おはようございます。住職です。
昨日ブログに綴った集団主義の名残りは、個別主義となった現代日本の中でも確認できるような気がします。
例えば、会社の社員が犯罪を犯したとします。特に問題が大きくなれば、社長の責任が問われてきます。
この感覚が顕著に表れるのが、今の政治です。
大臣がミスや不正、罪を犯せば、任命責任として内閣総理大臣が責任を追及されます。
これは地方自治体でも同じようなものでしょう。
理屈上は、任命責任という言葉で総理大臣の自己責任を問う形かもしれませんが、おそらく感覚的なものと
しては、旧来型の日本の文化、つまり、長が責任を取る!との感覚を引きずっているのかもしれないと思わ
せます。
一方の、それを見ている私たちの感覚も、それが当たり前のように、当然だと思うようになっていますね。
しかし、伝統的に個別主義であるアメリカはどうなのでしょう?大統領が任命した人がミスや不正、罪を犯
したら、大統領は任命責任を問われて辞職をすることもあるのでしょうか?国民から、任命責任を問われる
のでしょうか?
アメリカの事はあまり知らないので、断言できませんが、あまりそんな話を聞いたことがないですね。
個人が犯した不正であれば、個人が責任を取り辞任して終わりだろう!みたいな感覚だと思います。