中動態

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

このブログで以前フロイトの宗教批判について綴ったことがあるので、そちらをリンクしてみます。

https://saisyoji.jp/2020/01/18/%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%89%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%8B%EF%BC%9F%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E6%89%B9%E5%88%A4/

私の解釈が間違っている可能性もありますが、間違っていたならば、教えてください。

現代の私達は、科学を信頼していますし、それが故に、何でも頭で理解しよう、納得しようとします。

非科学的なものは、怪しいと考え、なかなか信頼することができません。

つまり、科学的な知見こそが信頼できるかどうかの線引きとなっているような気さえします。

こう考えると、現代の私達は、少し慢心になっている気がします。つまり、私達にとって間違いないのか?

を科学で判断したがる姿勢に疑問を持たないことです。

この考え方は、中動態という動態が薄まってしまった・・・みたいな今朝の話しと通じてくるような気が

します。

今は、能動態(主体的に行う動態)と受動態(客体によって、~されるという動態)の二種類は、現代でも

通じます。しかし、中動態という動態は、私も始めてききました。

しかし、すぐにわかりました。おそらく、「あるがまま」という、主体や客体を取り払った動態でしょう。

そこには、非科学的なものでも、あるがまま受け止める姿勢がみてとれます。

しかし、現代は「あるがまま」では駄目で、白黒つけたくなってしまっていそうな気もします。

できれば、これからの日本人の価値観に私は中動態の価値観を再構築する活動なども、西照寺での活動

として考えてみたくなりました。

私の宗教体験と、ジル・ボルト・テイラー博士の言う共通点

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

このブログでも以前綴ったように、私は大学院の修士課程の1年生の頃、ある宗教経験をしたことが

人生の拠り所となって、今もお坊さんをしている根本土台となっているのです。

そこで、どんな宗教経験あるいは、宗教的体験であったのか?と気になる方もおられると思うのです。

これは、言葉化することが非常に難しいのです。理由は私が頭が悪いからです(笑)

そこで、ありきたりな言葉で、縁起の世界を心で体感したような体験!(縁起そのものにはなれない我が

あったことを体感しているので、悟りの境地には至っていない)などと専門用語を使って話しています。

より、具体的に言えば、肉眼で見えている世界は、普段と変わらないのですが、心で感じる感じ方が

通常とは全く異なるのです。つまり、私の心以外のすべてが繋がっていて、それぞれの区別が成立しなくな

る世界。そこには、私の肉体さえ埋没していきます。しかし、私の心にある「我」だけが、繋がりの中に

埋没しきれないで、孤立するかのような感覚。だからこそ、真実の中に埋没できない「自我」に対して、

猛烈な愚かさを感じる事となります。と同時に、そんな「自我」をも、そのまま包み込んでくれている現況

の繋がりもあって、その事を感じ入ると、猛烈な有難い気持ちで満たされるのです。

自我としては孤立していますが、そんな孤立した自我をもいつも包み込んでくれている仏様がいてくれる!

