おはようございます。住職です。
今日は今年最初の日曜日。西照寺ではご法事が勤まります。
しかし、今日も寒い。朝の冷え込みはきつかったです。朝の車は、フロントガラスが凍ってます。
今シーズンは、8時頃に、車のフロントガラスが凍っている状態はあまりなかったので、
今朝の冷え込みの強さがわかります。
昨日は、時々風が吹いて、空気が冷たい中、風が吹くと、寒くて寒くて。今日も晴れていますが、
空気は冷たいから、風がなければいいのですが。。。
さて、私は元日から勉強を続けております。
同時に2冊を読み進めているのですが、一冊目が『業思想研究』。二冊目が『被差別部落とは何か』。
部落差別問題に関して、知見を掘り下げているわけです。知れば知るほど、自分の無知が問題であることに
気づかされます。寝た子を起こすな!的な発想を、私もどこかで持っていたのかもしれません。
つまり、部落差別問題を掘り下げずに、知らなければ、皆がしらないまま、いつの間にか問題も解決されて
いくだろう!との思い込みで、寝た子を起こすな!の考え方が生まれたのでしょう。
しかし、知れば知るほど、差別問題は尾を引いてしまって、解決には向かわないのです。
だから、皆がこの問題を知って、どうやってこの問題を解決に繋げていくか!という視点がないと
社会全体で行っていかなければ、解決できない問題なのです。
ということで、差別問題を学ぶと同時に、業についても深堀が必要だと思ったことで、もう一冊を読んでい
るのです。
『業思想研究』これは専門書なのですね。一般でも自業自得などと言われるから、業は聞いたことがあると
思いますが、その業についての本なのです。
業とは簡単に言えば、行為のことなのです。
だから「自らの行い(業)の結果は、自らが得る」との意味で、自業自得となるわけですね。
ここまではいいのです。
でも、前世の業によって、今差別を受けることとなった!みたいな見解を持っている人もいるようで、
業が前世と結びつくことで、現在の自分の境遇を説明しようとする考え方を、ちらほら聞くのです。
こうなってくると話は別。果たしてそうなのか?と疑問に思い、本来の業思想について、学びなおしを
している最中なのです。
学生時代は、研究だけに没頭できたので、今から思えば、とても有難い境遇でした。
しかし、今みたいに仕事や役目をもっていると、その合間合間に読書をしなければならないので、
メリハリが重要だと思わされます。そもそもじっくりと読書をするタイプなので、進むスピードも
とても遅い。でも、学びがあるので、楽しいですね。