浄土系のお寺の役割

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こんにちは 住職です。

昨日のブログ更新を忘れてしまいました。お彼岸で忙しなくしておりました。

さて、連日元々のお寺の役割を振り返っているのですが、お寺に〇〇山〇〇寺などと言われる山号

について、豆知識程度に触れてみました。

つまり、お寺に山号が付けられているのは、最澄や空海の頃のお寺の役割がお坊さんの修行の場として成立

していた名残りであることを説明したのです。

ですから、この時代(平安時代頃)のお寺の役割は、僧侶の修行の場としての役割だったのです。

その後、鎌倉時代に入ると、多くの宗教者が現れるのです。

例えば、浄土宗の宗祖、法然聖人。浄土真宗の宗祖、親鸞聖人。曹洞宗の宗祖、道元禅師。

臨済宗の宗祖、栄西禅師。日蓮宗の宗祖、日蓮上人などです。

平安時代の仏教の代表宗派は天台宗(最澄様)と真言宗(空海様)ですから、お寺は人里離れた山にあるこ

とが多かったのです。これに対して、鎌倉仏教の代表格である「浄土系」(浄土宗や浄土真宗)の宗派は、

教えの特徴として、自分で厳しい修行を積んでいく教えではなくて、阿弥陀仏に救ってもらう事に感謝する

教えの為、多くの人々と教え(阿弥陀仏から救ってもらえること)を喜ぶことが大事となります。

つまり「阿弥陀仏に救ってもらう事とは、どういうことなのか?」を多くの人に説明(説法)していくこと

が大事になってくるのです。その説明を聞いて、「そうだったのか!」と喜ぶ人や、仏様に救われる教えを

もっと聞きいてみたい!と望む人に向けての活動がメインとなってくるので、人々が多く集まる集落に

お寺を建てる必要がでてきたのです。だから「浄土」が付く宗派のお寺は、これまでお寺が建てられた山

ではなく、集落に建てられてくることとなるのです。これが、浄土真宗のお寺に山号がなかった理由です。

これらは、各宗派のご本山のお寺の在り処をみれば、だいたいわかってきます。

禅宗の永平寺は、山の中にあるから、修行がメインだったのかもしれません。禅をするには、騒音から離れ

た方が良さそうだし。浄土宗の知恩院は、京都の比較的山側の麓にありますが、人里にあります。

浄土真宗の本願寺は、京都の街中にあります。日蓮宗の久遠寺は山にあるけど、池上本門寺は町中にありま

すね。

もっとも、現在の本山になるまでに、移転などをしている本山もあるので、すべてが今の本山をみればわか

ることではありませんが、自分の修行をメインに考えるお寺は、人里離れた山にお寺がありますね。

もしかしたら、日蓮宗もそうかもしれませんね。教えを勉強してみないとわからないんだけど。

という訳で、浄土系のお寺は人里にある理由として、その役割は阿弥陀仏の教えを伝え弘める役割と

教えを信者で共に喜ぶ為の役割があったのです。

龍谷の起源

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こんにちは 住職です。

昨日の続きとして、一点だけ注意点を綴ります。

そもそも浄土真宗という宗派のお寺は、別日に詳細は綴りますが、僧侶が修行する為に建てられているお寺

ではありません。

むしろ、民衆と共に念仏を慶ぶ(よろこぶ)為の場所としてお寺があるので、山にはないのです。

民衆が集まりやすい町にあるのです。人里の中に建てられるべきお寺が、浄土真宗のお寺です。

ですから、他宗派のお寺とは、お寺の役割が異なっているのですね。

そのような理由で、基本的に浄土真宗のお寺には山号は不要なのです。だって、山に無いんだから。

だから、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、そもそも山号はなかったのです。

しかし、近年、他宗のお寺にはそもそも山号があった!という認識のもと、だったら山号を付けよう!

