日記

コロナ禍だから思えた事

こんにちは 住職です。

管理者の私が、ブログ更新のページにアクセスできなくなるという、ちょっとしたトラブルがありました。

お世話になっている西照寺HPシステム管理の方にお尋ねし、更新できるようになりました。

ただしまだ、これまで通りではないので、今後、もしかしたら新たなトラブルが起きて、更新が途絶える可

能性もあるかもしれません。

もし、数日間更新が滞った場合ですが、完全にシステムトラブルだと思ってくださいね!

さて、新型コロナウイルスのワクチンですが、私は未だ摂取できておりません。

自治体の予約が取れないのです。ワクチン足りないんでしょうね。

しかし、そんな中、先日ようやく数少ない予約枠ながら、予約することに成功しました。

来月の中旬に1回目を打ち、2回目は10月上旬となってます。

今日、埼玉県内の仲間の僧侶(私よりも年が少し下の仲間)から電話がありまして、その方は越谷市なので

すが、すでに2回の摂取を終てます!と言ってました。 なんてこった。こっちは、ワクチン予約できない

状況なのに・・・自治体によって、これほど違うとは・・・Σ(・□・;) と感じました。

もっとも、私は急いではいないので構わないのですが、しかし、人込みの中に連日行かねばならないような

人は、もしワクチン早く打ちたくても打てない状況であるならば、現状そこが可哀想だと思ってしまいま

す。

私は築地本願寺に行かなくても、リモートで仕事が出来るようになったし、自坊の環境も心配いりません。

人込みに行くとすれば、買い物やお盆お彼岸のご法要がある時に、少し警戒するくらいです。

感染対策をやっているし、気を付けているので、ワクチンも急いで打ちたい!という気持も、強くはないの

です。ただし、ここまで感染が広がってきたので、そろそろ打っておきたいな!と考え、予約をしたのです

。そしたら、予約ができづらい状況となっていたので、驚いた次第です。

デルタ株の影響で、先が見通せなくなってしまいましたが、その中でもできることを考え、日々を過ごして

います。こんな時、仏教の教えがあって、私はとても良かったな!とお釈迦様や阿弥陀様に感謝していま

す。仏教は諸行無常と説いてます。

いついかなる時も、保証なんてされていないんだ! この世は常に変化をしていくもの。

頭では理解できていますが、私たちの心の底では、腹落ちできていませんね。

心の奥底では、いつも変わらない。このまま変わりたくない。ずっとこのまま!との願望や、勘違いとも

言える見方をしてしまいます。変わって欲しくないので、変化を好みませんし、生活の安定を求めてしまい

ます。仏教の説くところとは真逆の状態です。

しかし、私は仏教とであったことで、この世は諸行無常なのだな!と頭できちんと理解ができたことと、

ちょっとだけ、素直に諸行無常を心で受け止める勇気をもらいました。もちろん、気持ち的には嫌なのです

よ。変わってほしくはないし、自分も変わりたくはない(老化したくないし、病気にもなりたくないし、死

にたくもない)のです。しかし、現実は諸行無常なので、そこと正面から向き合わないといけない。

逃げたり、避けようとしたりしても、逃げられないし、避けられないのです。だから、なるべく正面から向

きあわないといけないのですね。本当に嫌ですが。

でも、向き合うことで、毎日を貴重に感じることができたり、コロナ禍の今でも、不満はありますが、逆に

このような中で、出来ることに視点があたって、それに有難ささえ感じることもできます。

コロナで街中に行けなくなったけど、コロナで在宅時間が増えたので、毎朝運動できるようになったし、

コロナで仕事が減ったけれど、家族と過ごす時間が増えたし、

外食行けなくなった事で、自宅でご飯食べる頻度が増えました。だから洗い物をするようになりました。

私は食器洗いはそこまで苦手ではない。むしろ、少しくらいやってもよい!と思えるようになりました。

新しい発見です。でも、洗濯物は面倒だから、ちょっと苦手です。干すのが面倒。

そんな事をやっていると、仕事が暇になったけど、やる事は意外に沢山あることに気づけます。

仕事が減れば、収入が減りますが、だからと言って必要とされていない!とか、全く思いません。

時間があれば、家事をすればいいし、屋外の掃除をしたらいい。運動もできます。

収入が減ったら、困りますね。しかし、生活できるお金を稼げるのであれば、今は我慢の時ですね。

私は、今の所、何とか生活はできるので、本当に困っている状態ではありません。

だから上記の様な事が言えるのかもしれませんが、しかし、人間本当にお金がなくなったとしても、

生きて行かねばなりません。

昔は、お金なんてなかった時代がありました。そう、狩猟時代などです。それでも人間は生きていました。

サバイバル動画などを見ますが、昆虫を食べたり、植物を食べたり、泥水を飲んだりやってる動画を見ると

生きるってこういうことなんだな!と思わされます。正直、自分はそんな状況にないし、サバイバルできる

のだろうか?虫なんて食べられるんだろうか?と思ってしまいますが、生きるってそういう厳しい事なのだ

!と思わされたりします。だから、私はエドのサバイバル動画(you tube の「ザ・秘境生活」)をよく見ま

す。コロナ禍に入った昨年から、私は何度もこの動画を視聴してます。数種類あります。

この動画を見ると、生きるって、こういう事なんだな!と思わされます。

今の日本だと考えられませんが、しかし昔は人類こんな生活だったんです。

本当に最悪だけど、お金が入らなければ、ここまで覚悟して生きなければならないのです。

経済社会から切り離されても、何とかして生きていく。

仏教と出会うことで、私はそんな非現実的な覚悟とも向き合うこととしています。

心の準備かもしれませんね。でも、決して非現実的な事が起きないとも限りません。

食べ物がなくなれば、人間は欲望に苛まれ、生きようとして何でも食べようとするでしょう。

お金がなくなれば、経済活動が遂げられないので、相当に困るはずです。

何も買えませんから。その時、食べ物を探すことでしょう。公園で無料の水を飲むでしょう。

疲れたら、少しでも安心できる場所を探して眠るでしょう。

やがて、働ける状況がくれば、そこを頼って働きたいです。

ここで、一つ厳しい現実があるとすれば、他の人が必要としてくれるスキルを自分が得ているかどうか

です。働きたいけど、雇用されるには、必要と思ってもらえないといけません。

体力勝負などだと、競合は沢山でてきてしまいます。数少ない優位性あるスキルを得ているかどうかで

働けるかどうかが決まってくる時代なのです。

そのために、私は今、何とか生活はできている今、暇な時間をスキルアップの為に使っています。

ピンチになったら、いち早くもがくのです。このピンチに何もしない!というのは良くありません。

ピンチだからこそ、もがき続け、必死になる必要があります。サバイバルと全く同じです。

私はコロナ禍となってから、暇な時間ができたので、毎日スキルアップの為に、考えたり読書したり、

学びを深めています。こうやって、必死にもがき続けても、結果ダメであったら諦めもつくはずです。

でも、必死にやらないで、もがきもしないで諦めたくはないのです。

今、自分の人生を振り返ってみれば、そんな人生だったような気もします。

優秀ではないし、落ちこぼれだし、出来が悪いのです。でも、何とかここまでこれたのは、必死になって

もがき続けたから。諦めないで続けてきたから。続ける精神力としぶとさが私の最大の武器。

それを土台で支えてくれているのが、実は私にとっても仏教なのです。

諸行無常。ただそれだけなのです。保証なんてされていない現実です。不安定な世界を私たちは生きている

のです。