日記

不安 怖い どうしたら 宗教者

おはようございます。住職です。

これまで中々家族とゆっくり過ごせなかったので、今はとても穏やかに、ゆっくりと過ごせています。

もちろん、新型コロナは警戒してますよ。とても警戒して自分なりに考え、家族に呼びかけていますが、

だからといって、不安を感じたりはしていません。

自分なりに正しく警戒し、正しく怖れ、先のころはわからない!という楽観的な感じでいます。

ただし、先が見えないから、お金の心配とかはでてきますよね。

自営の経営者さんとかは、会社の維持とか社員の給与とか、かなり悩まれることでしょう。

でも、先が見えない状況で、考えすぎても答えなんかでません。刻々と状況は変化しています。

刻々と変化する状況にあわせて、最大限できることをやる! これだけです。

諸行無常なのですから、当然なんです。状況は変化する。それをただただ受け入れること。これが超大事。

もちろん、受け入れられないから困っているのですが。

要は、「なるようになる!」のです。これは命の問題も同じ。

私達は大事なものを失いたくないのです。例えば仕事とか、安定した生活とか、財産とか、家庭とか。

だから、先が見通せない状況でも、失わないように考えてしまうのです。先が見通せないので、より不安に

なっていきます。先が見通せないと、なぜか悪い方向に物事を考えてしまいがちですね。

そうなると、失う恐怖感で頭一杯になっちゃう。

その悪循環にハマってしまうと抜け出せなくなります。落ち着けなくなるし、冷静な判断ができなくなりま

す。そうなれば不思議なことに、さらに別の問題が起こってきたり、流れも悪くなるものです。

だから、落ち着いて。以下に、根本的なことを綴りますので落ち着いて読んでみてください。

先の事なんて誰もわからないんです。そんな事、考えるだけ無駄!

きっと僧侶の私だから言えることかもしれないので、綴ってみます。

そもそも論です。私は仏教を学んで、生きる土台のようなものができました。

落ち着いて、考えてみてください。

人間いつか死ぬんです。私も死ぬ(嫌だけど)。今日死ぬかもしれないし、先はわかりません。

ただいつ死んでもいいように覚悟して生きることが大事。

死ぬってことは、生きている世界とのお別れです。そう考えると、生きている時に、いくら大事だ!大事

だ!失わないように!失わないように!と思ったものでも、いずれ私は死んじゃうんだから、すべて無駄。

すべて失うんです。失うことが最初から決まっているんだから、失わないように考えるのは可笑しな事。

大事なのは、失わないように考えるのではなく、いつ死んでもいいような人生を歩むこと。

お金(財産)は大事。安定した生活も大事。自宅も大事。でも、結局は失うもの。

だから、仮にそれらを失うかもしれない状況となっても、焦ることない。

最初から失うことは決まっているの。失わないように考えていることが間違いなのです。

人生なんて野垂れ死に。

お金(財産)を失って死ぬよりも、自宅を失って死ぬよりも、会社を失って死ぬよりも、

生まれてきて良かった!と、楽しかった!と思って死ぬことの方が、私には重要です。

お金(財産)や自宅、会社を失っても、全然終わりなんかじゃないですよ。

そんな物失ったって究極の問題じゃない。もちろん、あるに越したことはないだろうけど。

そもそも最初から一時的に保有しているだけなんです。諸行無常なんだって。

命の土台がしっかりと整っていれば、強風(今回のような社会的な影響)が吹いても揺らがないの。

人生の土台ができていれば、生き様は揺るがない。おそらく、ここが宗教者の最大の強み。

たぶん、本物の宗教者は揺るがない生き様がある。揺るがない生き様があるかどうかは、話していれば

わかります。ただし宗教者は皆が本物かと言われると、そうでもないと思えるので、確認は必要かも。

今後、命の問題(死が隣り合わせ)が、身近になった時、多くの人が今以上に不安になることでしょう。

当たり前だよね。これまで生きていることが当たり前の世界だったんだから。死ぬことなんて非日常。

でも、ステージが変わってきている可能性があります。日常の中に、死を感じるステージになるのかも。

世界を見ていても、感染者が何万人と亡くなっています。

もしかしたら、日本だってより深刻化すれば、医療崩壊などがおこれば、感染が死と直結するようなイメー

ジになるのかもしれません。外出することが、死の危険を感じる機会になるかもしれません。

そうなれば、社会不安は増大し、暴動が起こらないとも限らない。

その時の不安は、先が見えない恐れです。でも考え方によっては、見えている先はあります。

それは私は必ずいつか死ぬ!ということ。そこが見えてる(覚悟)だけで、不安は解消されると思います。

本物の宗教者は死の先の世界をもっている。死と向き合っている。

死と隣り合わせであることを、知っている。だから、今更不安にはなりづらいの。

それでも、人間だから感情に影響されることはあります。大勢の人が亡くなれば、気持ちも疲弊するでしょ

う。身近な人が亡くなれば、涙もでますし弱気になることはあります。でも根本の土台は揺るがない。

死と隣り合わせな状況になったとしたら、本物の宗教者の出番となるのだろうと思います。