墓仕舞い後の記録を、なぜ石板として残すのか
写真や家系図、故人の記録はデータとして保存することができます。それなら、「すべてデータで残せばよいのでは?」と思われるかもしれません。西照寺の「存在の証」でも、データ保存は重要だと考えています。その一方で、境内に小さな石板を残すことにも意味があると考えています。
データと石には違う役割があります
データには、多くの情報を保存できます。写真。文章。家系図。昔のお墓の記録。こうしたものは、データに向いています。一方、石板には大量の情報を残すことはできません。それでも、「実際の場所に存在している」という特徴があります。
実際の場所で名前を見ること
例えば、何十年後かに子孫が西照寺を訪れたとします。「昔、うちのお墓が西照寺にあったらしい」ということしか知らなかった人が、境内で自分の家の名前を刻んだ石板を見る。すると、「本当にここに自分の家のお墓があったんだ」と感じるかもしれません。画面で情報を見ることと、実際の場所で石を見ることは少し違います。寺院という場所と家族の記録が結びつきます。
石板は、新しいお墓ではありません
「石を置くなら、小さなお墓をもう一度つくるのと同じでは?」と思われるかもしれません。しかし、「存在の証」の石板はお墓とは役割が違います。遺骨を納める場所ではありません。子孫に墓守りを求めるものでもありません。供養を義務づけるものでもありません。役割は、「ここに、この人や家につながる記録があります」と示す目印です。
石には最低限、詳しいことはデータへ
石板にすべてを刻む必要はありません。家の名前や故人の名前など、最低限の情報だけを残します。詳しい情報はデータとして別に保存する。つまり、石板=入口 データ=詳しい記録という役割分担です。墓仕舞いをしても、寺とのつながりまで完全になくす必要はありません。大きなお墓ではなくても、そこに「小さな目印」が残る。それが「存在の証」で石板を使う理由です。
次回は、その石板からどのように詳しい記録へつなぐのかをご説明します。
西照寺は、家族に今すぐ渡せない言葉や、未来に届けたい本人の思いを、本人の言葉のまま静かに預かる寺院です。
- 住所:埼玉県東松山市大谷2560-4
- お問い合わせ:0493-39-1445
