本物の覚悟

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 住職です。

今日は遅くなってしまいました。日曜日でご法事があったり、私個人の仕事に熱中していたら、ブログ更新

を忘れてしまったのです。現在、9日の22時。

まだ、就寝はしませんが、すでに自分の書斎を出て、入浴を済ませた後なのです。

ふと、ブログを思い出し、珍しく夜なのに更新することにしたのです。

理由は、今年に入ってから毎日継続しているからです。

折角今年に入って毎日継続できているのだから、思い出したら迷わず継続します!

もっとも、このブログを毎日継続したから何なんだ!?という事もありますね(笑)

単なる自己満足ですね。

さてさて、 私は昨年末の大きな反省によって、学びの日々を過ごしています。

今日も、最近の学びによって気付いたことを深めていました。そうしたら、作業に没頭してしまって。

自分なりに思うことは、昨年末の出来事によって、大きく考え方も深まってきたように感じています。

これまでは、どこか甘く考えていた、あるいは適当に考えていた部分があったのですが、それが熟考する

ことが大事であり、私の心のあり方が要であることも理解できてきました。

年末の反省によって、それ以前の自分が甘い考えをしていたことが分かるのです。

きっと、これが成長なのでしょうね。自分で言うのも変ですが。

覚悟が要点であり、その覚悟が本物かどうか? ここが超絶大事なのです。

本物の覚悟ができてから、実行力がでてくるのでしょう。

今は、本物の覚悟の部分で戸惑っています。本物の覚悟って、踏ん切りがいるんですよね。

本物の覚悟って、命をかけることだから。

学生時代にやったことがあるのですが、あの頃は若かったし、無鉄砲で独り身だったしできたことです。

今は、妻帯し家庭をもっているし、仕事もある。ある意味、守るべきものもできてしまったので、無鉄砲

ではいられません。あの事の境地に戻れるのか?と自問すると、情けない事ですが、自信がないのです。

でも、本物の覚悟がないと、次のステップを踏み出せないことも事実です。

どこかで観念しないといけませんね。最近は、そんな事を考える日々を過ごしています。

感染症の恐ろしさ

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

それにしても、新型コロナウイルスのオミクロン型なのでしょうか?

