ゴミ収集

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おはようございます。住職です。

今日は暖かいですね。この3連休は行楽日和とTVの天気予報では言われていました。

まさに、行楽日和の天気だと思います。ブログを更新している今は、土曜日の10時前です。

むしろ、少し暑いんじゃないか?と思うほど。

昨日は寒かったので、急にまた暑い日がやってくると、この寒暖差で体調がおかしくなりそうですね。

でも、私は暑い方が身体にはいいみたい。昨日のように寒く感じられると、身体の調子が悪いような

気がします。動きづらいというのか、まるで油が切れつつあるロボットのように、動きがギクシャク

します。

一転、今日は8時過ぎ頃から暖かく感じられるようになり、身体の動きも快調に感じられます。

さて、今日は珍しく午後からのご法事なのです。

12時からのご法事と、その後13時半からご来寺くださるご門徒が。その後、15時からご法事、と。

そこで私は朝から、西照寺の境内のゴミ収集をしてきました。先日の雨で、かなりゴミ袋の中に雨水が溜ま

っており、重くなっていました。ゴミ袋の底に穴をあけ、雨水をすべて出してから、回収。

新たなゴミ袋を設置し、雨水が溜まらないように、底に穴をあけておきました。

因みに、西照寺の境内には常設のゴミ入れが、10か所以上あります。

1つのゴミ入れの大きさは、だいたいドラム缶1つくらいの大きさ(イメージしやすく言えばです)。

ドラム缶ほどの大きさの金網形状のゴミ入れを設置しているのですが、金網形状なので、そのまま使うと

小さなゴミがこぼれ落ちてしまいます。さらに、ゴミの収集も困難になります。

そこで、そのゴミ入れにビニールの大きな袋をかぶせます。こうする事で、ゴミがこぼれ落ちずに回収も

楽になるのです。しかし、ビニール袋の底に数か所穴をあけておかないと、雨が降った際、雨水が抜けて

くれずに、ゴミ袋に溜まります。ゴミからでてくる不要物と雨水が混ざり合うことで、臭い水の完成です。

先般、お彼岸が終わってから、ゴミ袋を入れ替えた際、私はこの作業(ゴミ袋の底に穴をあける作業)を

失念したことで、今朝のゴミ回収時に大変な目にあいました。臭いし、重いし。

さらに、ゴミ袋を取り出そうと、ゴミ入れから引き揚げようとしたら、臭い水が私にかかってきました。

汚れてしまいました。( ノД`)シクシク…まぁ、私のミスが招いた結果ですから仕方ないのですがね。

だいたい30分ほどかけて、全てのゴミを収集し、ゴミ袋を入れ替えてキレイな状態になりました。

数日、ゴミを乾燥させたら、連休明けにでもクリーンセンターに行ってこようと思います。

ご法事 平日も勤まります。

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おはようございます。住職です。

西照寺では、今日から4日連続でご法事が勤まります。明日から3連休ですもんね。

西照寺では、平日でもご法事が勤まることはあります。

近年は、平日でもご法事が勤まります。昔はご法事が勤まるのは、土日祝日だけでした。

ご希望される方は、皆さん平日にはご予定されなかったので。

そんな流れが変わってきたのは、つまり平日にご法事が勤まるようになってきたのは、15年ほど前からだ

ったでしょうか。ポツポツと、ご法事を平日に希望される方がでてきた感じです。

おそらく、昔は働かれていた方が多かったし、ご法事は多くの親族が参列されるケースが一般的でした。

だから平日だと参列できない人がでてきてしまうので、平日にご法事は予定されませんでした。

そんな一般常識も生活環境と共に変化します。

15年ほど前(正確にはわかりませんが、感覚的にはその頃からかなぁと推察)から、段々とご法事などに

対する一般感覚が変化してきたのでしょう。身内だけで!と、参列者の縮小傾向が見られ始めました。

これは、ご葬儀も同じです。それまでのご葬儀は、多くの参列者がこられる葬儀が普通でした。

そんな流れから、段々と身内だけでやりたい!との感覚が強くなってきたのでしょうね。

家族葬という形がでてきて、参列者の縮小傾向がでてきました。

それと同じ感覚が、ご法事にもでてきたのです。

すると、ご法事も身内だけで参列するわけですから、多くの人の都合を考えなくてよくなります。

また、定年退職して平日も都合がつく施主さんが多くなってきたことも、平日にご法事が勤まるようになっ

た要因として考えられます。

上記のような時代の流れと、人々の感覚の変化が、平日にご法事が勤まる要因として垣間見れそうです。

ただ、今でも西照寺においては平日に複数のご法事が勤まることは稀です。

土日祝日の西照寺では、ご法事は複数勤まります。

平日にご法事が勤まるとしても、おおよそ1件のご法事です。

平日に2件以上のご法事というのは、今の西照寺では稀なことです。

ここら辺から感じられることは、やはり今でもご法事は土日祭日が圧倒的に多いということです。

宗教法人実務研修会(聖と俗)

