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西照寺一言預かり⑥

一言を預かるとは、どういうことか

これまで「西照寺一言預かり」について、長い文章でなくても、一言だけでも残せること。言えなかった言葉も、なかったことにはならないこと。親に聞いておきたかった一言や、子どもや家族に残しておきたい一言があること。誰に向けたものか、まだ決まっていない言葉もあること。そのようなことを書いてきました。

では、西照寺が「一言を預かる」とは、どういうことなのでしょうか。西照寺が大切にしているのは、本人から実際に現れた言葉を、その人自身の言葉として扱うことです。

たとえば「ありがとう」という一言でも、誰が、誰に向けて残したのかによって、その意味は変わります。

親から子どもへ向けた「ありがとう」。子どもから親へ向けた「ありがとう」。文字だけを見れば同じでも、その言葉が生まれた背景は、それぞれ違います。

西照寺一言預かりでは、その言葉が立派かどうか、感動的かどうかを基準にはしません。大切なのは、その言葉が本人から実際に現れたものであることです。西照寺が、本人に代わって言葉を作ることもしません。「こう書いた方が伝わります」「こういう言葉なら家族も喜びます」と、こちらが文章を作ってしまえば、きれいな言葉にはなるかもしれません。しかし、それは本人から現れた言葉とは違うものになってしまいます。本人が「ありがとう」とだけ残したのであれば、その一言を大切にします。

西照寺が、「きっと家族への深い感謝があったのでしょう」などと、本人が言っていない意味を付け加えることもしません。また、短い言葉には、意味が分かりにくいものもあります。たとえば、「もういい」という一言。諦めなのか、安心なのか。それとも誰かに向けた言葉なのか、自分に向けた言葉なのか?その言葉だけでは分からないことがあります。

でも、分からないからといって、西照寺が意味を決める必要はありません。分からないものは、分からないまま扱います。一言は短いからこそ、周囲に多くの空白があります。その空白を、「きっと、こういう意味だったのだろう」と後から埋めてしまうと、本人の言葉と、他人の解釈との境界が分からなくなります。

だから西照寺では、一言を一言のまま扱います。また、「預かる」ということは、西照寺のものにするという意味でもありません。本人の言葉は、あくまで本人に由来するものです。西照寺は、その言葉を本人の意思に沿って扱う立場です。

一言を預かるとは、その言葉を立派なものにすることではありません。本人から現れたものを、本人から現れたものとして扱うこと。西照寺一言預かりでは、その姿勢を大切にしています。noteでは、「一言を預かるとは、どういうことか」という題で、もう少し詳しく書いています。

西照寺がなぜ言葉を勝手に整えたり、意味を付け加えたりしないのかについても書いていますので、関心のある方はお読みいただければと思います。

西照寺は、家族に今すぐ渡せない言葉や、未来に届けたい本人の思いを、本人の言葉のまま静かに預かる寺院です。

  • 住所:埼玉県東松山市大谷2560-4
  • お問い合わせ:0493-39-1445