爆発的な感染者の増加に、驚かされます。

昨年末、感染者数が減少し、落ち着きを見せていたので、私も気が抜けてしまいました。

昨年の11月下旬から、東京への出勤もある程度安心できる状況でしたし、会食も制限が解除されたし

昨年末は、久しぶりにコロナ前のように大勢の人との会食もできました。宿泊もしたし。

それが半月も経たないうちに、一気に感染者数が爆発的に増えてしまい、状況は一変してしまいました。

私も、昨年末の27日を最後に、家族以外の人との会食はしていません。

年末年始の動きで、感染者が増えていくだろう!との予測もあったし、27日直前には大阪でオミクロンの

市中感染が判明しました。そこら辺から私も警戒感を持ちはじめ、都会に出歩くことと、会食などは控え

るようにしています。

しかし、そうは言っても、一度警戒感が緩んでしまったことで、若干、これまでみたいな高い意識を持ちな

おすことは、やはり大変ですね。

さらに、これだけ一気に感染者が増加すると、自分も感染するのは時間の問題かも!?と、感染が身近に感

じられてしまいます。

オミクロンは重症化しづらそう!との報を聞けば、どこか、気が抜けてしまう部分も正直あるのです。

ここが大問題なのですが。

さらに、まだよく分かっていないといわれるオミクロンの「重症化しづらい!」との断片的な情報によって

引き起こされる変な安心感によって、再び日本経済にブレーキをかけるような方向はどうなんだろう!?と

も考えてしまいます。

正直、今回は正念場なのかもしれません。

コロナが蔓延し始めた当初、感染症の流行は少なくても3年間は治まらない!と言われていました。

そうなると、2020年早々からコロナが始まったとして、ようやく丸2年です。

少なくとも、あと丸1年あることになります。

現代の人類は、科学や医学の進歩という、非常に大きな武器を手に入れ、この2年で随分ウイルスと戦える

ような状況まで持ってこられました。しかし、それでもまだ感染を封じ込められていません。

そう考えると、あと丸1年ほどは、影響を被ることもあり得るのかもしれません。

ここまでの丸2年は、本当に長かったです。それでもまだあと1年、もうもたないですよね。こんなの。

泣き言となってしまいました。感染症は生活事態を変えてしまうくらい強烈だから、本当に怖いですね。

西照寺における雪の心配

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

昨日は厳寒でしたね。とても寒かったです。

東京では大雪注意報も出ておりましたが、西照寺では降雪しましたが、積雪は然程なかったです。

因みに、昨日の夕刻の西照寺本堂裏の状態です。

葉っぱの上が白くなってますが、こんな程度でした。16時頃の写真です。

その後、雪は降り続き、夜になると西照寺入り口の坂道の一部分が薄っすらと白くなりました。

西照寺入り口の坂道は、積雪すると、翌日に凍ってしまい、車がスリップして登れなくなってしまうのです

。ですから、大雪予報となる場合、私達はなるべく雪かきをして、車のタイヤが通れるルートの確保だけは

するようにしています。今回は、そこまでにはならないだろうと思っていたので、薄っすらと積もった状態

を見た時には、ドキドキしてしまいました。坂が凍ってしまい、車がスリップするようになったら最後、

凍りが溶けるまで、皆さんは西照寺まで車で来られなくなってしまいます。坂道の下に車を停車し、歩いて

こなければならなくなってしまうのです。

それは同時に、西照寺に住む私達にとっても、ひとたび車で西照寺の外に出れば、戻って来れなくなること

を意味しているのです。(もちろん、スタッドレスタイヤ(スノータイヤ)を履いていれば大丈夫ですが)

私の車は、冬でもスタッドレスタイヤは履いていません。あまり、必要がないからです。

稀に、大雪が降ることもありますが、そんな日はあまりないので、普通タイヤのままでいます。

もっとも、父親の車はスタッドレスタイヤを履いているので、何かあった場合は父親の車で対応できるから

でもあります。

学生時代は、私はスキーにはまっていたので、良く雪山に行っていました。その時はスタッドレスが重宝し

てましたが、今では全く行かなくなってしまいました。むしろ、寒い場所はもう行きたくない。

ですから、スノータイヤの大事さはわかっていますし、雪道の危なさも理解しています。

それを理解した上で、普段私が運転するエリア(特に埼玉と東京)を考えると、お金を賭けて履かなくても

いいや!と思っているのです。万一の事があっても、チェーンがあれば全く心配ないですね。

さすがに、昨日は夕刻から雪が降り始め、18時頃に西照寺入口の坂に薄っすらと積もり始めたので、ちょっ

と心配しました。

稀に、深夜に雪がある程度積もって、明け方に凍ってしまう日もあったことがあります。

深夜だと、私達も寝ているし雪かきもできないので、それが明け方に凍ってしまっては、もうお手上げにな

るのです。昨日は、雪の降り始めが夕刻だったし、18時頃も降っていたし、少しだけ不安はありました。

でも、その後は降らなかったようです。今日には、西照寺入り口の坂道の雪も全くなくなっていました。

良かった!

負の遺産を残さない そんな生き方を

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今朝、子どもを送っていく車内で、TV(モーニングショー)の音声を聞いていたのですが、