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おはようございます。住職です。

数日間、更新が滞りました。

というのも、出張続きだったのです。

以前のブログでも綴っていたことなのですが、先月末から2週間ほどの間に、京都、築地、箱根、群馬と出

張が続いたスケジュールとなっていました。

コロナ以降は、出張が大幅減となって、私的には嬉しかったのですが、少しだけ復活してきてしまいました

。コロナ前は、結構あちこち出張していました。むしろ、それが当たり前かのような感覚さえありました。

でも、移動だけでも肉体的にもかなり疲れるのです。それがコロナが流行した2020年から突然社会の流れが

変わりました。在宅勤務が基本となって、出張などは皆無。今まで当たり前だった事が、急激に変化。

出張や移動がなくなったら、こんなに身体は楽なのか!と思いました。

以来、その生活に慣れてしまいました。

また、40歳を過ぎた頃くらいからか、外泊するとよく寝られない状態になってきました。

それらが重なって、出張で外泊!というのは、私にとってはなるべく避けたいものとなっているのです。

コロナ禍以降、そんな機会も少なかったのですが、先月末から急に出張外泊が立て続けに入ってしまったの

です。

そこで、今回は7日の月曜日に箱根まで会議(2日間)で出張。

そのまま群馬県の前橋市の会場で8日の午後から始まる研修会(2日間研修)に出張。

9日の研修会を終えて、昨晩帰宅してきました。長かった。

そんな事があって、ブログの更新ができなかったのです。

さて、群馬県の研修会は、前橋市にある群馬会館で行われました。

こんな場所でした。この研修は、文化庁と群馬県が共催?してくれた研修会のようで、

令和6年度宗教法人実務研修会というものでした。

1日目は13時~17時過ぎまで、途中休憩10分程度を3回挟むだけで、それ以外はずっと講義。

2日目も、10時~15時まで、10分休憩と1時間の昼休憩を挟んで、それ以外はずっと講義。

まるで学生にでもなったかのような時間割でした。

講義内容は、「宗教法人の運営」についてです。

1日目は、文化庁、日本宗教連盟、国税局、消費者庁、群馬県から、講義がありました。

2日目は、公認会計士の税理士さんからの講義でした。

数年前に統一教会の問題があったことで、国民が宗教法人に対して不信感を抱く結果となりました。

以来、国は「宗教法人の適正な運営」について徹底するよう求めています。当然ですね。

この流れを受けて、日本国内の宗教法人を管轄する文化庁が中心となって、各宗教教団に協力要請が

なされています。

当然ながら、浄土真宗本願寺派でも、積極的にこの流れを受け止め、動いているところなのです。

私は、東京教区というエリアに存立する浄土真宗本願寺派の500弱のお寺に、宗派の動きを知らせて

実務的な面の協力を行う仕事をしている為、早い段階でこの研修会に参加させてもらったという流れです。

今後、この研修会は全国各地で定期的に行われるものなので、関東地方で開催される場合には、

各お寺のご住職に出席するよう呼びかけていきます。

もちろん、研修会に参加されないご住職もでてきますから、その部分を私が働く築地本願寺の部所にて

サポートしていく必要があるのです。

その意味でも、宗教法人の適正な管理運営について学びを深めてきたのです。

初日の講義に関しては、私は知っていた内容が多かったので、復習を兼ねて勉強させてもらいました。

内容としては、宗教法人法という法律に関すること。宗教法人の公益性に関すること。

宗教法人に対する税務の基礎知識についてのこと。でした。

そして、私が初めて知ったことが、消費者庁からの講義でした。

個人的には、言われなくても、当然の話でろうと思うことでしたが、宗教法人に対する寄付の在り方に

ついてのものでした。詳しくは、「不当寄付勧誘防止法等について」とのことで、法律ができたようです。

これは統一教会の問題で明らかになった、強引な寄付勧誘を防止する内容の法律でした。

おそらく、私も普通の感覚をもっていると思っているのですが、その観点からして、当たり前だろ!と思う

ものでした。つまり、寄付者をマインドコントロールして、その家族が生活に困窮するような寄付の勧誘は

ダメ。もし、そのような寄付があった場合は、無効とする!との法律のようです。

当たり前だろ!と思いますが、そんなことを行う宗教法人があったのか!という事実があることが問題

だったのです。そんな実態があったことがわかったのですから、もう二度とそうならないように、

法律ができたということです。この件は、私も詳細の内容までは知らなかったので、勉強になりました。

2日目は税理士さんから、宗教法人の税務処理に関する内容でした。

この点は、私も西照寺で学んでいる点が多かったので、おおよそ知っていましたが、細かな点など

は知らなかったので、勉強になりました。

例えばですが、西照寺では忙しない時にお手伝いくださった方に、お礼(報酬)を差し上げる事もあり

ます。(俗にいう、1日のバイト代みたいな感じ)

法人が個人に対し、報酬をお支払いする場合、法人側が源泉徴収を行い、預り金として税務処理をしなけれ

ばいけないのです。今まで、その税率の計算方法を知りませんでした。というのも、西照寺は公認会計士

が入っており、お任せしているから。

その税率は、10.21%だよ!と。昨日の講義で教えてもらったのです。

昨日の講義では、そもそもは10%だったらしいのですが、東日本大震災以降、復興税が加わったことで

計算が複雑になったとの事でした。(因みに、100万を超える報酬の場合は、20.42%らしいです)

