おはようございます。住職です。
昨夜は眠れずに、今朝は睡眠不足です。
いや~。困ったといのか、まさか!と思う事が。
最近の配達便は生モノでも「置き配」をしていくようです。信じられません。
しかも、お寺が届け先なのに、本堂から離れている自宅の玄関先に置いたまま、連絡もないまま
「置き配」です。家族も気づかずにそのままになっておりました。
送ってくださった依頼者が、届いたのか確認のお電話くださったのですが、誰も気づいていなかったので、
届いておりません。と返答。その方が、配達便に問い合わせ、配達便の方がお寺まで来られて、置いてあり
ました!と。何かあったらご連絡ください。と申し訳なさそうに電話番号を置いて行かれたそうです。
置き配で配達した方は、いつも配達してくださる方とは違う方だったようですが、生ものの置き配は非常識
ではないのかな?と、妻と話していたのです。もちろん、電話くださっての置き配であれば当然理解できま
す。しかし、何の連絡もなく、しかもお寺宛ての「生もの」を、自宅の玄関で置き配って。
細かいことを指摘すれば、そもそも宛先が違うわけで。
さらに、「生モノ」であれば、気を遣って欲しいです。
そもそも、お寺の寺務所にいて、たまたま自宅が留守だった可能性だってあるし、たまたま不在にしていた
可能性だってあります。万一電話が繋がらなかったとしても、置き配した日の夕方とか、夜とかに電話くだ
さってもいいんじゃないか?と思うのです。何か、こちらから注文して、配達があるな!と分かっている時
は、置き配があると意識もできます。しかし、贈り物を賜る時などは、想定外のことですから、置き配は
見ないのです。郵便の手紙とは違うから。
そもそも、腐らない物とかであれば、まぁ、仕方ないとも思えますが、生モノは。
配達業者さんは、プロなのですから、置き配は仕方がない部分もあるし、理解はしますが、生モノとかの
場合は、気回しいただければと思うのです。
もちろん、こちらにも非はあると思います。どちらか一方だけが悪いと言うつもりはありません。
毎日、チェックしなければダメだ!という人もおられるでしょう。配達してあるのだから、確認しない方が
悪い!と言われる方もおられるでしょう。
それらを含めて、私個人の意見としては、置き配は理解しますが、生モノなど特殊なケースでの置き配は
後で電話くださるとか、わかるようにしてほしいと思うのです。