鬼怒川温泉(栃木県日光市)の廃業したホテルの不法侵入問題が取り上げられていました。

若い人が、廃業してかなり時間が経過した廃墟ホテルで「肝試し」する動画を撮影し、youtube でアップさ

れているとの事でした。また、廃墟ホテル内で壁などに落書きがされていることも報じられていました。

そもそも廃墟ホテルに入ることは、危ないし、不法侵入にあたるとの事で問題視されていました。

また、大型廃墟ホテルの撤去には一つのホテルで10億の解体費がかかるそうで、日光市はお金の面でも工面

しづらいこと、さらには、廃墟ホテルの権利問題もあって、所有者に連絡する必要があるのに、所有者は

行方不明で連絡がとれず、手続きも困難な状況にあると、廃墟ホテルの現況問題も報じられていました。

私はこの問題を通して、改めて現代日本における「後始末を考えない問題」を如実に感じてしまいました。

この「後始末を考えない問題」は、非常に大きな問題で、「後始末を考えない問題」の先にあるのは、後世

の世代に負荷を残す事実へと展開してしまうのです。

後世に生まれてきた世代の人は、生まれながらにして、先人が残した負の遺産ばかりが圧し掛かってきてく

ることとなるのです。

私が思うのは、特に都市にみられるタワーマンションは、完成当初は素晴らしく、魅力的ではあるのですが

50年後、100年後はどうなってしまうのか?と思ってしまうのです。

建設業者さんは、マンションを建てればお役目御免。販売業者さんは完売すればお役目御免。

結果的に購入者と管理会社に、その後始末問題は委ねられてしまうのです。

しかし、修復や解体などの話題となれば、購入者の総体意見を取りまとめる必要もあって、上手く纏まらな

いことでしょう。最終的に、問題は後回しにされて、どうにもならなくなかって、廃墟と化していきそうで

す。現代日本社会の制度や各個人の意識は、そうやって負の遺産を作り続ける構造となっていそうなのです

。最終的には、こんな事になるなんて思ってもみなかった!との理由だけが残され、廃墟と化した建造物は

事実として残ってしまい、解体できずに放置されてしまうのだと思うのです。

これらの建物問題だけでも、知らず知らずに段々と表面化してきています。

例えば、湯沢町にあるバブル期に建てられたマンションは、当時はバブル期だったこともあり、投資目的な

どでかなり売れたそうですが、時間が経過し、今では負の遺産として、誰にも売れずに所有者もわからない

為、修復も叶わず、廃墟化しつつあるとの事です。

また、軽井沢など別荘地に建てられた個別の別荘も、古い物件は今では買い手がつかずに放置されてしまう

そうです。固定資産税や維持管理費がかかってしまうので、買い手がつかないと報じられています。

別荘地の個別の建物であれば、解体はいくぶん簡単かもしれませんが、しかし大型建造物だと、解体費だけ

で数十億かかってしまうそうなので、これは困難な問題となります。

こうやって、再活用ができないどうにもならない不動産が、負の遺産となって後世の世代に問題として圧し

掛かってしまうのです。

私が思うのは、せめて解体して、その土地を元通りにすることも責任ではなかろうか!と思うのです。

しかし、今の制度では、廃業してしまえば、お金がないので、解体しなくても仕方ない!みたいな雰囲気で

す。廃業するにしても、解体して土地を元通りにする!ことまで、いわゆる後始末まで責任を問われない

感じにみえます。せめて、開業する時に、解体費も担保できるシステムを導入しておかないと、後世の世代

が大変な目にあるような気がするのです。後世の世代には、正の遺産を残してあげた方がいいと思うのです

。そんな、後世の幸せも考えられる生き方を大事にしていきたいと私は思うのですが。

宗教を信じるとは?

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

突然ですが、今日は宗教の話しをしてみます。

私は浄土真宗本願寺派の寺院に所属しておりますから、仏教徒です。

ですから、世間でいうところの、世界三大宗教の一つとなります。

その他は、キリスト教やイスラム教です。

私はキリスト教やイスラム教の信者ではありませんが、おそらく世間的に世界三大宗教という括りがなされ

ているので、宗教の信者という枠では、スタンスは同じであると理解できます。

日本の多くの人は、特にオウム真理教(もう古くなって知らない若い人も多くなっているでしょうが)

事件以降は、宗教を信じることが危ないようなイメージを持たれていると思われます。

確かにそのような一面もありますね。宗教を悪利用すると、戦争や悪い方向に行ってしまうことは事実です

ね。

しかし、宗教にはとても良い側面もあります。むしろ、本当はそっちの意味で宗教はあるのですが(-_-;)