また、宗教法人が発行する領収証には、5万円を越えたものであっても印紙税はかからないと教えて

もらいました。なので、印紙は貼らなくてもいいそうです。ただし、土地の賃借などの領収証とか、権利証

には印紙は必要とのことです。どうも、それぞれの細かな費目によって分類があるとの事。

これら、細かな点で知らなかった事があり、大変勉強になりました。

宗教者は、純粋な宗教としての活動は、聖の領域ですから、そちらの学びは深いのです。

しかし、宗教法人を運営する宗教者の場合、法人は俗の領域のことなので、法律などが関係してきます。

私がこれまで知り合ってきた宗教者(仏教者が圧倒的に多い)では、お寺を運営するご住職が多いのですが

、どうも聖の領域を重んじて、俗の領域にはあまり重きを置いていない。あるいは俗の領域は所詮俗の

領域なんだ!とする傾向が、圧倒的に強いように感じます。

ここで言う俗の領域とは、法律とかではなく、俗的な人間的な怨恨とか、醜いあり方の事です。

俗事に流されすぎないで、聖の領域を大切にしていこうよ!とのご住職が圧倒的に多いのです。

これはこれで、私は今でもお寺の素晴らしい部分だなぁと思うのです。だから、ご住職は結構いい人が

多いと思います。もちろん、嫌な部分だってあるし、人によっては例外もあるでしょう。

ですが、比較的多くのご住職は、聖なる領域に対して真面目。

しかし、その傾向が強いがゆえに、足りない部分があるようにも思えてくるのです。

それは、俗事を遠ざけようとする結果、法人運営という部分に重きを置かないようになってしまう。

つまり、法人運営に関する学びを積極的に行おうとはしない傾向があるように思えてしまうのです。

ですから、真面目ではあるのですが、法律や税務などに疎い場合があり得るような気がしています。

宗教法人の運営者という俗事にも、やはり積極的に向き合って、聖と俗とのハザマをどうやって

上手に結び付けていけるのかを考えていかなければ、現代社会に必要な宗教団体となっていかないように

思ってしまいます。

今の俗を知るからこそ、聖の求められている部分を、今の俗に転換させていかねばならないのです。

それができたとしたら、俗は聖が大切だと気付けるはず。

そこのハザマに身を置けるのは、宗教者の特権です。

だからこそ、俗もしっかり学ぶ必要があるのだろうと私は思います。

チャレンジ精神

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おはようございます。住職です。

今日は日曜日、西照寺ではご法事が勤まります。

しかし今日は、西照寺においては近年でも稀にみる件数のご法事が勤まる為、私と父の

二人で分担し、勤めさせていただきます。さすがに、一人で勤めると、時間が押してしまうことと

一生懸命勤めるからか、件数が多いと、どうしても最後の方になると声が出づらくなってしまうのです。

そうすると、勤めるこちら側の気持ち的に、何だか申し訳なく思えてしまうのです。

父も年齢的に80に近い事と、前々から喉が弱く、すぐ声が出なくなってしまうのもあり、お願いできて

2件なのです。3件やってもらうと、さすがに声が出なくなってしまい、こちら側が気になります。

私はまだ若いので、頑張って勤めて4件までは大丈夫。5件から声が持たなくなってくる感覚です。

因みに、西照寺でのご法事の読経時間は約30分ほど。読経を終えて、閑話を10分前後させていただき、

その後、お墓参りに行く場合もあり、全体で約1時間ほどとなります。

