言えなかった言葉は、なかったことになるのでしょうか
言いたかったけど、言えなかった。伝えたかったけど、伝える機会を失った。そのような言葉は、誰にもあるのかもしれません。家族だからこそ言えなかったこと。今さら言うのは遅いと思ったこと。自分でも、どう言えばよいのか分からなかったこと。
何も言わなかったからといって、何も思っていなかったわけではありません。言えなかったことと、何もなかったことは違います。その時には言葉にならなかった思いが、後になって現れることもあります。親が亡くなった後。子どもが家を離れた後。家族の関係が変わった後。葬儀や法事を終え、少し時間がたった後。
ふとした瞬間に、あの時、こう言えばよかった。本当は、聞いてみたかった。あの時は、どう思っていたのだろう。という言葉が浮かぶことがあります。
それは、突然生まれたものではなく、以前から自分の中にあった思いが、ようやく言葉として現れたのかもしれません。人の思いは、いつも分かりやすい形になるとは限りません。「ありがとう」と言いたい気持ちもあるけれど、感謝だけでは表せない。「ごめんなさい」と伝えたいけど、自分だけが悪かったとも思えない。いくつもの気持ちが重なっていると、言葉は簡単には出てきません。
だからといって、その思いに価値がないわけではありません。言葉が現れたからといって、すぐに誰かへ伝える必要もありません。誰に向けた言葉なのか。いつ伝えたいのか。そもそも伝えるべきなのか。それらを、すぐに決めなくてもよいのだと思います。
まずは、「自分の中に、この言葉があった」と確認するだけでもよいのです。
西照寺一言預かりは、言葉を無理に誰かへ届けるためのものではありません。
本人から実際に現れた一言を、その人自身の言葉として受け取り、大切に扱う取り組みです。今すぐには言えないけど、このまま消えてしまってよいとは思えない。そのような言葉もあります。言えなかった言葉があること。まだ言えない言葉があること。そのこと自体を、なかったことにしなくてもよいのだと思います。
noteでは、「言えなかった言葉は、なかったことになるのだろうか」という題で、もう少し詳しく書いています。家族に言えなかったことや、後になって浮かんできた一言がある方に、読んでいただければと思います。
西照寺は、家族に今すぐ渡せない言葉や、未来に届けたい本人の思いを、本人の言葉のまま静かに預かる寺院です。
- 住所:埼玉県東松山市大谷2560-4
- お問い合わせ:0493-39-1445