となって、龍谷山本願寺と山号が付けられました。数年前の話しです。

この「龍谷」の起源は、実はオオタニという地名を表している文字なのです。

すでに、今はない漢字なのですが、左側に「谷」と書いて偏(ヘン)とします。そして右側の旁(ツクリ)

に「龍」と書いて一文字とします。つまり「谷龍」と書いて、一文字だったわけです。

その一文字を「オオタニ」と昔は呼んでいて、地名だったのです。鎌倉時代の話しです。

親鸞聖人がご在世の当時、今の京都の清水寺の近く、現在の大谷本廟がある地名が「オオタニ」。

現在は「谷龍」という一文字はありませんから、あえて偏と旁に別々に分けて、龍谷(リュウコク)とした

のですね。

本来であれば、谷龍(コクリュウ)っぽいですが、谷龍より、龍谷の方が響きも良さそうですね。

なぜ、谷龍ではなく、龍谷にしたのかまでは、私も知りません。でも、そのような理由で龍谷と使われる

こととなったのです。

さて、この「オオタニ」の地に、親鸞聖人のお墓は建てられました。

最初のお墓は、小さなお堂だったそうです。

「オオタニ」の地に、親鸞聖人のお墓のお堂が建てられました。

これが現在の西本願寺の起源となります。つまり、「オオタニ」の地から本願寺が始まったわけです。

ですから、浄土真宗本願寺派では、龍谷という字を大事にしているのです。

私の母校も龍谷大学ですしね。

「オオタニ」は、西本願寺にとって、根本となっている地名なのですね。

因みに、西本願寺の御門主(ご住職)は「大谷」という苗字を名乗られています。

おそらく、「谷龍」と関係しているのだろうと思われます。

因みに、東本願寺が本山となっている浄土真宗大谷派(お東)は、龍谷は使えないのです。

本願寺派が最初に使ってしまっているからです。

ですから、「大谷」を使用しているのだろうと思われます。

私なんか逆に、谷龍(コクリュウ)と使ってしまえばよかったんじゃないのかな!?などと思ってしまいま

すが、それは安易なのでしょう。

たまたま、西照寺のある地名も大谷なので、やっぱり山号は大谷山が良いなぁと私は思っています。

イレギュラーな山号

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こんばんは 住職です。

今日はお彼岸の中日です。秋分の日。西照寺では、お彼岸の大法要を勤めました。

コロナ禍となって始めて、本堂内に椅子を設けて着座できる形で行いました。

もちろん、距離をあけて椅子を設けた為、人数制限となりましたし、扇風機などを利用し換気に注意を払い

徹底できたと思います。マスク着用に、手消毒、体温測定なども行いました。

ご参拝の皆様は大きな声も出さないので、大丈夫でしょう。

さて、昨日の続きですが、今日はぶっちゃけトークをしてみます。

昨日、お寺の山号の意味を綴りましたが、お寺の中には、本来の山号の意味ではなく付けられている山号も

あります。

言わなくてもいい事ですが、西照寺の山号がそれです。

西照寺の山号は雲龍山とつけています。しかし、そんな山はありません。

先代住職が勝手につけたものです。(笑)

因みに、山号は勝手につけてもいいのです。国などの正式な登記名称には、だいたい山号までは登録されて

いないからです。勝手に言っているくらいの感覚です。

そもそも山号の意味は、住所の役割でつけていたものですので、古くからある(1000年位前からある)由緒

正しいお寺には普通についているものなのです。

しかし、もっと新しいお寺。つまり300年以内の歴史のお寺であれば、お寺業界からすれば、新しいお寺な

のですが、そんなお寺には山号はないのが普通です。

その頃になると、山が住所の意味合いを表すことも無くなってきたからだと思われます。

しかし、お寺の世界の中では、古くからあるお寺には山号があって、山号があることが、ブランドみたいな

感覚があるのですね。

ですから、お寺業界の中には、今でも山号があるのは由緒あるお寺なんだ!みたいな、不思議な感覚がある

ので、新しくお寺を創建した住職は、意味もわからない山号を付けたがるのですね。

こんな事をされると、一般の人からすると、山号の本来の意味がわからなくなるのですね。

その果てに、逆にお寺の僧侶でさえ、山号の本来の意味を知らない人は結構多いのだろうと思います。

僧侶もわからないから、勝手に山号を付けてしまう!という状態になってしまうのでしょう。

この場合、山号の謂れは、何となくの感覚で付けているのだろうと思われます。

ですから、皆さんもそれぞれのお寺の山号を意識してみてください。

全然聞いたことない山号であれば、本来の山号の意味から逸脱したものだと思われます。

因みに、西照寺であれば、ここは大谷という地名があるので、大谷は山ではないけれど、山号をもしつける

とするならば、大谷山とつけるべきでしょう。

私が住職の間に、可能であれば大谷山と山号を改めようかと思っているほどです。

なぜ、すぐにやらないのか!?と言われると、先代住職がすでにパンフレットなどに雲龍山と明記して

しまっているからなのです。そうすると、変更したとしても全てを直さないといけないので、影響が大き

い。( ;∀;) 