という体験をしたので、そこが土台となって、私の人生の根ができたのです。

 以前は、こんな話をしてもわかってもらえないだろうから!と、ほぼ誰にも詳細を話したことはありませ

んでした。しかし、数年前から、話すことをし始めたのです。その理由は別の機会があれば、そこで綴ろう

と思いますが、ここでは、上記の私の経験を別の角度で、脳科学の観点から語っている学者さんの動画を

教えてもらったので、リンクしてみます。

ジル・ボルト・テイラーさん 脳科学者でありながら、自身が脳卒中を起こした方です。

https://www.youtube.com/watch?v=UyyjU8fzEYU

私の経験とは違いますが、本質的には同じようなことを語っています。興味深いのは、脳科学の観点から

自身の経験をもとに、説明されている点です。博士は、脳卒中で左脳に血があふれだしてしまい、ある

体験をしています。

私がここで言いたいのは、動画の8分14秒で博士が「自分の体の境界がわからなくなっている」という体

験。博士の言う意味は、目で見て境界がわからなくなったのか、そこまでは確認できなかったのですが、

少なからず、私は心でその経験を受け止めることとなりました。もし、博士が目で見て境界がわからなくな

ったというのであれば、私の体験とは違います。

また注目したいのは、博士は脳科学者として、脳の仕組みを説明しています。

動画の3分50秒あたりから、右脳の役割について語っています。

そして、4分40秒ほどで、「右脳を通してみた私達という存在は、一つの家族として互いにつながってい

るエネルギー的存在」と言っています。これを私は心で体験しました。

さらに、動画の5分目あたりから、左脳の役割についても言及しています。

6分5秒あたりからが非常に重要で、左脳には「私」を認識する能力があることを語っているのです。

特に6分20秒くらいからは超重要です。

これらの博士の話しは、現代の科学の知見に基づきながらの説明であり、実際博士は病気となって、左脳に

問題を起こした実体験として語られています。

しかし、私の体験は、本質は同じですが、私は脳に問題を起こしたわけでもなく、普通の状態で、心で体感

をしていることなのです。しかも、博士の説明では、右脳のはたらき境地の中に、左脳の「我」が持続して

いる状態でした。目覚めた直後だったので、もしかしたら、脳の体験なのかもしれないとも言えなくもあり

ませんが、博士の言う、右脳の世界に寄って行くことで、私達は平和を実現していくことができるのだと

私も自身の体験から思うのです。もちろん、左脳もあるので、自我の問題や個別化の問題もでてきます。

現代は、あまりに左脳側の世界に皆が価値観を置きすぎてしまっているように感じます。

それを右脳側の世界に動かす生き方論や価値観を展開していきたいと、私は考えているのです。

今後、そのような私の想いなども、ブログで綴れればと思っています。

最後に、私が以前、自分の宗教経験を、以前TVの「ぶっちゃけ寺」で有名になった井上広法さんに話した

ことがあるのです。広法さんとは、彼が有名になる前から、未来の住職塾で同級生だったのです。

彼にこの話をした時に、博士の動画を教えてくれたのです。

博士の動画を見て、非常に驚きました。そう、似ている!と思ったからです。

今まで、なかなか話さなかったことですが、話したら、新しい情報を教えてくださる方もでてくるのです。

それは良かったな!と思う点です。皆様も、何かご存じでしたら、ぜひ教えてください。

テンプルモーニングラジオ

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今朝、テンプルモーニングラジオというポッドキャストに出させていただきました。

松本紹圭さんが、パーソナリティーをしているラジオです。

https://open.spotify.com/show/5T7rPmFxWOp5QimkNUg0x4

親鸞聖人の御正忌報恩講(浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が亡くなった日)を終えた翌日から!というのも、

