おはようございます。住職です。
今日は個人的なお話です。
先月末、大きな精神的ストレスを抱き、日常生活にまで影響を及ぼしてきた、人生で初めてとも言える
ような状況に陥りました。しかしその後、ブログでも綴った通り、休息を取ったり、ブログで発信したり、
色々な仕方でストレスを緩和させることができたのだと思っています。
今から振り返れば、やはり自分一人で抱え込んでしまっていたら、大変だったのだろうと思うのです。
自分の外側に吐き出し(ブログで発信したり、休息が欲しい!と求め)たりすることで、だいぶ状況にも
変化が生まれるし、何よりも溜め込んだままにしないことこそが、行き止まらない方法なのだろうと、
身をもって体感したような感じです。
因みに、お坊さんでもストレスを抱えます。当然です。人間として生きているんだから。
生きているうちは、当然ながら自分の思い通りにしたい!との思いを、お坊さんだって捨てきれません。
それが故に、自分の思い通りにならない事とぶち当たった時、お坊さんだってストレスを抱えるのです。
こればかりは、完全に自分を捨てきれないと、どうにも解決できないことなのです。
この自分を捨てきれる境地こそ、「さとり」の境地なのです。
だからこそ、自分を持って生きている以上、どうしても自分の思い通りにしたい!という思いを捨て去る
ことができないのです。お坊さんと言えどもね。
だから、当然お坊さんだってストレスを抱えるし、苦しんだりします。お坊さん以外の人と変わらないので
す。ただし、お坊さんに優位性があるかもしれない部分は、この苦しみの根源の正体を知っている点。
苦しみを生み出す根源や、その構造を知っているからこそ、苦しみとの付き合い方も少しは知っている。
苦しみがどうにもならないことだと腑に落ちている。苦しい苦しい!と苦しみにドップリハマり込む
ことができるのです。おそらく、お坊さん以外だったら、苦しみから何とか逃れたい!と逃れる方法
を模索したり、あるいは苦しみの原因を外部に探し求めてしまって益々混乱する!となってしまうんじゃ
ないだろうか!?と想像します。
私は今回、ストレスに苦しみました。苦しい苦しい!と外部に漏らし、時間が経過していく中で、状況も
変わってきました。すると、苦しい状態も、段々と変化してきて、今は以前ほど追い込まれなくなって
きました。ようやく今回の苦しみからは離れていけることができてきたのです。
今だからこそ言えることですが、「あー、今回も苦しかったなぁ。生きている実感だなぁ。
そう考えると、有難い経験とも言えるんだなぁ。本当に人生は苦しいなぁ。それにしても、お悟りとは
懸け離れている自分だなぁ」と、そんな事を感じています。