山号(サンゴウ)の起源

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こんばんは 住職です。

またも、夕刻の更新となってしまいました。

さて、昨日の続きです。

最澄や空海は遣唐使として中国に渡り、実際の中国仏教を見てきました。

そこで大事にされていた戒律や修行を知って、それを日本に持ち込んだのです。

だから、お寺を山の中に建てたのです。

この時代から、お寺は僧侶の修行の場としての役割が強くなります。

この影響から、だいたいお寺は「〇〇山〇〇寺」などと呼称されるようになるのです。

例えば、比叡山延暦寺。高野山金剛峰寺。などです。

「〇〇山」というのは、山号(サンゴウ)と言われるものです。

どうして山号があるのか?と言えば、当時からお寺は山の中に建てられていたので、住所の意味で山の名を

お寺の名前の前に付けていたのです。

例えば、当時何かの集まりで僧侶が集った際、「あなたはどこから来たのですか?」などと聞きますね。

その場合、お寺の名前だけ言ったのではわかりません。

どこそこの山にあるお寺です!と山号とお寺の名前を言うことで、通じるわけです。

今で言うならば、全国の人が集う集まりがあった時、同じ班に振り分けられた初対面の人が、自己紹介する

場合、「〇〇県の〇〇市から来ました」と言えば、市の名前まではしらなくても、県を知れば通じますね。

これと同じです。

因みにプチ情報ですが、「〇〇山〇〇寺」と名乗っているお寺が多いのは、そのような歴史があるのです

が、時に知らない山の名前が付いていることが結構多くあります。

そんな山ないだろう!?と思ってしまうのですが、結構多いのです。

そのような場合、山の名前ではなく、住職の苗字が山号になっている時もあるのです。

これはもっと、時代(平安時代よりも)が下ってからの応対として、そのような場合もある!ということで

す。

もし住職の苗字が山号として付いていれば、それはそれで由緒あるお寺です。

最澄様や空海様の時代のお寺の役割

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こんばんは。住職です。

昨日の続きとなります。

そもそも、日本のお寺の発祥は、聖徳太子の時代でした。そこには、お寺の役割として、

人々の苦しみに応対する機能があったのです。

その後日本に仏教が色濃く根付く時代が、平安時代。

空海様や最澄様(以下、敬称略)が登場した時代です。

700年代後半頃でしょうか。

この頃になると、比叡山や高野山などにお寺が建てられます。

比叡山では延暦寺(天台宗)が、高野山には金剛峯寺(真言宗)が建てられます。

私の理解では、この頃からお寺は人里離れた山の中に建てられていくこととなります。

これには理由があって、人里にお寺があると、欲望の刺激が沢山でてきます。

例えば、女性を目にする機会がでてきてしまいます。食事に関心を奪われえる機会もでてくるでしょう。

世間の騒音に気が散る機会もでてきます。

これら、人里にお寺があると、お寺で修行する僧侶の気が散ります。修行に相応しい環境ではないのです。

だから、人里離れた山の中にお寺を建て、僧侶が修行に専念できる環境を求めることとなっていきました。

最澄や空海は、中国から仏教を日本に持ち込み、戒律や修行という面を強調することとなったわけです。

ここが聖徳太子の時代と異なる点です。

聖徳太子の時代は、日本に仏教が入ってきたのですが、まだ戒律や修行という側面が強くなかった。

仏教の教えは入ってきたけれど、戒律を守る!修行をする!という実践面はまだ強くなかったのだろうと思

われます。

ですから聖徳太子の時代は、教えに基づいた苦しみへの応対に、お寺としての役割が用いられたのだと思わ

れます。

しかし、最澄や空海以降、鎌倉時代までは戒律や修行の側面がお寺の役割に強く影響を及ぼしてくるので

す。

お寺のそもそもの役割って!?