さて、宗教を「信じる」と言っても、日本人が普通に使用する「信じる」とは、かなり意味が違います。

私達が日常的に使う「信じる」は、確証が持てない状況に対して使用する言葉です。

例えば、私の机に百円を置いていたのに、無くなっている。 妻に「とった?」と聞いてみる。

すると、「とってないよ」と言う。そうすれば、妻の言葉を信じますね。

理由は、妻が日常的にそのような行為をしていない。妻は嘘をつかない。などの背景があるからこそ、

妻が信じられるわけです。しかし、少なからず数パーセントの疑いがあることも事実ですね。

例えば、妻以外に、私の机の百円を取れる人などいない! などの状況であったならば、数パーセントです

が、妻を疑ってしまいます。だけど、妻の人柄を信じているから、妻の言葉を信じます。

このような意味で、私達は「信じる」を日常的に使うのです。

従って、「信じる」という言葉の意味の背後には、数パーセントでも「疑い」があるのです。

だから、確証が持てない状況に対して、私達は「信じる」と使っています。

逆に、確証が持てる時には「信じる」とは言いません。

例えば、私の机の上の百円が無くなっているので、監視カメラで確認をしてみた。

すると、私が席を立つ時に、私の服に百円が触れて、机の下に転がり落ちたことが判明した。

この場合、もはや妻を「信じる」とは言いません。妻ではなかった!となりますね。

妻を疑った私が反省をし、謝らなければなりません。申し訳ありませんでした🙇

このように、確証が持てない状況に対しての言葉が「信じる」なのです。

宗教にも「信じる」などと使われることが多いです。信者とも言いますしね。

しかし、本当の宗教者が使う「信じる」の意味は、このようなあやふやな状況に対して使う言葉ではないの

です。

例えば、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人も、自分の書物で「信じて」と使っています。

でも、この「信じる」は今の私達が使っている言葉のニュアンスとは全く違うわけです。

この場合の「信じる」とは、全く疑いがない状態のことなのです。確証が持てるからこそ使っている「信じ

る」なのです。

ですから、宗教を「信じる」とは、本来の意味からすれば、その教えに疑いがない状況の時に使われるべき

なのです。しかし、今の日本の多くの人は、おそらく宗教に対しても、教えに確証がもてないという意味で

「信じる」と使っています。もちろん、確証を持ちたいと思って、教えを求めることだってないのですが。

これだと、宗教はずっといかがわしいもののままとなってしまうのです。

この状況から早く脱しないといけないと思います。ここにはお寺や宗教者の責任もあると思います。

頑張っていきましょう!!!

