日記

仏教学んでよかったと思う一つ

おはようございます。住職です。

本当に毎日寒いですね。寒さも今から来月いっぱいまでがピークだろうと思っていましたが、

そんな中、予報を見てみると、今月21日から急に暖かくなるとの予報が。季節外れの暖かさ!と

ありました。しかも、その暖かさが続くみたい。本当に!?と嬉しくなりましたが、果たしてどうなる

のでしょうか? 個人的には寒いの嫌いなので、少しでも暖かい方がいいのですが、しかし自然からすれば

季節外れの暖かさというのは、どう考えても不自然ということですからね。

やはり、これまでの自然と言われる状況が続く方がいいと思います。不自然な暖かさは不要です。

さて、私は気楽に過ごせる時間を手に入れたので、昨日から自由にやってます。今日まで自由なのです。

漫画読んだり、動画を見たり、英単語やったり〈勉強し始めました〉、近くに出かけたり。

正直もっと自由な時間が欲しいです。2日では足りない。(笑)

といっても、この自由な時間は想定外だったことを考えれば、足りないどころか、こんな時間を過ごせてい

ることに感謝しなければいけないのです。まったく、人間の欲望とは恐ろしいものです。感謝の心を奪って

足りないものに焦点をあてていくのですから。

多くの人は、欲望が恐ろしいなんて思わないでしょうし、むしろ欲望を当然だ!と思っていることでしょう

。そもそも欲望に対し、意識すらしないかもしれませんね。

でも仏教の目的こそ「欲望からの解放」なわけですから、仏教を学ぶ者としては、欲望について意識が向く

わけですね。いつも意識が向いているわけではなくて、度々意識が向く時があるという意味です。

だから、例えば今のように、本来は感謝すべきなんだけどなぁと、ふと思ってしまうのです。

一方で、私も人間ですから欲望に支配されているわけであって、その欲望が「もっと自由な時間が欲しい」

と感じさせるわけですね。感謝の心を度外視して。

もし、私が仏教を学んでいなければ、きっと欲望に支配されたまま「もっと自由な時間が欲しい」と思い、

「まだまだ休み足りないよ!」「明日からまた仕事なの」「嫌だな~」などと、不満の方向に気持ちを

もっていかれるように想像します。その方向に進んでしまって、気持ちが落ち込んでいく。

一度気持ちがそんなサイクルに入ると、私の場合、なかなか抜け出せないような気がします。

でも、仏教を学んだ私はそうなっていません。

上記のように、「もっと自由な時間が欲しい」と思いながらも、「いやいや、そもそもこの時間はもうけ

たようなものだった! むしろ感謝すべきなんだよ!」と欲望だけに流されないで、一考させられる機縁が

できてくるのです。これは、何となく身に付いたものなのか、あるいは降ってくるものなのか?

そこはわかりません。でも、欲望のまま流されないで、一度立ち止まる!というやり方となっています。

これは、私の中では随分大きな、「無駄な苦しみを深めない」方法だと思っています。