日記

「美」の師匠を訪ねて

おはようございます。住職です。

昨日、私は鎌倉の師匠のお宅を訪ねてきました。外出自粛となる前の2月以降、自粛をしていたので

約4か月ぶりでした。師匠もご高齢な為、「いつ何があるかわからないから」という事で、この状況下の

中、お邪魔を許してくださいました。

もちろん、私もこれまで自粛を続けており、最近も不要な外出はしてきませんでした。

さらに昨日は、師匠のお宅訪問のみ。あとは車移動。途中のPAなどへの寄り道もせず、直往復でした。

もちろん、師匠のお宅では、マスク着用。慎重に致しました。

久々でしたが、勉強になる時間でした。また、貴重な機会も頂戴し、大変美について深まりました。

今回は萩茶碗。「三輪休雪」(10代11代は人間国宝。今回は特に13代の作品について)を少し学びました。

それはそれは、現代の作者ですが、オリジナリティがある作風で、一つの「美」でした。

因みに、鎌倉の師匠は、私の「美」の師匠なのです。「美」から派生して人生観や歴史館、感性など

色々と派生していき、まさに「教養」が問われるのです。

「美」については奥深すぎます。そして確かに素晴らしいものです。

さらにまた、仏教とも繋がっているのです。

例えば、茶道なんかは、臨済禅の一休さんと通じることとなっていきました。

茶道の道具だって、それぞれ本物は、茶道の世界観を表す一部となっています。

例えば、千利休が大成された「侘び茶」の世界観。「侘び」という「日本的美」には、仏教が

内包されていると言ってもよいのだろうと私は思います。

むしろ、仏教が核になっていると私は思っているくらいです。

つまり、日本の美には、仏教がとてつもなく影響している。仏教という教えの世界観を

ある別の形にして、外側に表現したものこそ「日本的美」なのだろうと思うのです。

それは、日本の伝統という形で繋がってきました。例えば、茶道の他にも、書道、華道など

があります。これらもお寺と相性が良い。墨と筆で書く字には、美しさがありますよね。

さらに、そこから墨と筆で書く日本画が派生しました。水墨画や浮世絵などは筆を用い細かい線で描かれ

ます。西洋の油絵にはない線の細かさ。まさに、日本のオリジナル。

これらのように、日本文化の底流には仏教(あるいはお寺)が流れている。

仏教やお寺お影響を取り入れながら、それぞれの文化が枝分かれしていき、伝統文化となっていっているの

です。

そういえば、昔、イタリアのバチカン市国に行ったことがあります。

バチカン市国の中は、素晴しい「美」で覆われていました。ミケランジェロ、レオナルド・ダヴィンチ、ラ

ファエロなどなど、天井は素晴らしい絵画で描かれており、像もありました。

キリスト教や教会で神を描く目的から、やがてルネッサンスを経て、西洋画として枝分かれしたとのことで

す。ルネッサンスで、神を描かなくてもよくなって、教会以外でも絵を書くことが許されていったとのこと

でした。

今は一例しかあげませんでしたが、これらのように、思い返せば、宗教は文化を生み出す装置となっていた

。これらの文化は、各国の特徴を形成し、それぞれの国民のオリジナリティを形成する根幹となるべきもの

です。文化はそれぞれの土地での気候や歴史などを背負って形成されてきます。

ですから、その土地に生まれた人々は、自然とその文化の影響を生まれた時から受けているのです。

しかし、今の日本人は、悲しいかな文化に大きな興味を持っていません。可能性すらもあまり感じていない

のではないでしょうか。

私は最近、「美」を学びながら思ったことは、世界で活躍する人を出すためには、日本の文化をしっかりと

学び、その上で世界に飛び出る必要があることを理解しました。

世界ではオリジナリティを発揮しないとやっていけないのだと思います。オリジナリティといっても

自分勝手とは違います。現在の日本は、もしかしたらオリジナリティ(個性)を間違って理解してしまって

るような気がします。何の拠所も持たない自分の個性をオリジナリティと勘違いしている。

そんなものはオリジナリティでも何でもありません。むしろ偽物。

本物のオリジナリティは、日本文化の中に、伝統の中に、その確信部分からでてきて、

それを自分なりに解釈する時にでてくるもの。つまり、自分の土台に日本文化があるということです。

その土台(拠所)を、自分がいかに解釈するか、表現するか、ここまでくるとオリジナリティです。

そして、正解のオリジナリティは「美しい」のです。失敗のオリジナリティは「美しくない」のです。

それは一目瞭然。「美しい」ければ、皆が自然と受け入れる。「美しくない」ければ皆が受け入れない。

ただそれだけです。

私は「美」の師匠と出会い、上記の事を数年かけて教えてもらいました。

それらを考えたら、お寺の役割って法話など堅苦しいものばかりではなく、日本文化を伝える場所として

機能させることが必要でしょうね。強い日本人をつくるためには、お寺を活かせばいいと思うようになって

います。