私にとっては、ある意味感慨深い日となりました。

これから一週間、このラジオに出演し、20分ほど松本さんとおしゃべりをしていきます。

因みに、ラジオでの紹介は、西照寺副住職です。ブログでは、西照寺住職と言ってます。

正式には、父親が住職なのですが、いつ交代してもいい感じなのです。私が副住職で!と言っているだけで

お寺での役割は、もう住職だ!と父親が言うので、仕方なくブログでは住職と言ってます。

このブログでは、私の私生活や考え方などを綴っています。

今後は、もう少し踏み込んで、私がどんな事をしていきたいのか!なども発信していく予定でいます。

ラジオからブログに来てくださる方も、もしかしたらおられるかもしれませんので、簡単なご紹介です。

因みに、このブログではコメントを受けつけています。

何かあったら、ぜひコメントいただければと思います。

津波注意報で思い出す

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

トンガの海底噴火があったようで、それに関連したのか、津波警報や注意報が発令されています。

朝から大きなニュースですね。気象庁も、気圧の変化による海面上昇による可能性を指摘しており、

非常に珍しい事態のようです。

津波と言えば、私達東日本大震災を経験している者にとっては、一生忘れられない衝撃的な光景を目にして

いることもあって、私は、なぜか当時を思い出してしまうのです。

私は地震があった当時も埼玉県に居ていたので、実際に津波は経験していません。

しかし、大きな地震であった為、その直後からTVを見ていました。

TVにおいて、津波をリアルタイムで見ていたのです。ヘリコプターから撮影されていた映像だったので、

上空から広い範囲を見渡すことができました。すると、津波がドンドン陸地を遡上する映像をみて、画面に

写り込んでいる地上にいる人達が、猛烈な規模の津波が迫っている事態に気づけず、様子見している光景が

映っていたので、「何やってんだ、はやく逃げて!!!」と、咄嗟に心と声の両方から叫びました。

でも、どうにもならない。聞こえるはずもない。

やがて、映像は切り替わって、その方々がどうなったのか、TVでは映されませんでした。

おそらく、察してください!との事なのだろうと、今でも無力感と言葉にできないショックを抱えたままで

す。

TVで上空から見ていた光景は、現地の人たちの目線とは違って当然です。だからこそ、現場の人達は、実際

に自分の目で見える範囲の状況からしか事態がのみ込めません。

そういう意味で、様子見していたのでしょう。

あの時、私はメディアの凄さと同時に、大きな矛盾も感じてしまったのです。

メディアは平時では、非常に優秀な情報媒体です。

しかし、緊急事態が起こった場合、非常に無意味な存在と化してしまいました。

津波が襲ってきた当地においては、実際にその場に居る人の方が、津波の事態がわかっていない。

むしろ、現地に居ない私たちの方が、現場の状況を早く知ることが出来たのです。

つまり、今その情報が届かなきゃいけない人に届かなくて、今知る必要性が薄い人に、情報がリア

ルに届いてしまう!という矛盾です。

これってどうにかならないかな!?と思っていたら、最近はAIとかが叫ばれ始めました。

きっと、AIを使えば、災害などの時、本当に今必要な人に、必要な情報がリアルタイムで届けられる世界が

できてくるんじゃないだろうか!と思っています。

もっとも、情報を受け取る端末問題もあるし、大地震などの場合、情報経由施設が倒壊すれば、不通になっ

てしまう問題もあるから、違った意味の問題がでてくるのでしょうが、AIは希望が持てますね。

今朝のトンガの海底噴火と津波警報を知って、そんな事を思わされました。

それにしても、東日本大震災から10年以上にもなるけれど、私の中ではあの衝撃と心の傷は全然薄れませ

ん。

修学旅行

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今日も寒いですね。土曜日なのですが、珍しく西照寺でのご法事がありません。