一生楽しむ

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

お正月の三賀日も終わり、私は今日より通常モードです。

私事ですが、昨年末から試練が続き、年末から新年まで世間的なイベント期間が続きました。

これまで落ち着かなかった日々でしたが、ようやくここから落ち着けそうです。(^^)v

因みに、試練は完全に乗り越えました。(^^)v

さて、私の今年の目標は、これまで蓄積してきたものを、具体的な形にしていきたいと思っています。

毎年、そんな事を言ってますが、なかなか難しいものです。取り組みながらも、成果としてついてきません

だいたいそんなものなのでしょう。ただし、色々な先人を訪ねてみると、続けることが大事なんだ!と言い

ます。もちろん、単に続けることではなく、小さな改善を試しては、反省する。その繰り返しで続けること

が大事なのだそうです。

経験者がそう言っているのですから、きっとそうなのでしょう。

短期にならないで、苦労をして続けることを試みます。

今年も、より勉強に励もうと思っています。人生、一生勉強。一生学び。一生努力。一生懸命。

何だか、そんな言葉を聞くと、全然楽しくないので、一つ加えようと思います。一生楽しむ。

お寺のお正月

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

早いもので、今日で三箇日が終わります。お正月気分も今日まででしょうか。

私は元旦と本日、お寺番として西照寺の寺務所に詰めています。朝8時から16時位までです。

しかし、特に何かを行う!ということはありません。兎に角、そこに居ることが大事です。

いつご門徒が挨拶にみえても対応できるように、居ることがメインです。

昨日は、前住職に任せて、私はお寺の中で色々な雑務や勉強をしていました。

実はお寺って場所は、多くの世間の皆様と予定が反対なのです。

世間の皆様がお休みの時は、お寺は大変。例えば、盆正月とか。あるいは土日祝日とか。

テーマパークや小売店、あるいは観光業界なども同じかもしれませんね。

世間の皆様の私的時間に来られる場所(例えば、お墓参りとか)なのです。

一方で、世間の皆様が働かれている時は、暇である。

正解ならずとも、不正解でもないような感じですね。私の感覚だと「微妙」なところです。

というのは、お寺も暇だと困るので、西照寺の場合は色々と活動を拡げてしまうわけですね。

ですから、平日だと雑務に追われることが多くなります。

私の場合は、築地本願寺での仕事もありますので、平日は会議やら予定が比較的埋まっています。

ですから、「休み」がないのです。定期的な「休み」はもちろんありません。

ただし、上記のように平日は雑務が多い為、スケジューリングは自分で決めていける部分が多いのです。

ですから、比較的時間に融通が利きます。

一日中休み!とか、何連休などは、よほどの事がなければありませんが、そんな生活には慣れています。

子どもが可哀想かもしれませんね。家族旅行などはほぼ行けませんからね。

そう考えると、メリットは時間に融通が利くこと! デメリットは定期的な休みや連休がないので、家族旅

行などは行きづらいこと! そんなところですかね。

お正月も、当然ながら家族はお寺の奥で普通の生活をしています。TVくらいは観てますよ(笑)

私はTVを観ないので、お正月といえどもTV観なくても全然大丈夫(^^)v

西照寺無料送迎バス

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

西照寺は今日も寒いですが、晴天となっています。

昨日の元日は、お昼頃から風がでてきて、強風でした。

新年のお墓参りに皆様がお越しになってましたが、風が強くてお線香は控えておられた模様です。

今日は、今の所、風もなさそうです。

今日は第一日曜日なので、森林公園駅から西照寺までの送迎バスが出ています。

今年から運転手さんが交代となりました。

これまでの運転手さんは、「もう高齢だし、事故でもしたら大変だから!」との理由で、引退されました。

70代後半だったので、近年相次ぐ高齢者の事故のニュースを聞く度に、気になったのだそうです。

私はまだ40代ですから、その心境にはならないのですが、やはり高齢になれば切実になるのでしょうね。

そういえば、西照寺のご門徒Hさんも、数年前に免許を返納され、車も手放されました。

確か、数年前のあの痛ましい池袋の事故により、免許返納の話題が社会的に大きくなり、それが切っ掛け

で、Hさんも返納されたように記憶しています。

私も、さすがHさん。決断と動きが早いな!と驚かされたものです。

ご門徒Hさんは、出来る方なのです。

特に私がお手本としてる部分は、何かあった場合に際しての事前準備!

もちろん、何かあったら良くないのですが、後の者が困らないように、事前にある程度は準備しておく姿勢

が、私のお手本なのです。

私もそうありたいのですが、なかなか難しいことです。

さてさて、話題を戻しますが、西照寺の送迎バスの前運転手さんは、そのような理由によって、昨年いっぱ

いでご勇退されたのです。これまで、本当に有難うございました。毎回几帳面で思いやりと安心できる仕事

ぶりに、西照寺一同感謝しております。本当にお世話になりました。

また、いつでも西照寺に遊びに来てください!

さて、昨年末に、西照寺送迎バスの前運転手さんがご勇退の意を伝えて下さったので、急遽新しい運転手さ

んを探すこととなりました。たまたまご縁があって、すぐに見つかって、今日から新しい運転手さんが送迎

を担ってくださることとなりました。

今度の運転手さんも非常に安心できる方で、すでに送迎バスのお仕事の実績もある方なので、引継ぎもスム

ーズ。

1カ月に2回(第一・第三日曜日)ですが、どうぞよろしくお願い致します。

とのことで、お正月三が日中ですが、今日も西照寺送迎バスはリニューアルして運転しています。

是非、ご利用ください。

2022年 謹賀新年

投稿日: カテゴリー: 日記

2022年元旦 

皆様、明けましておめでとうございます。

今朝の西照寺ご本堂の外観です。朝のお勤めを終えて撮影したものです。8時半頃です。

下の画像が、西照寺本堂のお内陣です。

昨日、2021年の大晦日にご本堂を大掃除したので、改めて整った状態です。

今年一年、皆さま宜しくお願い申し上げます。