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おはようございます。住職です。

9月に入ってからというもの、連日雨が続き、肌寒い日も多く、秋になった!と思ってました。

ところが、秋のお彼岸になって、暑さが戻ってくるという、何とも不思議な陽気です。変なの。

さて、コロナ禍でのお寺の活動も、時代に合わせて適合していくべきだと考え始めました。

コロナ以前であれば、お寺に如何に人が来て下さるか?を考えました。密をつくることがお寺の活動

だったわけですね。ところが、コロナによって密を避けねばならなくなりました。

すると、そもそもこれまでのお寺の活動の基盤が崩れてしまう訳です。困った。

そこで、そもそも論として、お寺の基本的な役割を振り返ってみて、確認することが大事じゃないか!と

私は思い始めました。

さて、ここからが大変そうなのです。正直、ぶっちゃけトークも入ってくるから。

というのも、理想と現実という点を直視しないといけない場面だってでてくるからなのです。

内心を言えば、正直こんなことを綴らなくってもいいのです。いや、綴りたくないし。

しかし折角のブログですしね。私のぶっちゃけも、そのまま伝えられるし、これを見てくださっている

方にも見ごたえないとつまらないでしょうしね。 だから、ぶっちゃけに挑戦してみましょう。

そもそも論としてお寺って、歴史が古いけど、最初はどんな目的で設立されたの?という事から確認してみ

ましょう。

日本でお寺が誕生したのは、聖徳太子の時代ですね。法隆寺(斑鳩寺)、大阪の四天王寺、飛鳥寺などが、

その頃できたお寺で、今も残っているのですから、もう1000年以上古くからあるものです。

聖徳太子といえば、604年に制定されたといわれる、憲法17条が有名ですね。

だから、600年頃からお寺ってあるわけですね。

そう考えると、お寺って1500年近く、ずっと日本にあることになります。古!!!

当時のお寺は、決まった形がありました。境内に、4つの建物があることが基本形。

本堂(金堂)と塔(五重塔とか)と講堂と中門、それらが廊下で繋がっていたり。法隆寺がお手本ですね。

これらの建物を利用して、活動を行っていたようです。

主に活動内容を調べてみると、例えば、大阪の四天王寺には、四箇院という施設がありました。

①敬田院、②施薬院、③療病院、④悲田院、と言われています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA

①敬田院=教えを学ぶ院  ②施楽院=病人に薬を施す院 ③療病院=病気を治癒する病院  ④悲田院=

養老院ということです。つまり、そもそも病院も薬局も老人ホームもお寺にあった施設なのです。

聖徳太子の建てられた四天王寺には、仏教を伝える以外にも、人々の苦しみのケアをする施設として

成り立っていたのですね。

さて、なぜこれらの施設がお寺にあったのか?というと、簡単です。仏教の教えと関係があるからです。

仏教は、苦しみを超える為の教えです。ですから、人間の苦しみというものに視点をあてるのです。

四苦八苦(シクハック)という言葉を聞いたことありますか? 私の年代以上であれば、当然の言葉ですね

。「いろんなことに四苦八苦している」などと、言ったりします。つまり、いろんな事に苦しんでいる!と

いう意味ですね。四苦八苦は、人間の根本的な苦しみの代表例として仏教で説かれるものなのです。

仏教で説かれている四苦八苦の四苦とは、「生老病死」の事です。

「老いる苦しみ」、「病気になる苦しみ」、「死ななければならない苦しみ」、これらの苦しみはどうして

起こってしまうのか?と言えば、私として生まれてきてしまったからだ!ということで、「生まれてきた苦

しみ」ということです。

これらの苦しみを超えていく教えこそが、仏教であり、超えた境地が成仏なのです。

だから、私たちが問題として抱えている苦しみについて、応対しないといけないのですね。

そんな理由で、聖徳太子は四天王寺を造った時に、上記の四箇院の施設を設けました。

そもそも、日本では病院も老人ホームも、お寺にあった施設なのです。それも1000年以上前から。

今では、病院も法人ホームもお寺と結びついてないでしょう。それぞれ独立しているから。

人々のイメージも、お寺が病院や老人ホームを経営していたら、何か怪しい!と思うかもしれません。

でも、元来はお寺にあったものなのです。今では、それらはお寺の活動から剥ぎ取られてしまった

わけですね。

お寺に残った機能は、敬田院です。つまり、仏教の教えを学ぶ場所!という役割。

さてさて、長くなったので、今日はここまでにします。続きは明日以降です!

