日記

諦め

おはようございます。住職です。

体調も落ち着きつつ、さらに自坊の法務も落ち着いています。

コロナの影響か、今日は土曜日ですが、西照寺でご法事はありません。こんな事もあるのです。

一度目の緊急事態宣言期間では、かなりご法事も延期やキャンセルが入り、大きな変化を感じましたが

その後、徐々に通常通りになってきました。しかし、2度目の緊急事態宣言が発出されることに。

西照寺は、都会から離れていることもあってか、2度目の緊急事態宣言における影響は、さほど無かった

ように思っています。お寺でも対策してきたし、比較的準備や皆様の意識の高さも手伝って、コロナも乗り

切ってきている最中にあるのでしょう。

さて、上記記載の通り、今日は土曜日ですが私は今の所フリーな時間となっています。

本来は、自分のやりたい事を進めて行く時間にあてたいのですが、昨日のブログで記載した通り、投薬によ

ってなのか、頭がボーとしていることもあって、このような時に、無理やり仕事を進めても、大して生産性

もないだろうし、そもそも発想がダメになることも多そうだし、ミスも出てきてしまうのです。

これは、今までの経験値的に感じていることなのです。

学生の頃、論文作成する時に、痛感したことなのです。

論文作成する際は、猛烈に集中するし、自分なりの発見というか、説をひねり出さなければならない為、

アイデアというのか、自分なりの説を生み出す為には、それはそれは頭脳のクリアさが求められるのです。

本当に、日々の頭の状態や体調が重要であることを痛感させられたことです。

私の場合、勉強できない人間として、センスもないし、大変でした。

ただ、若いからこそ堪えられた論文作成。今は、体力的にも身体的にも当時のようなフレッシュさが

なくなってしまっているので、今、論文書け!といわれても無理です。

体調が悪い中、説を出そうとしても、どこかに致命的ミスがあったり、後で考え直してみると、配慮され

ていない部分が見つかったり、とか、あるのです。だからこそ、その日の体調と頭の状態(私の

場合、頭の状態とは睡眠不足が一番気になることでした。なので、今でも睡眠不足や睡眠に問題を

感じる点を嫌うのです)

今日は、コンディションが悪いので、自分の仕事を進めないで、好きなことをして過ごそうと思います。

時に諦めも肝心です。