日記

「③日本的美意識」わび・さび②

おはようございます。住職です。

師匠は、私が美術に対してコンプレックスを抱いていることも承知で、徐々に作品の見方や、美術の楽しみ

方を導いてくださいました。

その楽しみ方こそ、作品を観る時に「ディスクリプションをしてみなさい!」との教えです。

ディスクリプションとは、作品を鑑賞する際に、予め解説書などを見ないで直接作品を観て「自分の言葉

で、どのように感じるかを説明してみる」ことです。

自分が感じたままを説明してみるのです。

ディスクリプションを行うことで、作品を隅々まで観るようになっていきます。作品に集中していくのです

例えば、壺を観たならば、色の具合や、柄だったり、馬みたいな文様があるな!などなど。

ディスクリプションをすることで、作品から色々な気づきや情報を得ることが出来、そこから派生して

興味がでてくるのです。例えば、どうやってこんな色を出せたのだろう?とか、時代がいつごろか?など。

ディスクリプションして感じたことに、正解や間違いはありません。自由なのです。

私はディスクリプションを知って、美術の楽しみ方を知るようになりました。

美術は奥が深く、まさに人間の成長には欠かせないものなのです。

さて師匠からディスクリプションを求められ、師匠と私のディスクリプションを披露しあい、師匠の見方に

触発され、私もディスクリプションの仕方を理解していきました。

そのような中、師匠は私にディスクリプションの訓練の為に!と「茶碗」のDVDを貸してくれました。

その茶碗とは、楽茶碗の最高傑作とも言われる長次郎作「大黒」(千利休が長次郎に創作を依頼したもの

で、利休が最も好んだ黒い茶碗)です。重要文化財に指定されている茶碗です。

重文 黒楽茶碗『大黒』|長次郎|茶道具事典 (tea-ceremony-tokyo.club)

私は長次郎が作った「大黒」のDVDを観て(番組の録画DVD)、その茶碗が醸し出す奥深さに衝撃を受ける

こととなります。これが美術ということか!と感じたのです。

「大黒」をディスクリプションすると、私が茶碗から感じることができたことは「静の境地」でした。

「無」に近い感じ。

この境地は、当時の武家社会では、戦に出向く直前の心境。

命のやり取りが、今からまさに行われる直前、集中力が研ぎ澄まされ充足感に満ち足りた「静の境地」

を、「大黒」は体現している!と感じたのです。

しかし、利休が求めていた茶道は、お茶碗だけで完成するものではありません。

茶室や茶器、作法全体を通じて、茶道は完成されます。あくまでも「大黒」などの茶碗は、全体構成の一部

でしかないのです。

しかし、無くてはならない一部でもある。

例えば、「大黒」が体現する「静の境地」は、お茶碗だけで完結するものではないのです。

仮にお茶碗が「静の境地」を体現していても、周りの雰囲気が「静の境地」とズレていたならば、台無しで

す。

そこで、茶室やその他の茶器も関係してくることとなります。

もちろんお茶を点てる作法も関係するでしょう。

そう考えると、茶道全体を通して、「静の境地」が体現されていないといけなくなるのです。

そう考えて茶道全体を構成した人が、千利休という人です。

ですから、利休さんは茶道という美の総合プロデューサーだったわけです。

千利休は、当時の時代の精神的価値観を美意識の中に組み込んだ総合プロデューサーでした。

その美意識こそ「わび・さび」です。

因みに、「わび・さび」を調べてみると「貧祖・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。

閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう」

(ウィキペディア参照)とでてきます。

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