お坊さんが実践する プレッシャーと向き合う方法

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おはようございます。副住です。
今日はドンよりお天気ですね。
最近(ここ3~4日)朝起きると、頭がボーとするというか、違和感を感じます。
スッキリしないような、血流が滞っているような。
塩気のものを食べているわけでもないですし、水分も普通に摂っております。
甘いものも然程、食べてもおりませんし。
睡眠不足もあるのかもしれませんが。
今月は特に、講義やご法話や講演など、お話させていただく機会が多いので、気づかれかもしれません。
もしかしたら、知らず知らずに心にストレスが溜まっているのでしょうか。
(お話させていただくことは、慣れてはいますが、やはりプレッシャーもあるようです)
しかし、嫌だとは思わないので、そういった意味でのストレスはないのだと思うのですが。
なにぶん、準備をするのに、読書や調べものと大変な労力を使うことがストレスなのかも(笑)
さてこんな時(プレッシャーを感じる時)、私は以下のようなことをしております。
静かで誰もいない場所で、一人目をつぶって心を落ち着けます。
その後、何故それがプレッシャーとなっているのかを見つめます。
例えば、“その事柄に依頼者より大きな期待がかけられている”とか、“この事で絶対失敗してはならない”とか、
色々とプレッシャーの原因は考えられると思われます。
それをじっくり考える。できれば、“何故失敗してはならないのか”まで考えてあげる。
すると、不思議とある結論に至ります。
私の場合、(プレッシャーを感じる)多くの原因は、自分の心がつくりだす“成功させなきゃならない”という過度な義務感に行き着きます。
なぜ、そんな義務感を感じるのかと言えば、おそらく私の心の奥底に、成功させることによって、自分を肯定したい心の欲求があるのだろうと感じます。
もちろん、成功すれば成功しただけ大きな自己肯定に繋がるので、うれしくなることでしょう。
そんな気持ちが、より大きな成功を求めようとして、過度な義務感に繋がるように思います。
この“過度な義務感”を知らず知らずに持ち合わせると、大変なストレスに繋がります。
私も人間ですから、このようなストレスを感じるのです。
しかし、気分が滅入ってきた時、あるいは疲れたと感じる時、心にストレスサインを感じます。
心のサインを感じたら、そのストレスがどこからもたらされているのかを 心に聞いてみます。
今回の場合であれば、プレッシャーがストレスの原因となります。
ですから、上記のようにプレッシャーの原因をさぐり、心のあり方を見つめてあげて、過度な義務感を解きほぐしてあげる必要があります。
では、どうやって解きほぐすのか。
この過度な義務感(プレッシャー)は、いわば私がつくりだした幻想です。プレッシャーの正体は私の心の欲求なのです。
より大きな自己肯定を望む心が、より大きなプレッシャーとなって私に降りかかってきます。
ですから、自己肯定を望む心を見つめてあげるのです。
そこで、自分の心に話かけてみます。
“どうしてお前は実力以上の自己肯定を望むんだ?”“自分を実力以上によりよく見せたいと振舞う道を進むと、苦しみが大きくなるぞ”
“いくら望んでも、(実力が)ないものはない”“もっと今の自分を肯定してあげたらどうだ”
心にそんな話しかけをしてあげます。
すると、これまで“過度な義務感”を背負っていた心に変化がでてきます。(←私の場合です)
“それもそうだな!よし!今自分に出来ることをやろう!”と心に納得がいきます。
そうなると、“過度な義務感”が“自分の力を惜しみなく出し切ってやろう”と変わってきます。
すると、不思議と自分のペースがでてきます。
ここまでくると、ストレスは軽減され、心が軽くなったように感じます。
このように心を整えてあげて、本番に望みます。
本番でうまくいけば、“今の自分を肯定していく”自信に繋がります。
失敗したとしても、“自分の実力不足”を認めて、次回はどうすれば成功できそうか を考えてみます。(←ここが一番大切)
あと、頑張ったのに失敗したときの言い訳ですが、“実力不足の私にお願いする方も悪いよな”と自分の中で言い訳をつくってあげることも大事です。(もちろん、自分以外にそんなことを言ったらダメですよ)あくまでも、自分一人の言い訳につかうのです。(←失敗すると、凹みます。大きすぎる傷をつくると立ち直れません。ですから、自分の逃げ道をつくってあげるのです)
以上、副住のプレッシャーと向かい合う、実践方法でした。

