日記

お坊さんという人生①

おはようございます。副住です。
いつでも思いますが、ご門徒の急な臨終の報を聞くと
気分が落ち込みます。もちろん、ご遺族はもっと辛い気持ち
でしょうが、私も人間として残念な気持ちとなるのです。
やっぱり住職って、そういう知らせを多々受けることとなるので
大変。精神力がいります。人の喜びに寄り添うことは、嬉しいし
あまり疲れなさそうですが、悲しみに寄り添うことは、覚悟が
いります。正直言えば、逃げ出したい。もちろん、いつでも
誰にでも平等に寄り添えてきたわけではありません。事情や状況
にも正直多分に左右されました。これからもそうでしょう。
でも、そこを見つめていくことこそが、宗教者に与えられた使命
のような気がしてます。たぶん、他の誰もがそこを見つめていく
為の論理的理由を持ちえないだろうから。(もちろん、感情的に
寄り添うべき!と思われる方はおられると思います)
仏教は、ある意味、その部分が論理化されていると思います。
(つまり、人の悲しみは自分の悲しみでもあるということが、理
論化されているということ)
だから、人の悲しみに寄り添うことは、大事な役目となり得るの
です。私も、人間ですから逃げ出したい。でも真正面に立つこと
を続けてきたつもり。仏教者として。何度も経験しましたが、
今でも慣れません。どうしてなんでしょう!?
普通、ある程度経験したら、慣れてくると思うのだけど、この件
ばかりは全く慣れないのです。いつでもかなり重い。