日記

知っている人が次々亡くなる

おはようございます。住職です。

今朝も、西照寺のご門徒さんの訃報が届きました。

私の実感なのですが、特に今年に入ってから、お世話になった恩師や良く知る方が立て続けに

お亡くなりになるので、本当にいつ死ぬのかなどわからないな。今、できる事をしておかなければ!

と強く思うようになっています。

私は45歳なのですが、この年齢になると、私が知っている(TVで見たことある)芸能人の訃報に接したり

実際に知っている方の訃報に接することが多くなります。これは自分の年齢と比例して、多くなっていきま

す。私は僧侶ですから、立場上、普通の人よりも訃報に接する機会は多いと思います。

そんな私でも、最近特に、縁が深かった方の訃報に度々接すると、あるいは私の現在の心境とも関係がある

のかもしれませんが、命の儚さを感じ入り、自分もいつ死ぬのかわからないな。と思うようになってくるの

です。不思議と。

折角、この世界に生れることができて、今、有難いことに、元気に生活ができている。

だからこそ、今のうちに、やれることはやっておかないと!と思うのです。

後悔先にたたず。

自分の死が迫り、身体が思うように動かせなくなってから、やり残した事に気づいても遅い。

だからこそ今、自分がこの世界で何を果たすべきなのか?を大事に、取り組まねばならないと思わされま

す。数日前に使命について綴りましたが、私の現在の心境も影響しているのだとは思いますが、

訃報に接することで、命の儚さを感じます。

偉そうなことを言いながらも、日々やらなければならない事に集中できるかと言えば、そんな事もなく

相変わらず、サボりたいし、楽したいし、遊びたいし、自由にしたいとの思いはいつでも出てきます。

そこと上手に付き合いながらも、やらなければならない事も進めて行かねばなりません。