日記

仏教を学ぶと・・・

こんにちは 住職です。

今日も寒いですね。今は16時前ですが日中の最高気温でも10℃あるかないか。真冬の寒さです。

天気予報では、明日から温度も上がるような話でしたので、期待してます。もう寒いのはいい。

私はここ数日、かなり眠れていたのですが、昨晩はちょっと睡眠不足になってしまったようです。

今日は、日中でも眠さがあります。快眠は本当に長続きしません。長く続いても3晩ですね。

快眠状態をずっと保ちたいのですが、難しいようです。

さて、私は少しだけ休めていますが、その間でも雑務など仕事は進めています。

来週は、毎日予定が詰まっており、築地の急な仕事が入って、少し遠出(栃木の北部)をしてきます。

その翌週も、結構予定が詰まってきており、なんだかんだやる事が多いようです。

ついつい、暇を求めてしまいますが、やる事が多いのは、大変有難い話なのです。

だって、誰からも求められなければ、やる事なんてなくなりますから。

つまり、暇というのは裏返しすれば、誰からの求めもなくなるという事ですから。

もちろん、高齢になって定年になれば、現役を終えるわけですから、社会的にも配慮がでてきます。

高齢の方を、現役同様に扱えないし、少し休みながら活動お願いします!との気持ちになりますから、

当然社会的求めは現役時よりも低下することが多いと思います。

そういった意味で、私はまだ48歳なので現役時なわけで、現役なのに暇となったら社会から求められてい

ない!と感じてしまうに違いありません。有難いことに、今は色々とやらねばならない事がありますから、

そういった意味では大感謝なのです。身体を休める時間があれば、それでいいのです。もちろん、心も休ま

ねばなりません。今は身体が休めているし、心もいつも通りなので、暇なんかを求めてはダメなんですね。

そうそう、このブログを書きながら、上記の事を思わされました。

仏教を学んで良い部分は、そもそも論を振り返ることができることです。

私の所感なんて、所詮煩悩からでてくる邪見です。暇を求めるなんて、ダラダラしたい!と思う勝手な欲望

そもそも、求められているから、やる事が多いわけであって、そこを無視して感謝を忘れる。

これが煩悩の仕業です。

仏教を学ぶと、苦しい時にそもそも論を振り返ることができるのです。煩悩によって見えなくなっている

部分に視点が向けられるのです。そうすると、あぁ!しまった! 自分の邪見で大事な部分に気づけていな

かった!となるのです。そうなると、暇を求めていたはずなのに、急に現状の有難さに気づけ、感謝の気持

ちがでてきます。これって、私の中ではすっごい武器なのです。仏教を学んで本当に良かった!と思える事

なんです。