ですので、子どもの学校の保護者の集まりに、珍しく出席してきました。午前中のみです。

修学旅行について、学校も大変です。本来は、11月に予定されていたのですが、8~9月にデルタ株が

蔓延したため、9月に早々と諦め、11月に予定されていた修学旅行を2月に延期したのです。

そしたら、9月末から急激に感染が縮小した結果、11月12月はむしろ修学旅行に行けた日々となってし

まいました。結果論ですが。

さらに年末年始にかけて、人と移動とオミクロンが重なり、現在は感染拡大の状況です。

今の状況だと、2月の修学旅行は微妙な気配ですね。学校の判断次第となります。

いまから学校の説明会があるようです。

さて、オミクロン株は重症化しなさそうですし、デルタ株が蔓延した時に感じていた危機感は、私は薄まっ

てしまっています。ただし、医療崩壊は避けねばなりません。

必要な人に医療が回らない状況こそ、私は避けるべきだと思うからです。

正直、オミクロンの症状を聞くと、大丈夫そう!と思っていますが、感染爆発することで医療関係者が

行動を制限されてくると、例えば、コロナ以外の病気でいち早く手術したい!と願う人に、医療が対応で

きなくなって、手術が延期されてしまう!など、そんな状況を発生させてはいけないな!と思うのです。

もし、そんな状況になれば、当事者や親族は、悔しくてしょうがないと思います。私がもし当事者だった

ら!と想像するだけで、とても嫌な気持ちになるのです。

だからこそ、やはりオミクロン株に感染しないにこしたことはない!とは思います。

なるべく感染しないように気を付けて、社会を回していく必要があります。

危機感が薄まった今こそ、不要不急の用事は避けるべきですね。

私にとっては、気軽に外食することや、夜の懇親会などは、今は不要不急の部類に入ります。

それらは、もう少し我慢できると思うので、我慢しようと思います。

でも、学校の修学旅行は、なるべく気をつけて、行かせてあげられないのかな!?と思う気持も

正直あります。ここら辺は人によって考え方も異なるので、非常に難しいところだとは思います。

せめて、3月に延期して、感染状況の推移をみるなど、可能性を探って欲しいと思う部分も正直ありますね

。もちろん、学校も検討済みかもしれませんし、急な対応ができない部分もあるでしょう。

なにせ、全国の学校が同じように考えているでしょうから。ホテルなどの都合もあるでしょうし、予約状況

にもよるでしょう。なかなか難しい状況ですが、どうなるのでしょうね。

兎に角、私はオミクロンが落ち着けば、新型コロナウイルスも、そろそろ出口になるのだろう!と淡い期待

を持っているのです。感染症は、3年で落ち着いてくると聞いているし、実際に弱毒化していそうなオミク

ロンの状況をみると、そんな風に思えるようになってきました。

体調管理

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 住職です。

危ないところでした。完全に今日のブログ更新を忘れておりました。

現在、14日の22時。危ない危ない。あと2時間で14日が終わってしまうところでした。

2022年に入ってから、今の所毎日更新を続けているので、ちょっと意識しているのです。

それでも、忘れる時が普通に来るのでしょうが、せめて一カ月くらいは続けられれば、私の気が済みます。

さてさて、寒い毎日ですが、私は昨日から朝の運動(ウォーキング)を再開し始めました。

数か月のお休み期間があったので、いきなり再開すると身体に負担となるかもしれないので、いつもの3分

の2の距離。つまり、4キロを40分で歩いています。このくらいだと、ちょっと汗ばむ程度で全然余裕な

感じです。

この時期の朝はとても寒いので、冷気を吸って気管に刺激を与えれば、咳喘息になってしまいます。

その為、念入りに警戒しながら運動をしているのですが、マスクをつけて歩くことで、いくぶん冷気も緩和

されています。昨日と今日、運動をしてみて、特に問題はなかったので、自信にもなりました。

運動を始めたのは、2020年の初夏でした。そして、2020年の9月のお彼岸に、咳喘息を再発。

一度改善したので、運動を再開したら、12月に咳喘息を再再発。クリニックの先生から、冷気を吸い込ん

で刺激を与えた為、再発していると聞いたので、それ以降、冬の運動は避けてきました。

2021年も、9月には運動を休止。今の所咳喘息の再発はしていません。

2020年の1月2月は、一番寒い時節。ここで運動が継続できれば、体調が良ければ、運動も続けられる

ことが判明します。だからこそ、今回の再開には体調に神経質になっているのです。

今の所、身体の疲れもないし、精神的にも落ち着いているし、運動しても体調は問題ないし、良いサイクル

です。

特技なのかもしれません。

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

昨日は、久しぶりに朝から晩まで出づっぱりでした。

鎌倉に行って、その後、越谷に行きました。鎌倉から越谷だと車で3時間かかります。

結局、昨日一日だけで300キロ以上運転することに。合計時間だと、6時間半も運転してました。

久しぶりに、こんなに車を運転することになりました。

コロナ以前は、京都から埼玉まで、車で往復することもありました。稀にですが。

私はあまり休憩をとらないので、京都から埼玉だと、休憩を一度。ガソリン補給で一度。

合計二回の休憩くらいで約600キロを移動していました。京都から埼玉までの場合、東名高速を使うと、

650キロちょっとあるのですが、中央自動車道を使うと、600キロ程度なのです。