仏教ってどんな教え

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こんにちは 副住です。
・・・越谷の勇者さまが浦学出身だということを知りませんでした。(笑 嘘でしょ?)
今日は入学式が沢山ありますね。東仏も入学式なので、今から築地に向かいます。
さてさて、連載
【1-2 苦しみの根源】
 私たちは「私」が大好きであるため、日々「私」が望むものを満たそうとしています。「私」が眠たくなれば寝ますし、食べたくなれば食事をします。しかし、条件が整えば整うほど、望むものも大きくなっていきます。これを欲と言います。「私」の欲は、とどまることをしらないのです。「私」が望む通りに、事が運べば喜ばしいですね。「私」を満足させるので嬉しくなるのです。しかし、逆なこともあります。それは「私」が望んでいることが叶わなかった時、あるいは「私」が望まないことがおこったときなどです。この時、「私」は苦しくなります。「私」の思い通りにならない場合に直面するからこそ、満足できず苦しみを感じるのです。
(もちろん「私」は人によって違うのですから、思い通りにならないケースも人によって異なります。
 「私」の思い通りにしたいという欲は、どのようにできるのでしょうか?それは生まれ持った「私」〈因〉の違いによりますし、「私」が育った環境〈縁〉も違うのですから、「私」が求めるものや、大切にしていることも異なるという構造なのです)
 さて「私」が抱く苦しみは、どうしてできあがったのかを見てきました。そこには「私」の思い通りにならない場面と遭遇したことによって「私」が苦しみを抱くという構造が明かされました。より端的に言いますと、「私」が望むことと違うことが起きたとき、「私」に苦しみがおそってくるという構造です。
 ではこの構造を軸として、「私」の苦しみを解消させる方法を考えるならば、どうしたら「私」の苦しみを解消できるでしょうか?答えは2つ。
1、「私」の思い通りにしたいという世界を実現する。
2、「私」の思い通りにしたいという欲を消す。
・・・仏教は2番目の道を進んでいったのです。

