日記

充実感を得るには

おはようございます。副住です。
2月8日過ぎまでは、土日以外は、ほぼ外勤などが
入っているので、忙しなく感じますが、
業務的に追い込まれるようなものはありません。
なので、今は移動が多いのですが、さほど心が疲れるような
ことはありません。ただし、充実感は低いですね。
やっぱり大変な状況の方が、充実感は上がりますね。
でも、その分、疲弊度が半端ないので、嫌ですが。
充実感っていうのは、心で感じ取る満足感なのでしょうか。
充実感を一回知ってしまうと、もう一度求めたくなるのです。
まるで麻薬の様に。麻薬やったことないので、わかりませんが。
充実感があると、疲れていても、気持ち的に満足感が高いので
頑張れるし、人生が楽しくなるのだと思います。
また、よく頑張った!と自分で自分のことを納得してあげられる
ので、そこがとても良いのだろうと思います。
自分で自分のことを受け入れてあげることができないと、結構大
変で、疲れやすいと思います。
仏教(浄土真宗)は、ある意味で自分を受け入れてあげる教えな
ので、その意味で、私は浄土真宗とであって本当に良かったな。
と思います。自分で自分を認められないと、それは苦しいと
思う。充実感を得るというのは、ある意味では、自分に納得
している状態だと思うから、自分のことを受け入れてあげること
から始まるのかもしれないと思います。
充実感=レベルの高い自己肯定、自己満足感ともいえるかも。
なので、充実感を得るには、まずは自分を受け入れてあげること
から始めてみるのもいいかもしれませんね。
自分を受け入れてあげるには、自分で自分のことを評価してあげ
られるようにすることが近道かも。
例えば、私の例で言えば、大嫌いな勉強を頑張って、自分なりに
勉強したぞ!と高いレベルで納得した。という過去があるので、
それ以降、自分を受け入れることができました。
自分が嫌いなものや、苦手なものを克服した時、自分のことを
評価してあげられる。だから大変なんですけどね。
頑張るって、そういうことだと思います。
好きなことを邁進していけば、自分の中では「頑張った!」と
言わないと思います。むしろ、「楽しんだ!」と思うのかも。
「頑張った」んだけど、「楽しんだ」ととらえてしまう。
表現の仕方が異なるのだと思います。
「頑張る!」というのは、努力が必要なので、どこかしらに
苦労がある。その難所を通り越すことで、自分を評価して
あげられる。ここに自分を受け入れてあげる素地がでてくるの
だと思います。自己肯定感。
一方で、「楽しむ!」という道は、自分が興味ある道なので、
ドンドン突っ走る。例え難所があっても、難所だと思わないか
ら、「努力」と思わない。むしろ「楽しく」感じてしまう。
ドンドン道を突き進めば、いずれ、その道の猛者となるので、周
りから「凄い」と評価される。自分では凄いと思わないけど、周
りからチヤホヤされてくると、自信に繋がる。自己肯定感が持て
る。
努力する道も、楽しむ道も、結局同じ自己肯定感に繋がる。
自己肯定感が持てれば、そこが充実感へと繋がっていく。
そう思います。
私は努力型だったので、苦難を乗り越えてきましたが、
「楽しい」ことを突き進む道を歩んでいる人を羨ましく
思います。私は「楽しい」が見つけられなかったタイプだから。
だから努力の道だったのだと思います。
「楽しい」道を進める人は、楽しいことを見つけられた時点で
羨ましいと思います。ただ、この場合、挫折をした時に脆そうだ
けど。私は挫折しまくりなので、ある意味強い。雑草ですね。
まぁつまりは、同じ道に辿りつくのだと思うのだけど、自己肯定
感という、自分を認めてあげられれば、充実感を得ることにかな
り近づけると思います。
自分を認めてあげるには、「努力」「楽しむ」どっちの道でも、
その道に没頭する、邁進するという作業は避けて通れないと思い
ます。
自分で自分を認めてあげる、評価してあげられるというのは、あ
る種簡単なようですが、それが一番難しいのかも。
だって自分だから誤魔化しがきかない。嘘が通じないのだから。
ライバルは自分ですね。
さてさて、私が猛烈な充実感をもった時のことを綴ってきましょ
う。それは、論文を書いた時を思い出すのです。
論文を書く時は、とても疲弊します。
私の場合、論文を執筆した時、3か月以上は
かかりました。(毎日数時間それだけやってるんですよ)
論文集として本に載る場合、執筆者の人数や本の状況で
ページ数が割り当てられます。
私の時は本論で15000字程。
原稿用紙(400字)にすれば、38枚程度。
これとは別に、補注をつけますが
私の場合、補注を充実させてしまい8000字程。
原稿用紙だと20枚程。
合計23000字だから、原稿用紙60枚弱を書いたものが
本格的な論文でした。
大学の卒業論文は原稿用紙50枚以内だったと記憶してます
から、それよりも少し多い位ですね。
しかし、当然内容は全然違います。
大学の卒論と、一応研究者としての論文は、内容を比較すべき
ものではありません。(笑)
だから、論文執筆の3か月間は、本当に大変。
大袈裟に言えば、命が短くなったんじゃないか!と
思えるほどの負担なのです。
論文を書いている時は、自分の言いたいことが、過去の研究者の
意見や、経典に証明されていると論建てできた時の興奮や
新たな発見もあって喜びがあります。
一方で、新たな問題や、違う分野にも視点をあてていかないと
独りよがりの、ただの自分の都合の良い主張となってしまう恐れ
もあると思い、これまで勉強してこなかった分野まで気になりだ
してきます。論文は一度発表したら、その論文は書き直せない
し、読者にその論文で自分のレベルが判断されてしまうので。
そう考えると、どこまで広く深く内容やポイントを押さえている
のか?が勝負となってくるのです。
だから、論文書いている時ほど、自分を追い込んでいる時は
ないのです。故に苦しい。
論文が出来上がって、本として校正されている段階でも最後の
最後まで悪あがきをします。校正も3回か4回ほどありました。
やっと最終校を提出した時、完全に燃え尽きます。
燃え尽きたと同時に、その分の充実感を感じます。
もちろん、自分でも成長がわかるのです。
ただし、疲弊度も半端ない。
私はもともとが怠けたいタイプなので、論文執筆の際の
疲弊度が、論文執筆の充実感や成長実感よりも勝ってしまった
のでしょう。以来、論文を書こう!とも思わず、研究から離れて
しまいました。研究者として負けたのです。もう離れてしまった
ので、研究者でもなくなりました。
だから自分でも勉強嫌いと自認しているのです。
しかし、今になって、そろそろあの頃の充実感が欲しいなと
思い始めています。疲弊度が大きかったけど、あの頃の充実感を
、今更ながら求めているのです。疲弊度と同程度、いやそれ以上
に頑張った時の充実感は、私を離してくれません。
充実感って怖いな。それほどの満足感なのです。
 
 
 
 
 
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です