばいいのかわからないし、
そもそも、この会議は何のための会議で
どこを目的地に定めているのかも判らないので、
どうして私がこの会議に参加しているのだろう?
とさえ思ってしまうものです。
つまり我が事として会議に臨めないのですね。
だから、会議しても楽しくないし、悪戯に時間が
過ぎていく。会議を行ったという事実が残るだけ。
やはり会議は、意味深い会議であったほしいですね。
西照寺会議は、まだ意識の共有レベルです。
(もっとも、会議で意識の共有しなくてもいいのです)
(朝礼とかでもできると思いますが、西照寺は朝礼ありません)
ここら辺なんですよ。
でもお寺の中では、しっかりしていこう!という意識は感じま
す。
因みに、お寺は家族中心で日々の管理などやっているので、
意識の共有や会議など一般企業と比べると難しいと思えます。
やはり妥協ができてしまうのです。
そのような意味でも、門徒さんを巻き込まないといけないので
す。
 

様子をみながら

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 副住です。
今日は神奈川に行ってきました。
おじ様に、文化財鑑賞会の報告です。
毎回、圏央道を通り伺うのですが、
圏央道が無かったら・・・と思うと恐ろしいです。
今年に入ってからは、神奈川に頻繁に行くように
なりました。
多い月だと4回~5回ほど。
少なくても月に2回行ってます。
その他、お手紙のやり取りなども。
文化財鑑賞会を行うにあたり、諸々情報交換をさせていただいて
ます。
正直、とても勉強になることばかりなので、何度も通ってこれま
した。
まだまだ、色々と伺いたいこともあるし、発見もあると思います
が、取り敢えず、おおよその伝授をしてもらったように思ってま
す。
先方は、ご高齢なので気をつかわねばなりません。
あまり押しかけると、疲れさせてしまうし・・・
今日は、おじ様疲れていたように感じました。
(私の勘違いかもしれないけど)
今後は、それとなく様子を考えながら、伺うこととします。

比企JC 家族感謝会

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日は比企JCの親睦会(JC家族への感謝会)が、
ときがわ町のバーベキュー場でありました。
JC活動は、とても多いし、家族との時間が犠牲になり
がちです。家族の方あってのJC活動なので、
家族への感謝会が企画されたのです。
私の家でもそうですが、JCと聞くと家族はまたか!
と思っているはずです。
稀に、重要な日などと重なったりすれば、
JCと家族どっちが大事なの?的な雰囲気にも
なります。私の家族は理解力がある方だと思うのですが
中には、きっとご家族から不評をかっているメンバーも
いるはず。だからこその、家族感謝会なのでしょう。
昨日は私も顔をだせればと思いましたが、お寺の
諸用事が終わったのが、16時すぎ。
17時頃到着しても、すでに片付け最中だったら
どんな雰囲気になるのか!?
そんなことを考えたら、流石に行けませんでした(笑)