日記

宗教が人間世界の論理で動くと

おはようございます。住職です。

明日で自宅隔離も終了の予定です。

今朝は、会議(リモート)の為、数日ぶりにシャワーを浴びて髭を剃ってスッキリしてから書斎に入ってい

ます。

さてさて、私がコロナに感染し、自宅隔離でブログが更新できない間、世間では少しづつ、旧統一教会と

自民党のある派との関係性が表に報道されてきました。真偽のほどは、わかりませんが、はやり関係が深い

のかもしれませんね。安倍元首相のビデオメッセージが普通ではないことを、コロナ感染する前に綴りまし

たが、北朝鮮とのパイプ的な力なのかなぁ。と思っていましたが、そんな短絡的なものではないのかもしれ

ませんね。やはり一部の宗教団体(特に新興宗教)は、お金と政治と関係しあいながら、その団体の力を強

めていくしか近道はないのでしょうか。その点、伝統教団は、ある程度歴史があるので、逆な意味で保守的

となってしまいます。保守的が悪い方向に進めば、現代の人の為の宗教ではなくなり、伝統を守ることに

目的がいってしまう。こうなってしまうと、現代の人達からすれば、何のために存在してるの?

とか、私には関係ない!と、距離ができてしまうわけです。

一方の新興宗教団体は、そこをついてきます。現代の悩みを抱える人に、ダイレクトにアプローチします。

ここが魅力なのですが、新興勢力は力を拡大したいとの意欲があるので、ここに過度な金銭が求められて

くることとなります。伝統教団は、長い歴史の積み重ねで、ある程度の財産(本山の建物だったり、敷地

だったり、その他の文化財だったり、信頼だったり)を築いてきた変わり、新興宗教にはそれがありません

。だから、急いで追いつけ追い越せ!的な勢力となって、過度なお金集めになっていくのだと思われます。

勢力拡大には、なにもお金だけではなく、政治力だって魅力的。

そうなると、選挙だ何だって、力を貸して、持ちつ持たれつの関係となっていくのかもしれません。

こうなると、もはや現代の人の為の宗教ではなく、自らの勢力拡大の為の宗教になってしまう。

う~ん。難しいですね。やはり宗教の本質は人々の悩みからの救済なのでしょうが、

宗教が、私たち人間の世界の論理で展開しようとすると、どうしても人間臭い方向に行ってしまう

のですね。