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孤独死を「心配」する問題 

おはようございます。副住です。
最近、孤独死に関するニュースが話題となってますね。
私は頻繁に、ネットニュースをチェックするのですが、
最近、私が気になる話題が、「僧衣での運転について」の
ニュースと、「孤独死」に関するニュースです。
「僧衣での運転について」の話題は、後日にしましょう。
今日は「孤独死」についての記事と、それに関して思うことを
綴りたいと思います。
まずは、こちらの記事です。
葬儀現場の悲痛
そして、こちらも
自分の孤独死「心配」
両記事ともに、最近アップされたニュースです。
最初の記事が、週刊女性PRIME。そして後のが朝日新聞デジタル
の記事。
週刊女性PRIMEは朝日系列でもなさそうなので、両記事は
別の母体から出されているという事実が重要。
「孤独死」に関して、何か大きな情報がだされたのかもしれませ
ん。そう考えると、朝日新聞の世論調査が影響したのかもしれま
ないとも受け取れます。
さてさて、ここではそのような裏掘りが大事なのではなくて、
記事の内容にフォーカスしてみたいと思います。
私は以前、宗派の研究所に属していた時、首都圏で葬儀の調査研
究を任されておりました。
当時は首都圏での直葬が話題となっていた時期であり、
宗派としても、今後葬儀がどうなっていくのか?と気になった
のでしょう。特に首都圏の事情というのは、いずれ全国に派生
していくこととなるので、重要な位置づけだったわけです。
その際、私も色々な葬儀社さんから聞き取り調査をしたのですが
、「直葬」の背景には「孤独死」という現代事情もあることを
知ったのです。さらにそこから派生した「遺骨問題」もありまし
た。
「直葬」とは、葬送(死から埋葬に至るまでの一連の流れ)の
過程の中に、宗教儀礼などを行わないで、直接遺体を火葬して
しまうことを言います。(定義は葬儀社さんによって違い、はっ
きりしていませんが、おおよそ、そんな理解で良いと思います)
直葬は昔からあったようで、特に身寄りのいない自死者の方が
おられた際に行われていたとのことです。
警察が検死し、その後、ご遺体の引受人がおられない時に、
ひっそりと直葬が行われていたのです。
それが現代、葬儀にお金をかけたくないというニーズが高まり
極端な直葬が広まっていってしまったというのです。
ただし、気を付けないといけないことは、「お金がかからない」
=「直葬」とのイメージが先行してしまい、直葬の内容をしらな
いで、「直葬でお願いします」と依頼してくる方が多いという
事実でした。喪主さんは、「直葬」を、親族だけで葬儀を行う
「家族葬」と勘違いしているとのことです。
しかし、「直葬」専門業者さんは、「直葬」だけで利益がでる
仕組みを確立しているので、「直葬でお願いしたいのですが」と
依頼されると、喪主さんに「葬儀は行わないで、直接火葬しま
すが、それでいいのですね!?」と確認することなく、
進めてしまうそうです。それで、喪主さんは、「直葬」の実態を
勘違いしたまま、ご遺体が火葬され、後で「こんなはずでは
なかった」と後悔されることが多いと、当時葬儀社さんから
聞きました。今は、だいぶ直葬の認知もすすんだのでしょう。
最近当時ほど、直葬が話題にのぼることも少なくなって
きたように思います。
もっとも、直葬はある程度の頻度で今後も続くと思います。
しかし、落ち着きをみせるでしょう。
さて、ご遺族がおられる場合の直葬とは別に、ご遺族が
おられない場合が問題なのです。孤独死の直葬。
当時、その事実を聞かされました。
つまり、少子高齢化の現代日本では、そもそも子どもが
おられない世帯の方々が多いという現実です。
現在は核家族。昔のように土地に居続け形成されている地域社会
とは違います。親族も住んでいる場所はバラバラ。
また、親族とも疎遠な家は当然のように多くあります。
ご法事のあり方をみていてもそうです。
親族を呼ばずに、2~3人でご法事を勤められる施主さんは
もはや普通に近づいています。(もっとも回忌の年数によって
も異なりますが)
そのような状況ですから、子どもがおられない家庭で、どなたか
が亡くなる。すると自治体は親族を探して、以後の手続きなどを
任せようとする。しかし、それが上手くいかない(引き受けな
い)ケースが頻発するという現状が現代なのです。
そこには、疎遠だったり、関係論だったり、人間としての薄情な
部分であったり、様々考えられると思います。それは誰も責める
ことはできません。仕方がないことなのです。
問題は、そのような現状があるという事実です。
現代社会は、あまりに個人を優先しすぎたせいで、自己責任論が
強い風土です。ですから当然、自分の死後のことについても自己
責任論として考えていかないといけないこととなってしまってい
ます。つまり誰にも頼れない。
しかし、ある意味矛盾してしまっているのです。
自分が死んでしまっているのに、自分の死後のこと(連絡や手続
き、火葬・埋葬の実務)をどうやって考えればいいのでしょう
か?無理です。
当時から、私はこの問題について、いずれ大きな問題となるだろ
うなぁと考えていました。ようやく、そんな実態が朝日新聞の
世論調査で数値として表れてきましたね。
おそらく、高齢世代がようやくそのことを意識し始めてきた
ということでしょう。
私は、この件について昔から考えていたので、ある案をもって
いるのです。それを数年前に行おうとしていたのですが、
時期尚早だったと思っています。途中で無理だろう!となりまし
た。しかし、状況がそれを許さないほど差し迫ったならば、
もしかしたら、事態は変わるかもしれません。
今年から、実際に私の案(皆で支え合いながら、孤独死を乗り越
えていくシステム)を、もう一度実現できるか呼びかけてみよう
かと思います。全てはやり方なんです。
無理なことなんか、ないのです。ただ、出来ない。無理。と思う
ことで、先の可能性を潰してしまいます。出来なくしているのは
自分なんです。
問題なんて乗り越える為にあるものだと思います。
皆で先の世界を築き上げていきたいと思うのです。
 
 
 
 
 
 

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