確か50キロ以上違うはずです。

中央自動車道は東名高速道よりもアップダウンがありますが、車も少ないので渋滞もないし、私は中央自動

車道をよく利用していました。中央自動車道の八王子JCT経由で、圏央道から関越自動車道で東松山ICで

降りるのです。時間にして、早くて7時間ちょっとですね。8時間で着く目標をたててました。

昨日は、久しぶりに、これと同じような時間運転をしていたことになります。

不思議なことに、時間は同程度なのに、距離は半分ほどですね。

この原因は、昨日は圏央道で渋滞があったのです。渋滞で1時間弱余計にかかりました。

私は運転が好きではないのですが、苦にもなりません。長時間の運転でも、大丈夫ではあります。

私の自覚する一日で走った最高距離は、1000キロです。10時間以上運転していたことになります。

おそらく、腰に問題がないので、運転も苦にならないのかもしれませんね。

腰が痛いと、長時間の運転はかなりの負担になりそう。私には、幸い腰の問題がありませんので、長時間

の運転も持ちこたえることができているのでしょう。

久しぶりに、長時間運転したので、疲れはしましたが、特に問題はありません。

ただし、運転が好きなわけではありません。ドライブに行きたい!などと思うことは皆無です。

必要だから運転するだけで、長距離でも大丈夫!というだけのことです。

でも、もしかしたら、これって私の特技なのかもしれませんね。好きでないけれど、できる!という事って

実は特技なのかもしれません。

検索上位表示のポイント

投稿日: 1件のコメントカテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

このブログを始めて、かれこれ10年以上を経過しました。

当時は、西照寺のHPを作成することが主目的でした。

すると、業者さんから、HPは更新していかなければ、持続的にちゃんと機能しません!

月に何度も更新できる情報が見当たらなかったので、どうしよう!?と悩んでいたら、

ブログをやってください!と、HP作成業者さんから言われ、始めたものなのです。

HP作成業者さんから言わせると、「日記的な感じのブログでもいいと思いますよ!」との事でした。

理由は、「ブログでお坊さんの日常生活を発信したり、お坊さんがどんな事を考えて生活しているんだろ

う?と興味を持って下さる方もいると思うし、十分な情報発信だと思いますよ!」との事でした。

ですので、私がブログを始めた目的は、第一義に「更新をすること」にありました。

西照寺ブログといっても、西照寺に毎日更新できるほどの新しい情報などはなかったので、連日続ける内に

だんだんとブログの内容も、業者さんが言っていた「お坊さんの日記」みたいな感じになっていったので

す。

いつしか、ブログ更新は習慣化されてしまいました。今では、私の毎朝のルーティーンになってます。

続けて居れば、力になる!と聞くことがありますが、たいした内容を綴っているブログでもないのですが、

頻繁に更新している期間は10年を越えています。

最近私が理解したことですが、このブログ更新が、西照寺HPに貢献してくれていた!という事実でした。

当初から、業者さんが言っていたことが、ようやく理解できるようになったわけです。

HPは、世の中に沢山ありますが、検索かけても、なかなか上位に表示されません。

例えば、「西照寺」と検索をかけても、全国には「西照寺」(単なる同名のお寺)が沢山あるのです。

それぞれがHPを持っているので、「西照寺」と検索をかけても、最上位に表示されるかどうかはわからない

のです。

ましてやそんな状況の中で、さらにどこかの西照寺さんが新たにHPを作成すれば、できるだけ上位表示させ

たい!と思うわけですね。

せっかく新たにお金をかけてHPを作ったのに、下の方に表示されたり、2ページ目以降に表示されると、

あまり見てもらえなくなるからです。

出来るだけ「西照寺」と検索かけたら、上位に表示されて欲しい!と思うわけです。

そこで、上位表示されるように対策!との事で、SEO対策と言われるものがでてきます。

よく業者さんが、「SEO対策で上位表示されるようにしませんか?」と電話営業をかけてくるやつです。

我が「西照寺」のHPは、当初の作成業者さんが、後々でも上位表示されるように!との理由から、ブログ更

新を提案してくださいました。私は訳がわからず、取り合える更新目的に続けてきました。

その継続期間は10年を越えてます。新しい更新情報が定期的にあって、継続的にある!との事実が、

どうも、グーグルなどの検索機能会社から「必要なHP」「信頼できるHP」として判断されるのだそうです

。そうなると、検索をかけても、同じ西照寺の中でも、優位性がでてきて、上位表示されてくる!という構

造のようなのです。

もちろん、検索機能会社の評価基準は時と場合で、色々と変わってくるようですが、それでも継続的に情報

を更新することは、情報の更新性という意味で信頼されるみたいです。

短期間でお金をかけてSEO対策を行っても、その対策が一時的であれば、継続的に上位表示され続けない

でしょうし、ここら辺が継続することの意味なんだ!と気づけた最近でした。

やっぱり、一時的な努力よりも、毎日の積み重ねこそが大事なんだ!と思います。

さらに、一時的な努力よりも、毎日の積み重ねを、グーグルなどの検索機能は見抜いており、評価してくれ

ているんだ!と考えると、自然の摂理に適っているし、成功する企業は当たり前のことをやるんだな!と

気付かされたような気がしています。

18歳で成人式 飲酒は20歳 おかしくないの?

