存在の証⑧
墓仕舞い後にも「この人がいた」という手掛かりを残す――西照寺「存在の証」
ここまで、「存在の証」についてご紹介してきました。その出発点は、とても単純です。墓仕舞いをしたあと、その人や家が存在していた記録まで、すべてなくしてしまう必要はないのではないか。という問いです。
墓仕舞いが増える社会
これからは、お墓を継ぐ人がいない。遠方に住んでいる。子どもに負担を残したくない。といった理由から、墓仕舞いを選ぶ家庭はさらに増えていくと考えられます。墓仕舞いという選択そのものを否定する必要はありません。問題は、墓石と一緒に、そこにあった家や人の記録まで見えなくなることです。
大きなお墓ではなく、小さな証を残す
西照寺の「存在の証」では、境内に小さな石板を残し、そこから必要に応じて詳しい記録へつながる仕組みを考えています。石板には、「この人、この家が確かにここに関わっていた」という目印を残す。詳しい情報は別に保存する。例えば、故人の名前。生没年月日。昔のお墓の写真。墓誌。家系図。お墓があった場所。本人や家族から預かった言葉。などです。
特別な人だけの制度ではありません
「うちには残すほどの歴史がない」と思われる方もいるかもしれません。しかし、存在の証で残したいのは、その人の功績ではありません。有名である必要もありません。特別な人生である必要もありません。普通に生まれ、働き、人と関わり、生活し、亡くなった。そのこと自体が、その人が存在したという事実です。だから、「この人は立派だった」と証明するのではなく、「この人がいた」とたどれるようにする。それが「存在の証」の考え方です。
すべてを永久に残すことが目的ではありません
人の記憶はいずれ薄れます。家族の形も変わります。名字も変わることがあります。お墓も永久には続かないかもしれません。西照寺は、それを無理に止めようとしているわけではありません。ただ、一度に全部が消えてしまわないようにする。名前だけでも残す。写真だけでも残す。場所だけでも残す。そして未来の誰かが知りたいと思ったときに、そこから少しだけたどれる。それでよいのではないかと考えています。
墓仕舞いをする。しかし、その人や家の記録までなくす必要はない。この二つの間に、新しい選択肢があってもよいはずです。西照寺では、その選択肢として、「存在の証」という取り組みを考えています。これは、新しい形式のお墓を作ることだけを目的としたものではありません。墓仕舞い後にも、「確かに、この人がいた」「確かに、この家がここにつながっていた」という手掛かりを残す取り組みです。
西照寺では今後も、実際の墓仕舞いの相談を受けながら、どのような形であれば利用する方やその家族に無理なく残せるのかを考えていきます。そして、「存在の証」で考えてきた、人や家が残したものを、どのように扱い、未来へつないでいくのかという問いは、さらに西照寺の別の取り組みへと続いていきます。
西照寺は、家族に今すぐ渡せない言葉や、未来に届けたい本人の思いを、本人の言葉のまま静かに預かる寺院です。
- 住所:埼玉県東松山市大谷2560-4
- お問い合わせ:0493-39-1445
