日記

コロナとの共生3

おはようございます。住職です。

台風一過で、久しぶりに、とても天気が良い朝を迎えています。

さて、「コロナとの共生」ということで、お寺も例外なく、コロナの影響を受けていますので

今後は、どのように対策していこうか!?を考えて、実践していかなければなりません。

コロナ以前と以後で特に変わった点といえば、「密を避ける」ことだと思います。

そもそも、お寺は人が集まる場所としての機能が強く、例えば、ご葬儀やご法事でも知人や親族が

集います。コロナ前から、バブルの頃よりも、参列人数が減っていたし、流れ的にはコロナがあろうが

なかろうが、少人数化していたわけですが、コロナによって拍車がかかった印象です。

仏事以外でも、お寺では催しを行ってきました。

西照寺であれば、夏にやっていた「西照寺こども祭り」や近年新たに始まった「文化財鑑賞会」なども催し

です。カラオケもやっていました。

これらは、不特定多数の方に来ていただく事で、盛り上がる行事であり、意義深くなる催しでした。

しかし、コロナ禍になると、特に不特定多数の人を集める行為は、注意が必要となります。

また、「お盆」「お彼岸」「報恩講」「法話会」など、門徒さんを中心とした共益行事もしづらくなりま

した。密をつくるからです。

こう考えていくと、これまでのお寺の活動は、多くの人がお寺に来て下さることを大事に考えていたのです

。ですからコロナ禍以降、「密を避ける生活様式」が推奨されるようになった事態は、これまでのお寺の

活動を見返してみると、大きな影響を被る事態ということがわかります。

しかも、コロナは「間もなく過ぎ去ってくれる!」というような感じでもなく、共生していかざるを得ない

ような感じになってきています。

となれば、早いところ、お寺もコロナに適合していく環境を創り出していかないといけないと思います。

これまで、そんな事を考えたこともなかったし、逆に密を作ることこそが、お寺がやっていくべき役割!

みたいな流れさえあったので、逆に振れるとなると、結構難しいものですね。

恐らくですが、私的に、ここで最大のポイントとなることは、お寺の本来の役割を確認することだと思う点

です。西照寺が行うべき役割!これを確認することが一番大事。その次に、その役割は、密を作らなくても

実現できるようなものなのか? 密をつくらなくても実現できるとすれば、どこに可能性があるのか?

という事を探っていくことでしょう。

残念なのは、密を作らないと実現できない!という場合です。これだと一気に厳しくなりそうな感じです

ね。

しかし、まぁ、ものは考えようで、必ず密を避けながらもできることはあるはずなのです。

そこが個人個人の考え方次第。あとは実践あるのみだと思わされます。