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今日は朝から雨です。西照寺でも本格的に降っています。

今日は平日なのですが、西照寺ではご法事が2件勤まります。平日に複数のご法事が勤まるのは珍しいです

そんな中の雨ですから、お墓掃除などが大変となりそうです。ご法事の際は、本当は晴天が良さそうですが

天気ばかりは予定できませんからね。しかし、大雪よりは流石によいですね。こんな時は考えようかもしれ

ませんね。

さて、昨日は成人式だったのでしょうか。数日前、美容室に散髪をしに行ったのですが、スタイリストの人

から、数年後に成人式は18歳になるんですよ!と聞きました。初めて知ったので、驚きました。

選挙が18歳から!というのは知ってましたが、成人式まで18歳となるのだそうです。

来年か、再来年くらいに、18歳19歳20歳が一斉に成人式を行い、その翌年から18歳の成人式となる

のだそうです。(あくまで聞いた話です)

もちろん、予定らしいですが、変な感じですね。

18歳で成人なのに、お酒は20歳からは変わらないそうです。

さらに、これまでは女性は16歳から結婚できる(親の許可があれば)ことだったのに、これが変わるそう

で男女共に18歳からとなるのだそうです。

まぁ、結婚に関しては男女平等(権利)などもあるし、16歳での結婚は、早すぎる!と思うし、そういっ

た意味では、時代にあった変更と個人的には思えますが、成人が18歳となるのに、お酒は20歳って。

成人が18歳となるのであれば、20歳の線引きは意味がなくなりますね。

これまでの20歳の線引きは、成人かどうか!だったはずです。だから飲酒も20歳から!となっていた

はずなのに。

全くこの国は意味がわかりませんね。成人が18歳となるのであれば、飲酒も18歳からじゃないのだろう

か?

風呂敷 茶器の箱 巻物の紐の結び方

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

唐突ですが、今朝、ふと風呂敷の結び方が気になったので、ネットで調べました。

すると、風呂敷の結び方を教えてくれる動画(youtube)が沢山あがっています。

結び方などを調べる際、私のこれまでのイメージだと、絵に解説がプラスされていて、

結局、よく判らないこともあったので、あまり調べることをしませんでした。

しかし、今朝調べてみると、動画で紹介されているのです。

見てみると、非常にわかりやすい!

しかも、知らない結び方なども動画で紹介されていて、非常に勉強になりました。

そんな事もあって、現代社会はとても便利で、インターネットを使えば、手軽に情報が入手できる

ことを痛感させられました。

風呂敷の結び方の動画が、とても判りやすかったので、これまで正式にはしらなかった、茶器の箱の

紐の結び方や、巻物の最後の紐の結び方なども、検索してみました。

そしたら、動画があるわあるわ! 素晴らしい!と、心の中で叫んでしまいました。感動です。

風呂敷や茶器、巻物などは、現代社会ではあまり馴染みがありません。

私は40代半ばですが、私の年代であっても、茶道でも嗜んでいなければ、あまり使わない物ばかりです。

もっとも、西照寺はお寺なので、巻物や茶器もありますが、私はあまり扱いません。

しかし、40歳頃に、私の環境が急激に変化した中で、扱わないとダメになったのです。

これまで、見様見真似で結んでいましたが、今朝、動画をみることで正式な結び方を覚えました。

馴染みが出てくると、不思議と覚えますね。興味もでます。そして、結び方も簡単。

特に風呂敷の結び方は、さまざまあって、一枚の布なのに、色々な包み方ができ、しかも包み方に応じた

結び方まであるのです。昔の日本人は、きっと風呂敷で色々な物を包んでいたのでしょうね。

その中から、必要に応じて、新たな結び方や包み方が工夫されてきたのだと思わされました。

そう考えると、日本人って、色々な状況に適応しながら生きてきた、生命力みたいなものを感じました。

凄いな!と、思わされました。工夫する生き方って、大事ですね。 勉強になりました。