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西照寺note第6回を公開しました

問いがあっても、聞けるとは限らない|親に聞いておく10のこと

「親に聞いておきたいこと」は、たしかにあります。

だからといって、問いがあれば、すぐに聞けるわけでもありません。

西照寺では現在、「親に聞いておく10のこと」を作成しています。

これは、親の人生をきれいにまとめるためのものではありません。
親から感動的な言葉を引き出すためのものでもありません。
家族の歴史を完成させるためのものでもありません。

親が生きているうちに、無理なく、押しつけず、
その人が大切にしてきたことに少しだけ触れられる入口を作りたい。

そのような思いから、少しずつ形にしています。

しかし、ここで大切なことがあります。

どれほどよい問いがあったとしても、
その問いを家族の中でそのまま聞けるとは限らない、ということです。

問いは、答えを引き出すためだけにあるのではない

「親に聞いておく10のこと」と聞くと、
十個の質問を用意して、親に答えてもらうものだと思われるかもしれません。

もちろん、問いには答えがあります。

けれど、西照寺が考えている問いは、
正解を集めるための質問ではありません。

親の人生を調査するためのものでもありません。
過去の出来事を聞き出すためだけのものでもありません。
子どもが知りたい情報を埋めるためだけのものでもありません。

問いは、ひとつの入口です。

今まで話さなかったことに、少し触れてみる入口。
普段の会話では出てこない思いに、少し近づいてみる入口。
親が何を大切にしてきたのかを、少し感じてみる入口。

だから、問いに対して、きれいな答えが返ってこなくてもよいのだと思います。

すぐに答えられなくてもよい。
途中で話がそれてもよい。
沈黙があってもよい。
「特にない」と言われてもよい。

その問いがあることで、
親子の間に、これまでとは少し違う時間が生まれる。

それだけでも、意味があるのではないでしょうか。

聞きたいのに、聞けないことがある

親に聞いておきたいことがある。

そう思っていても、実際に口に出すのは簡単ではありません。

「お父さんは、人生で何を大切にしてきたの?」
「お母さんは、何か後悔していることはある?」
「私たちに言えなかったことはある?」
「本当は、どんな思いで生きてきたの?」

こうした問いは、大切です。

でも、家族の食卓で突然聞くには、少し重すぎることがあります。

親が驚くかもしれない。
子ども自身も照れくさい。
急に深刻な雰囲気になってしまうかもしれない。
「どうしたの?」と聞き返されるかもしれない。
親の老いや死を意識させてしまう気がするかもしれない。

聞きたいのに、聞けない。

そのようなことは、決して珍しくないと思います。

むしろ、本当に大切なことほど、
簡単には聞けないのかもしれません。

親も、すぐには答えられない

聞けないのは、子ども側だけではありません。

たとえ子どもが勇気を出して尋ねたとしても、
親がすぐに答えられるとは限りません。

長く生きてきた時間を、
すぐに言葉にできる人ばかりではありません。

何を大切にしてきたのか。
何に支えられてきたのか。
何を後悔しているのか。
何を子どもに伝えたいのか。

そうしたことは、すぐに整理できるものではありません。

また、親にも親の遠慮があります。

子どもに心配をかけたくない。
今さら弱いところを見せたくない。
昔のことを話して、家族を困らせたくない。
自分の人生を、簡単に説明できる気がしない。

だから、親が答えなかったとしても、
そこに何もないとは限りません。

言葉にならないだけかもしれません。
言う準備ができていないだけかもしれません。
誰に、どこまで話せばよいのか分からないだけかもしれません。

問いがあっても、答えがすぐに返ってくるとは限らない。

このことを、最初から大切にしておく必要があるのだと思います。

「聞くこと」は、相手を追い込むことではない

親に聞いておくことは大切です。

しかし、それは親を問い詰めることではありません。

答えを求めすぎると、
相手は話しにくくなってしまいます。

「何を大切にしてきたの?」
「後悔していることは?」
「最後に伝えたいことは?」

こうした問いは、使い方によっては、相手に負担をかけてしまうこともあります。

だからこそ、問いには扱い方が必要です。

聞く側が、答えを急がないこと。
きれいな言葉を期待しすぎないこと。
沈黙を失敗だと思わないこと。
話がそれても、すぐに戻そうとしないこと。
相手が話したくなさそうなら、そこで止めること。

