日記

どう生きるか

こんにちは 住職です。

昨日は、少しゆっくりできました。しかし、身体はシンドイですね。運動続けているから。

しかし、自由な時間を得られたことで、精神的には助かりました。

いつでもピリピリしている状態だと落ち着けないし、さすがに疲れます。

恩師の訃報を知って以来、ずっと気持ちがピリピリしていた状態だったので、ご葬儀を無事に終えられた

こともあったのだと思うのですが、ピリピリした状態からは解放されたような感じです。

もっとも、寂しさや、これまで感じたことの無いような変な感覚を抱くなどダメージは大きいのですが。

何て表現すればいいのか、言葉が上手に見つかりませんが、恩師の急な死によって、自分の死を今まで以上

に考えると言うか、残された人生、どんな生き方をしていくべきなのか?みたいな感覚。猛烈にそんな深い

部分について気持ちが揺り動かされています。これはこれで疲れるのですがね。(笑)

果たして、俺(乱暴な言葉ですが、自分に問う時、自分の事を俺と表現します)がこの世界に生まれてきた

意味って? 俺がこの世で果たすべき役割って?

もちろん、人生に意味なんてないだろうし、役割を与えられているわけでもないかもしれないけれど、

自分でそう思って生きてみる!ということも、私はいいんじゃないだろうか。と思っています。

折角生まれてきたのに、俺は何をやってるんだ? 

あと少しで死んでいく身であるにも関わらず、俺が生まれてきた役割を果たせているのか? 

世界やこれからの人類の為に、何か役立って死んでいけるだろうか?

ただ生まれてきて、ただ死んでいくのか。もちろん、そんな人生もよいかもしれない。

でも、私が望んだわけでもないのに数人の恩師と出会ってしまって、いずれの教えも、どう生きるか? 

人々の為にできることは? などの教えでした。

そんな生き方を眼前に見せられ、問われ、考えさせられ、私の魂(魂といっても、気持ち的な意味です)を

揺り動かし、いつしか知らず知らず影響を受け、その恩師の一人が突然亡くなったことで、激しく私を

突き動かすこととなってます。

これまでの教えが、身に染みて考えさせられるような状況に陥っているのです。

何やってるんだ?俺は??  本当に大事なことって何だ? 

これまでは、生活していかなければいけないし、お金も稼がなければいけないし、お寺を運営していかなき

ゃいけないし、どうやって上手にお寺を運営していけばいいの? みたいな事ばかり考えていたのです。

でも、急な恩師の死によって、これまで考えていたものがバカバカしくなってしまって。

お金やお寺の運営ってもちろん大事なんだけど、私の死の前で、それらは何の意味があるのだろう?

西照寺をしっかりと運営する為に、私は生まれてきたのだろうか?・・・違う。

お金を稼ぐ為に、私はこの世界に生まれてきたのだろうか?・・・違う。

そんなちっぽけな為に、そんなつまらないことの為に私は生まれてきたわけではない。

そうではない。本当に大事なもの。人間としての本質。どう生きていけば、生まれ来て良かった!と思える

人生を歩めるか。私が死ぬ直前、生まれてきて良かった!と本気で思えるか。充実した人生だった!と思え

るか。後世の人達に、あとはよろしく!と言って死んでいけるか。

たぶん、そんなことが大事なんじゃないかと思うのです。そして、そんな生き方をどうやったら歩めるの

か!そんなことを周りにも示していかなきゃいけない。それを望む人がいるから。

その為に、どう生きていくべきか!?ということを、私なりに示して、世の中に提言し、実現していかなけ

ればならないのだろうと思います。たぶんそれが私がこの世に生れてきた役割。

残りの人生、私はそんな事を実現していく為に、時間を使おうと思うようになりました。

時間がありません。私はあとどれほど生きることができるだろう? 

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