「老」の自信喪失
おはようございます。住職です。
今日は朝から暑いです。身体が疲れているので、運動は控えました。休みの予定でした。
そんな中、朝から日差しが強く暑くなっているので、運動を休む予定で正解でした。
さて、今日は日曜日です。西照寺ではご法事が勤まります。
そんな西照寺では最近、私の父親が私にすべての権限を移行しようと動いています。
住職を本格的にバトンタッチしようとするわけです。
先日、父の前住は、疲れすぎて免疫が下がったようで、帯状疱疹を発症。
TVのCMで最近、確か、60歳を過ぎたら帯状疱疹のワクチンを!のような啓蒙を目にします。
私もそのCMを見て、ふーん。と思っていました。まさか父が発症するとは。
どうやら痛痒いようで、クリニックで診察してもらい、帯状疱疹と診断されたのでした。
今は治りかけていますが、これで随分と自信を失ったのか、年を感じたのか、いきなり弱りだしました。
気力が。
そこで、住職の全ての権限以降に流れ始めたのです。ところが、それを私は許さないのであります。
まったく、弱りだしたらすぐですね。ここ数日で、随分老人化してしまい、発言も口の中でモゴモゴ言って
いて、何言っているのか聞き取れない感じ。これまではそんなこともなかったのに。
顔も老け込んで見えてくるし、まったく何をやっているんだか!
そこで、住職の全ての権限以降など私はまだ良いので、返上しようと思案中なのであります。
もちろん、住職は返上しないですが、例えば、諸々の書類の管理や寺に居る事とかは前住にもやってもらお
うと思っているのです。
昨日などは、もう皆が居てくれるし、任せておけるので、お寺の寺務所にはなるべく来ないようにするから
と哀愁漂いながら発言したらしく、私の妻が「可哀そう」と心配していたのです。
まったく、突然自分の役割が無くなった!かのように考え始めたようです。
自分で勝手に、居場所を失ったかのように自己認識を始めたようなのです。
これが「老」なのですね。
帯状疱疹から一気に精神的にも老け込んでしまったようなので、しょうがないからムチを打たないと。
まったく本当に面倒くさい。
人間なんてそんなものなのです。自分で勝手に自信を失って、気持ちが弱くなっていくのです。
それが「老」と相乗効果を発揮すると、「生」そのものが弱まっていくのですね。
まだまだやる事だらけで、役割はたくさんあるのに、自分で勝手に落ち込んでいくんですからね。
息子ながらも、その変化は見ていて表現が悪いですが、面白いものです。
もう自分は役に立てなくなった! と思い込んでいるようなのです。本当にバカバカしい。
と、もう一つ。この要因には、年齢を考えて、無理はさせないように声掛けしている息子の私の在り方も
関係しているのです。免許返納して!などは言っていませんが、この暑さの中、境内の草刈をやったり
除草剤を撒いたり、掃除を始めたり、運動を始めたり。と、年齢を考えても心配になることをやるのです。
そして、疲れて帯状疱疹を発症することになりました。
帯状疱疹が出る前から、私は暑いんだし、年なんだからやめた方がよい!と何度も注意。
また、ご法事なども私が主に勤めるので、父としてはやる事がないのでしょう。
だから草刈りなど動き回ってしまったのだと思います。でも、帯状疱疹がでたことで、いよいよ自分の
出来ることが無くなってしまった。と思い始めたのだろうと思います。
そこで、役に立てなくなった!と自己認知したんじゃないかと思われます。
実は私もすべてのご法事を勤めるには、少し大変な時もあるので、これからは父に少しお願いしようと思い
ます。その他にもやってもらいたい事は言わないだけで、多いのです。
あまり甘やかしてもダメだということがわかったので、今日はご法事の後に話し合って、少しムチを
うってみようと思います。