聞くということは、
相手の中にあるものを無理に取り出すことではありません。

相手が話せる範囲で、話せる時に、話せる言葉を待つこと。

その姿勢があってはじめて、
問いは相手を苦しめるものではなく、
少しだけ開かれた入口になるのだと思います。

家族だけで抱えなくてもよい

親に聞いておくことは大切です。

しかし、それをすべて家族だけで行う必要はないのかもしれません。

家族だから聞けることがあります。
家族だから分かることがあります。
家族だからこそ、受け止められることがあります。

一方で、家族だから聞きにくいこともあります。
家族だから言えないこともあります。
家族だから、かえって沈黙してしまうこともあります。

だからこそ、家族の外に、静かに聞く人がいてもよいのだと思います。

親子の間に割って入るのではありません。
家族の代わりになるのでもありません。
答えを出すのでもありません。
良い話にまとめるのでもありません。

ただ、言葉になりにくいものを、急かさずに聞く。

親にも、子にも、無理をさせず、
話せる範囲で、少しだけ言葉にしてみる。

そうした場があることで、
家族の中では出てこなかった言葉が、
少しだけ出てくることがあるのではないかと思います。

西照寺が大切にしたい聞き方

西照寺が考えているのは、
人生を整理するための面談ではありません。

悩みを解決するための相談でもありません。
正しい答えを示すための場でもありません。
親子関係を変えようとするものでもありません。

大切にしたいのは、
話せることを、話せる範囲で、静かに聞くことです。

言いたくないことは、言わなくてよい。
思い出したくないことは、思い出さなくてよい。
言葉にならないことは、言葉にならないままでよい。

それでも、もし少しだけ話せることがあるなら、
その言葉を急かさずに聞く。

まとまっていなくてもよい。
立派な言葉でなくてもよい。
途中で止まってもよい。
沈黙があってもよい。

その人が、その時に話せた言葉を、
その人の言葉として受け止める。

西照寺が大切にしたいのは、そのような聞き方です。

まずは、問いを持つことから

「親に聞いておく10のこと」は、
親にすべてを答えてもらうためのものではありません。

まずは、子ども自身が、
何を聞いておきたかったのかに気づくためのものでもあります。

親の人生について。
親が大切にしてきたことについて。
家族の中で、言葉にならなかったことについて。
亡くなった後に、聞いておけばよかったと思うかもしれないことについて。

そうした問いを、いきなり親にぶつけるのではなく、
まずは自分の中に静かに持ってみる。

それだけでも、親との向き合い方が少し変わるかもしれません。

そして、もし家族だけでは聞きにくいと思うなら、
家族ではない誰かに、その思いを少し話してみることもできます。

「何を聞けばよいのか分からない」
「聞きたい気持ちはあるけれど、切り出せない」
「親にどう話せばよいのか分からない」
「自分自身の中でも、まだ整理できていない」

そのような段階でもよいのだと思います。

問いは、答えを急がせるものではありません。

問いは、すぐに結論を出すためのものでもありません。

問いを持つこと。
その問いを、無理なく扱うこと。
話せる時が来たら、少しだけ話してみること。

そこから始めてもよいのではないでしょうか。

西照寺では、少しずつ準備を進めています

西照寺では現在、「親に聞いておく10のこと」を作成しています。

これは、親が元気なうちに、
その人が大切にしてきたことに、少しだけ触れるための入口です。

同時に、家族だけでは言葉になりにくい思いを、
静かにお聞きする場についても、少しずつ考えています。

すぐに答えを出さなくてもよい。
うまく話せなくてもよい。
何を聞けばよいか分からない段階でもよい。

そのような思いを、まずは静かに置いてみる場所があってもよいのではないか。

西照寺では、そう考えています。

これからもホームページ・ブログ・noteを通じて、

「親に聞いておくこと」
「家族の中で言葉になりにくい思い」
「親子だからこそ聞けないこと」
「家族ではないからこそ話せること」
「静かに言葉を聞くこと」

について、少しずつ発信していきます。

「親に聞いておく10のこと」に関心のある方は、西照寺ホームページ内の「LINEで問い合わせ」より、友だち登録をしてお待ちください。

完成後、必要とされる方に無料でお届けできるよう準備を進めています。

https://saisyoji.jp/

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