30分間、一生懸命お勤めをする。それを4件行えば、合計2時間となります。

ある意味で、声を出すことだけを考えたら、ライブを行っているようなものなのかもなぁと、稀に

思ったりします。もちろん、歌のように頻繁に音階を変えることがないし、結構一本調子な部分もあるので

一概には比較できませんが。ただ、ライブの場合はマイクあるけど、こちらはマイク無しです。

マイクがないので、私の場合は、読経の響きを意識しています。音が響く声の出し方もあるので、

そこら辺を意識しながら、読経をするのです。

私が指導いただいた先生は、喉は関係ないよ!と言っておられました。鼻とか頭の上から音を出すような

発声が大事!と教えてもらったことがあるのですが、なかなか難しいのですね。これが。

ただ、意識していることもあって、昔よりもそれに近いだろう発声になっているような気はしています。

色々な事がありますが、やはり意識は大事だと思います。

向上心がなくなったら、成長はそこで終わってしまいます。今までできなかったことにチェレンジし、

できるようになる。年齢を重ねても、できることはあるし、成長できます。もちろん退化する部分もある。

現状に満足してしまった途端に、それ以上にはなろうとしません。だから頑張り続けることは大事なの

だと思います。私が見てきた世界では、頑張ってチャレンジしている人は、衰えることが遅いような気もし

ます。むしろ、衰えは気持ちから始まるような気がしています。

チャレンジ精神がなくなると、急に衰えてしまうことってあると思うのですね。

だからこそ、私も諦めないでチャレンジ精神をもっていたいなぁと思っています。

シャドウボックス 桔梗にとんぼ

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こんにちは 住職です。

西照寺には、数年前にご寄贈賜った「シャドウボックス」が常設し、飾られています。

西照寺近隣にご在住のK先生が作者です。

K先生は、「シャドウボックス」の先生で、異才。知る人ぞ知る先生です。

私は、はじめにK先生のご子息と数年前に知り合いました。

仲良くなって、今では西照寺を支える同志として私の大切な仲間となってくれています。

私はK先生のご子息と知り合って(なぜか、誕生日も同じ)から、そのお母堂様であるK先生を

知ることになりました。その後、西照寺にお越しくださったりする中で、K先生はご自身の作品をご寄贈

くださることになったのです。

昨日は、その作品の1つ 葛飾北斎の「桔梗にとんぼ」を「シャドウボックス」にした作品です。

因みに「桔梗にとんぼ」とは、こちらです。https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/435161

これをシャドウボックスにすると

シャドウボックスは、紙を何枚も重ねて作品を立体的表現するアートです。

この作品は、和紙を用いたものです。これは普通はできないのだそう。理由は和紙は色の印刷に不向き

だからなのだとか。それを色々と工夫し、この作品ができています。

こちらは、西照寺のホール兼廊下に展示しています。

ぜひ、ご覧ください。

減量生活を再開せねば

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おはようございます。住職です。

今日もすでにこの時間(9:30過ぎ)で暑く感じています。10月なのに。Σ(・□・;)

