おはようございます。住職です。
鎖国を解いて、明治時代に入ると、当然ながら日本も近代化まっしぐら。明治になったら、日本は脱亜入欧
(アジアを脱して、欧州列強の仲間入り!との意味)とのスローガンを掲げて、それまでの社会制度などを
ドンドン改革していくこととなります。
恐らくですが、当時の明治維新を遂げた人々は、日本と欧米の技術力との違いに危機感を持っていたことで
しょう。いち早く近代化を遂げて、欧米の技術力に追いつかなければ、日本は乗っ取られる!と思ったかも
しれませんね。
このような状況ですから、きっと近代化も徐々に!というよりも、ドンドン!という感じだったのかと想像
します。
もはや、これまでのお米を中心とした武家社会の価値観など、一気に忘れさられ、新たな価値観を構築して
いかざるを得なかった時代だったのでしょう。
上記私の仮説がそれなりに当たっていたとして、一気に近代化しなければならなかった日本の状況は、仕方
がなかったのだと思われます。だって、ノロノロしていたら、欧米に日本を乗っ取られる!と危惧する気持
ちだってあったことでしょう。日本(自分達)を守ろうと近代化に必死だったはずですね。
ですから、明治期の大変革は、これまでの日本の良さを精査し、踏襲していこう!となどとの思いもなく、
なるがままに進んだのかもしれません。(もっとも、明治維新を遂げた人々は、それまでの武家社会を解体
したかったのかもしれませんが) その結果、日本人が大事にしてきた特徴が、おそらくこの頃に手放すこ
ととなったのではないだろうか?というのが私の感想です。