仏教ってどんな教え

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こんにちは 副住です。
実は以前から浦和カウンセリング研究所という機関で仏教の講義をさせてもらってます。
内容は①仏教について講義する。②内観について講義する。
が担当させてもらっている分野です。
これまで6年ほど続いているのですが、有難いことに皆さん楽しんで受講してくださいます。
仏教に関する関心も、非常に前向きなのです。
以前からこれほど魅力的な仏教が広まっていない現状に勿体無さを感じてました。
そこで、浦和での講義に用いている原稿に手を加えブログにアップしてみることにしました。
(文章だけでは伝わらない部分もあるので、不安な箇所もありますが(^_^;))
今までは面倒だったのでやってこなかったのですが、以前、本を書くとブログで公言したこともあるので、
少しづつ書いてみようかなと思い立ちました。連載です。
副住、行けるところまで取り敢えずいってみます!
【はじめに】
 現在日本のお寺は全国に7万程あると言われています。確かコンビニよりも多い数です。そう考えると、お寺ってコンビニよりも身近な存在なのですね。でも、悲しいことにコンビニほど便利な存在ではなさそうですが(つд⊂)
さて、お寺は皆同じ仏教という教えに基づいています。しかし同じ仏教であるにも関わらず、宗派というものに分かれています。例えば、浄土真宗であったり、真言宗だったり。日本には主だった宗派だけでも13の宗派があるのです。これほど分かれていると仏教に興味がでてきても、果たして「どのお寺にいけばいいの?」とか、あるいは「どの宗派がいいの?」と一歩が踏み出せない場合が多いのではないでしょうか。そんな皆さんの疑問を推測して 副住はこれから文章で伝える努力をしていこうと思いました。
簡単にそして身近に、できれば皆さんに読んでもらい易いような内容を綴っていきたいと思います。
《仏教ってどんな教え?》
【1-1 私(自分)とは】
 さてこれから、そもそも仏教とはどんな教えなの?という部分に視点をあてて綴ってみましょう。
唐突ですが、皆さんには好きな食物ってありますか?私が好きなものはウェハース、島らっきょう、パクチー、ネギとかです。因みに嫌いなものは餡子(坊さんが餡子を嫌いなのは致命的(つд⊂))、和菓子(こちらも致命的(つд⊂))、鮒寿司とかです。皆さんにも色々あると思いますが、私(副住)の好きなものが嫌いであったり、私(副住)の嫌いなものが好きであったりする方もあるでしょう。
でも、どうして人によって好みに違いができてしまうのでしょうか?・・・それは生まれ持って(親の遺伝子)の影響〈因〉、さらには、育っていく環境〈縁〉、これらを背景として、「私」の好みが決まってくるのでしょう。当然、人によって生まれ持つ影響〈因〉と育つ環境〈縁〉は異なるので、好みも色々と違うことになるのでしょう。だから「私」が美味しいと思えば好きな物になるし、不味いと思えば嫌いな物になるわけです。人によって「私」という基準が違うので、判断が分かれてしまう!だから人によって好みに違いが生まれてしまう!という論理ですね。
仏教では、この「私」ということに視点をあてていきます。
ではここで皆さんに質問です。皆さん、「私」とは何だと思いますか?あるいは、どんなものだと思いますか?・・・「私」とは「私のことを私だと思う心」のことです。仏教ではそれを「我」(ガ)と呼んだりします。(EX.面白いことがあります。例えば、皆さん、自分(私)を客観的にみてください! どうぞ、やってみてください。・・・自分(私)を客観的にみれました?どうですか?・・・自分(私)を客観的にみていた自分(私)がいませんでしたか?・・・このように私たちは、結局は自分(私)という心から抜け出せないのです。つまり自分(私)と思う心にとらわれてしまっています。仏教では、どんな人も根源的な共通点として「私」をもっているといわれます。当然のことですね)
この「私」が厄介なのです。私たちはこの「私」が大好きです。換言すると「私」に執着し〈とらわれ〉ています。「私」にとらわれているから、意識がある中では、常に「私」がおりますね。

仏教Q&A

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こんにちは 副住です。
先日、寺務からこんなことを言われました。
「一般の人(お寺以外の人)がお坊さんに聞きたいことってあると思います。
でも住職とかには聞きづらいし、疑問がそのままになってしまうことも多いんじゃないかと思います。
副住職の立場で質問されることがあるのなら、そんな情報をブログでアップしてみてはいかがですか?」
なるほどな、と思い自分(副住)が今まで聞かれた質問を思い出してみました。
私たちからすれば、「え!?」とそんなところに疑問をもたれるんだ!(゚д゚)と感じることもしばしばです。
そんな寺務からの提案にのって、今後たまに「仏教Q&A」(主に浄土真宗)を綴ってみようと思います。
今日は第1回目。法名について。
法名とは、浄土真宗でいただく法の世界に生きるお名前のこと。
法名は生きている時に、これからは阿弥陀様の教えをいただきながら生きてまいります。ということを明確にするために
いただく名前のことです。多くは亡くなった後にいただく形となっていますが、本来は生前からいただくものです。
法名の形は釋○○(シャク○○)と三文字です。(別に院号というものがあって、それは○○院釋○○となります)
・法名について、お祖父さまのご葬儀でこんな質問が。
「あの~、お祖父ちゃんの法名なのですが、釈○○となっていて、釋○○ではありませんが、いいのでしょうか?
亡き両親からは、男性は釋がついて、女性は釈となるんだよ。と聞いたことがありますが、お祖父ちゃんは男性ですが釈となってます。
間違いではありませんか?」との質問でした。
回答はこうです。釋も釈も同じです。旧字と新字の違いです。男性に釋、女性に釈という決まりはありませんよ。
もしかしたら、地域によってそのようなことを言われる地域があったのかもしれませんが、本来分けるべきものとして使用されてはいませんよ。
とお答えいたしました。
「そうだったんですか。ありがとうございます。安心しました。」と安心なさっておられました。
因みに釋OR釈(シャク)の字は、おさとりを開かれたお釈迦様の釈の時をとって、お釈迦様と同じおさとりの世界に往くのですよという意味で付けられています。