しかし、予報では明日から涼しくなるとの事らしい(妻が言っていました)ので、そりゃそうだよね!と

思います。(もう衣替えなのに、私は今日、半そでTシャツを着ています)

今日の私は、会議が2つ。午前と午後、それぞれ2時間づつの会議。ですから、4時間会議するのです。

ですから、これから半そでTシャツから着替えるのですが。

ここ数日、私は身体が変な感じです。普通に元気ではあるし、生活もできるし大丈夫なのですが、ちょっと

違和感を感じるのですね。何だか、痩せている時に感じる倦怠感みたいな感じなのかな。

しかし、特にダイエットしているわけでもないし(本当はしたいのですが)、運動もしていません。

涼しくなってから、減量生活を再開しようと思いながら、まだ至っていないのです。

でも、何だか、痩せている時に感じるような倦怠感を感じるのですね。

体重は変化なしです。食べていますが、夏に4.6キロ減量し63キロになったのですが、その体重をキープし

たままです。

これから、あと3キロ減量をする予定なのですが、今は小休止状態。

でも、この体重にすっかり慣れたようなので、リバウンドの心配はなさそうです。そこは嬉しいことです。

体力的には、別に衰えた感じもなく、減量前とあまり変わりません。

4.6キロ減量したので、服はゆるくなりました。

以前着ていた服も入るようになったし、そこの点は良かったこと。

あと3キロ減量すれば、もっと違うことになりそうですね。

熟睡

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おはようございます。住職です。

昨日は疲れました。きっと寝不足も関係していたのだろうと思います。

築地へ通う電車の中で、行きの時は眠ってしまいました。終着駅(池袋)の前で起きてしまったのですが、

起きたら身体への疲弊感がドッとでてきたのです。なぜだろう?と思いました。

だって、身体が疲れるような事をしていないからです。これは年齢のせいなのだろうか? 病気? 

それとも、急に涼しくなったことによる、気温の変化に身体が順応していないからなのか?など、色々考え

てしまいます。

築地に到着し、お参りさせていただき、お参りを終えてから帰宅の途についたのですが、帰宅時間がラッシ

ュ時間と重なってしまったので、車内はギュウギュウ。久しぶりにあそこまでの混雑電車に乗りました。

しかも、混雑は築地駅から乗った日比谷線から。銀座駅で丸の内線に乗り換えたのですが、丸の内線は

恐ろしいほどの込み具合。丸の内線で、終着駅の池袋駅まで着くころには、もうヘトヘトに。

築地駅から池袋駅までは、乗り換え時間も含めて、30分弱くらいです。

その後、池袋駅から東武東上線に乗るのですが、いわゆる超快速のTJライナーは満車で切符がとれず。

TJライナーは池袋駅から乗る時は、指定座席券が必要なのです。座席が埋まると、満車となって乗れません

仕方がないので、急行に乗ったのですが、その電車もギュウギュウ。

途中の駅からもさらに人が乗ってきて、丸の内線の状況と同じような混雑ぶりに。全く身動きがとれませ

ん。携帯見る人が多いから、私も携帯見ている時間もありましたが、体勢が変えられないので、

携帯持った手が疲れているのに、下げられないという状況に。

そんな時間をこれまた30分ほど続きました。合計1時間、そんな状態でした。

自宅の最寄り駅の東松山駅に到着した頃には、もうヘトヘト。

帰宅し、遅い夕食をとって、お風呂に入って就寝してしまいました。22時過ぎでした。

もはやトイレの懸念などもできないほど疲れていたようです。

しかし、疲れたことが幸いしたようで、今朝の起床は5時40分でした。8時間近くも眠ったのです。

起床後は、身体の疲弊感はありながらも、気持ち的には素晴らしい。しっかり寝れたような気がして

とても良い感じです。トイレも、起きてから行けた(トイレの為に起きたのではない)ので、これまた

習慣化から抜け出せたので、良かったです。

さすがに、身体の疲弊感はどうにもなっていませんが、これは仕方がないので、無理しないようにしようと

思っています。もっとも、最近朝の運動をしていないので、逆に動かないことで疲弊感を深めているような

部分もありそうですよね。動くと逆にスッキリすることを知っているので、そのようにも思います。

もしそうならば、逆に疲弊感ありながらも、運動した方が良いのかもしれません。