日記

休みの過ごし方

こんにちは 住職です。

GWも終わり、ようやく私も一息つける期間に入りました。

今日と明日は、一応今のところ予定が何もないので、お休みになるでしょう(^^)v

ということで、私は支払い(払い込み)や郵送などを済ませ、お休みに入ります。

久々の休みなので、嬉しい(^^)v

月末に向けて英気を養う為、静養しようと思います。

私は学生時代は、のんびり生活で、休みはゆったりする事こそ休みだ!と思っていて、それを

よくやっていました。

しかし、結婚後、30代の頃から色々と忙しなくなってから、ゆっくりする事ができなくなって

しまいました。ゆっくりする時間はあったのですが、ゆっくりする事ができないのです。

つまり、何かしていないといけない気持ちになってしまい、常にやる事を見つけては、休みなのに、

動き続ける!という。結果、休みではないような感覚になります。もうゆっくりする事を忘れてしまった

わけなのです。人間は環境で変わるのです。学生時代とは真逆。

学生時代、私はゆっくりする事こそ大事な時間と考えていたのですが、その時、お寺をお手伝いしていたの

ですが、そこのご住職は、毎日毎日お参りで忙しなく、お休みは毎月2日だけ。という生活でした。

朝から夕刻までお参りで外出。だから私も土日を中心にお手伝いしていたのですが。

そんなご住職は私に言っていたことがあります。

ご住職が私に電話をかけてきて、「網代くん。俺今日久々の休みなんやけどな、何していいのかわからんの

や」「網代君、休みってどないして過ごしたらええんや?」と。

私は「いやいや、そんなの考えることでもないでしょ。のんびりすればいいんですよ」と答えました。

すると、「網代君な。それができへんねん。毎日毎日追われる生活やから、何もやることないと、落ち着か

んねん。どうしよ。と不安になんねん」と。

それを聞いた私は内心

「あそこまで忙しくなると、あんな事言うようになるんだ。絶対あんな風な人生になりたくないな」と失礼

ながらも、思っていたのです。だって当時の私とは真逆なんですから。だから上の感想を強く思ったので

す。それが、まさか自分が、絶対になりたくないと思っていた状態になるなんて。夢にも思っていませんで

した。

人間、環境によって、なりたくない状態になることはあります。真逆になることもあるのです。

さてさて、上記両方の状態を知った今の私が結論として思うところは、精神的ゆとりが持てるのは

やっぱり「休みにのんびりできること」。

30代以降は、「休みになにしていいかわからない」状態でしたが、これは気が休まらないけど、動き続け

られます。常に追われている状態だからこそ、持続できる。

例えば、初心者が長距離マラソン走るのに、緩急つけて走ると、途中で疲れて止まってしまいます。

止まらないで走れる距離は、しれている。

でも、遅くてもいいので一定のペースを保って走り続けると、結構長く走り続けられます。

走れる距離は、結構ある。

私の感覚だと、休みに「ゆっくり」できると、仕事にメリハリはつけられますが、長期間一定の質を持続す

ることが難しくなるような感覚。

一方、休みでも動き続けると、仕事と私生活にメリハリはなくなって、しかし一定程度の質を日々保つこと

が可能な感覚がします。

どちらがいいのか、は正解ありませんが、そんな感じに思えます。

私は30代から今に至るまで、後者の生活スタイルが身についてしまいました。なので、気が休まりませ

ん。先日、家族で出かけましたが、何もすることがない時間をソワソワして過ごしていました。

ゆっくりできません。家族はその事をわかっているので、ゆっくりできない人だから疲れるね!と

言われてしまいました( ノД`)シクシク…

でも、そうなのです。家族の言う通り。ゆっくり過ごしたい家族からは、迷惑になってしまいますね。

自分でもそうだろうと思います。でも自分でもコントロールできないのよね。変えられないの。

でも、そろそろ「ゆっくり」してもいいんじゃないかな。と思う自分もいるのです。

そこまで動き続けなくてもね。人間的な意味での幸せって、私は前者でもありなのかな。とか思います。