おはようございます。住職です。
利休が考案した茶道(侘び茶)で用いる茶室は、質素で小さな建物です。
茶室の中は、豊臣秀吉が好んだ黄金のようなド派手な雰囲気とは真逆の、物寂しい雰囲気です。
その中に、「大黒」のような「静寂の象徴のような茶碗」が用いられる。
これらから見えてくるものは、利休が完成させた「わび・さび」との美意識は、とても精神性が強く反映さ
れた世界です。
現代の私たち日本人の感覚では、秀吉の黄金の茶室のような煌びやかな茶室を贅沢だと思い、好んでしまう
のかもしれませんね。
しかし、そんな茶室でお茶を頂戴するにしても、心がざわついてしまうでしょう。
たぶん落ち着いて集中してお茶をいただくことはできないと思われます。
しかし、利休の体現した「侘び茶」は違います。
狭い空間で物寂しい雰囲気の中、「静寂」を体現する茶碗でお茶をいただく。
まさに、心が問われる空間でしょう。
だからこそ、きっとお茶を点てる人も、お茶をいただく人も、心が整わないと茶道が成立しなくなる。
ここが利休の見出した美意識なのだと、私は思うようになりました。
利休は、茶道に心(精神性)の充足を求めたのです。
だからこそ、利休が生み出した茶道には、お茶を点てる人(主)と、頂く人(客)、そして茶室や茶器全て
が一体となって、初めて整う茶道が完成することとなったのです。
そんな茶道の背景には、まさに、当時の武家社会の価値観が反映されているのだと私は思います。
当時の価値観を体現した日本的美意識こそが「わび・さび」なのです。因みに、利休が見出した美意識に
は、完璧さが求められません。
むしろ不完全さを楽しむ美意識があると言われます。
茶碗であっても、凸凹していたり、左右対称ではない。
これに対して、中国の美術品は、素晴しく左右対称と均整がとれていて、まるで機械が作ったような精密さ
ですが、日本で好まれた物は、完璧なものではなく、不足があるように思えるものです。
敢えて完璧さを求めず、不足の中に心の充足感を求めていくのです。
この精神性の高さこそが、武家社会の価値観とマッチしていたのだろうと考えられます。