日記

ちょっとした変化

おはようございます。住職です。

昨日は、西照寺秋季彼岸会法要が勤まりました。

西照寺の彼岸会法要は11時からと、13時半からの2座勤まります。

天気も朝方こそ小雨でしたが、9時位には曇りに。

そして、法要の時間帯には晴れていました。

お墓参りにも、多くの皆様が来られていました。

さて、今日は平日なのですが、ご法事が勤まります。

近年は、平日のご法事も普通にあるようになりました。

私が小さかった頃、つまり30年程前だと、平日にご法事

というのは、まず無かったことなのです。でも近年は普通に感じます。

それだけ、状況は変化しているという証左です。

つまり、昔のご法事は、親族も呼ぶことが普通だったし、大人数にもなるし、

さらに、働いている方々が多かったことより、土曜・日曜祝日がほとんどだったと思われます。

昔は、土曜日は休みではなかったし、学校は半日でしたが、

土曜日にご法事が勤まっていたように記憶しています。

日曜祝日は必ず多くのご法事が勤まっていました。

それが、10年ほど前くらいからか、ポツポツと平日のご法事を

希望される方がでてきました。今では平日のご法事も普通にあります。

もちろん、割合的には少ないですよ。今でも土日祝日が圧倒的に多いことは事実です。

しかし現在は、コンスタントに平日もご法事を希望される方がおられる状況になったという点が、

昔とは違うのです。例外的なことは昔もあったのかもしれないすが、

今はもはや例外ではない!という意味で、平日にも

ご法事が普通に勤まる!という、私の印象なのです。

平日のご法事が増えた理由は、おそらく、ご法事に参列される

方が身内になった。つまり、親族まで呼ばない!という方が

増えてきたこと。さらに、施主さまはある程度の年齢になられており、

仕事などをリタイアされ、曜日に拘る必要性がなくなった。

そのような背景が関係しているのだろうと思われます。

これも、30年という年月による社会の変化だと思います。

もはや、30年前の常識は、今は通じない という良い証拠。

医療や科学分野であれば、日進月歩と言われるように、日々大きな変化があるようなので、

変化することに慣れてます。

大きな会社や業者さんも、その変化を敏感に受け取り、新たな商品開発などに結びつけます。

社会全体がとても変化しています。

極端に言えば、現代は、今日の常識は明日の非常識になってしまうことだって、あり得る時代なのです。

しかし、お寺という分野では、さほど大きな変化が見てとれないのです。

30年経ってもお墓参りはあるし、人が亡くなればご葬儀も勤まるし、ご法事だって勤まります。

もちろん墓じまいや直葬など、昔はなかった問題がでてきているので、

そこの部分では変化や危機感を持ってはいるのですが、

変化に慣れてこなかったお寺では、どのように変化に対応していったら良いのだろう?

と足踏みしている状況なのです。

ここがお寺の悪い部分。

諸行無常とか普段は言っているんだけど、変化したらどうしてよいのかわからない。対応きかない(笑)

これがお寺の現況かもしれません。

もちろん、だからこそ努力されてるお坊さんが増えてきていることも事実です。

特に若いお坊さんが。これは頼もしいことです。

ただし、お寺という分野は、聖徳太子の時代、つまり飛鳥時代からあるものです。法隆寺とか。

以来、ずっと日本の中で続いているものなのです。今でこそ

職種と言われるかもしれませんが。そうなると、近代の会社とは

全く歴史が違うのです。時に、創業200年とか300年とか言

われる老舗もありますが、お寺という業界は、そもそもレベルが

違うんです。それこそ法隆寺なんて創業という言葉で言えば1400年なんだし、

本願寺だってもう少しで800年なんです。

職種で存続している期間のレベルが他とは圧倒的に違うんです。

ということは、少なからずお寺という業界は古くは1400年潰れてこなかったわけなのです。

ずっと続いてきた。

もちろん、一つ一つの個別のお寺を考えれば、そんなことはないのですが、

業態として、潰れてこないで、1400年も続いてきた!という事実があるのです。

お寺は、なんかそんな歴史的な事実に、どこか安住している

ような側面もあるような気がしてます。

これだけ長い間続いてきているものだから、そう簡単には潰れないだろう!と。

ここは私もなんとなく思っているのです。

その理由は、真実を説く場所だからなんじゃないかな!?と

思っています。いつの時代でも、真実は変わらないわけです。

だから真実なんだし。それを「教え」という部分で持っているのがお寺なんです。

真実をもっていて、それを伝える場所だから

お寺は必要とされてきたのだろうと思うのです。

しかし、今は安定している時代です。別に真実を求めなくても

大丈夫そうな時代。今後はわかりませんが。

だからこそ、お寺が盛り上がらない。しかし、不安な世の中に

なってくれば、不安を解決する手だてとして、真実を求める方が

多くなるかもしれません。その時、核となるお寺は存在感を発揮するのでしょう。

今は、それまでの間のつなぎの期間。

だからこそ、「真実」を伝えるお寺の役目は残しつつも、真実を

求めに来る人が、さほど多くないので、違う部分で求められることに

対応していかないといけないわけです。そこに成功すれば、

未来の核となり得るお寺として、存在し続けられると思います。

私が目指しているものは、そこです。現在に対応したお寺づくり。

西照寺の跡取りになるんだよ!と父親に言われて、何となく

幼稚園の頃から、そうなんだぁ。とマインドコントロール(笑)みたいに、

導かれて、今に至っています。そうなると、私の使命は、

現在に通じるお寺づくりなわけです。