日記

ボランティア

こんにちは 住職です。

少し、更新が途絶えてしまいました。

実はこの間、ご門徒Hさんのお宅ではなく、

比企青年会議所で、被災地域のボランティアにも

参加してきました。

ご門徒Hさんへの支援も必要ですが、Hさんと連絡を

取り合って、必要な時に、必要な支えを求められている

ので、そちらは、Hさんのご判断に委ねることにしたのです。

そんな最中、公益社団法人である比企青年会議所のメンバー

間で、こんな時だからこそ、できる支援を我々がやらないか!?

との声が上がって、可能な人が頑張りすぎないでボランティアに

参加しよう!となったわけです。

私もご門徒Hさんのご自宅状況も知っているので、現場が大変で

あることを理解し、私のできる範囲でお手伝いさせていただいた

わけです。そんなわけで、ブログ更新を忘れて、そっちに気持ち

を向けていたわけです。失礼しました。

比企青年会議所では、現理事長も仕事場が被災をしてしまって

います。ですので、こんな時こそ、できる人ができる事をすれば

いいと思って、今、気持ちを一つに集めている状況にあるのです

。なかなか、自身が被災をしないと、その大変さに気づけない

ものだと思います。自分さえよければ!と思ってしまう人が

多いとも思います。それがいけないのではなくて、環境がそう

させているのだろうと、私は思っています。

もちろん、私だって体調が優れなかったり、余裕がなければ

ボランティアに行こうと思う気持ちにもなれないし、仕事が

忙しければ、それどころじゃない!と自分の思いがでて

きてしまうものです。本当に自分勝手。

しかし、いざ自分が当事者になったら、仕事どころではありませ

ん。そんな呑気な事いってられない!と思う事でしょう。

人間、立場によって自己中心的に考えてしまうわけで、それを

否定しようとも思いません。私も同じだから。それが浄土真宗

なのです。

しかし一方で、被災している人を見て、傍観するのは悲しいです

よね。もちろん、傍観もありだと思うのですが、私はどちらかと

言うと、ちょっとだけ私にもできることがあれば、お手伝いさせ

てもらおう!と思うだけなのです。正直言えば、面倒だな!と

思う気持ちだって人間だからありますよ。こんな災害起きなけれ

ば、普通に生活できてたのに!とか、こんな災害が起こらなけれ

ばボランティアする労力も不要だったのに!!!とも思います。

でも、実際災害が起こって、困っている人がいる。

それを、自分が大丈夫だったから!とか、近所なのに、あの家は

大変だな!と傍観する自分が嫌なだけです。

そんな自分よりも、傍観ではなく、大変な人がいるんだったら、

ちょっとだけ自分ができることはやりますよ!と、声をかけられ

る自分でいたいだけなのです。つまり、自己満足なだけ。

だらか、誰がやっている、誰がやらない!など、ボランティアは

そんな目線でみてはいけないと、私は思っています。

できる人、やれる人がやればよい。

ただし、私は困っている人に声がかけられるような人と、

今後の人生は関わっていきたい。そんな世界観を共有できる

人と仲間でいたい。そのような人とコミュニティーをつくってい

けたら、新しい時代がつくれるでしょう。私はこれから、そんな

事をしていきたい。それだけです。

ただ不思議なことですが、ボランティアをさせてもらって、

大した事できないし、無理もしないようにするんだけど、被災さ

れた方(全く知らない人)から、有難う!と感謝されたり、さも

知っていたかのような距離感で話ができるのは、どうしてなのだ

ろう?と思います。

被災はどうしようもないんだけど、何か恨みたいよね。

笑顔になんかなれないよ。

それを超越するものが、そこにはあるのです。