西照寺note第5回を公開しました
家族ではないから、話せることがある|親に聞いておく10のこと
親子だからこそ、聞けないことがあります。
そして、親にも、子どもに言えないことがあります。
西照寺では現在、「親に聞いておく10のこと」を作成しています。
これは、親の人生をきれいにまとめるためのものではありません。
感動的な言葉を引き出すためのものでもありません。
家族の歴史を完成させるためのものでもありません。
親が生きているうちに、無理なく、押しつけず、その人が大切にしてきたことに少しだけ触れられる入口を作りたい。
そのような思いから、少しずつ形にしています。
家族だからこそ、言えないことがある
家族は、とても大切な関係です。
近くにいるからこそ、支え合えることがあります。
長く一緒に過ごしてきたからこそ、分かることがあります。
言葉にしなくても通じることもあります。
けれど、近い関係だからこそ、言いにくいこともあります。
心配をかけたくない。
重く受け止められたくない。
今さら言うのが照れくさい。
言った後に、関係が変わってしまう気がする。
子どもに背負わせたくない。
親に踏み込みすぎたくない。
家族だから何でも話せる、というわけではありません。
むしろ、家族だからこそ言葉を選んでしまうことがあります。
家族だからこそ、黙ってしまうことがあります。
その沈黙の中に、大切な思いが残っていることがあります。
親子には、親子の役割がある
親子の関係には、それぞれの役割があります。
親は、親であろうとします。
子どもは、子どもであり続けます。
たとえ子どもが大人になっていても、親から見れば、いつまでも子どもです。
たとえ親が年を重ねていても、子どもから見れば、やはり親です。
この関係は、とても深いものです。
けれど、その深さゆえに、話しにくいことがあります。
親は、子どもに弱さを見せにくい。
子どもは、親の本音に踏み込みにくい。
お互いを思うからこそ、言葉を飲み込む。
そこには、冷たさがあるのではありません。
むしろ、相手を大切に思うからこそ、言えないことがあるのだと思います。
親が黙っていたのは、何もなかったからではないかもしれません。
子どもが聞けなかったのは、関心がなかったからではないかもしれません。
近すぎる関係には、近すぎるからこその難しさがあるのです。
家族ではない第三者だから、聞けることがある
家族ではない人に話すことで、少しだけ言葉になることがあります。
それは、家族よりも第三者の方が大切だという意味ではありません。
家族だからこそ担えることがあります。
家族だからこそ分かることがあります。
家族だからこそ、そばにいられることがあります。
けれど、家族ではないからこそ、聞けることもあります。
相手に心配をかけすぎない。
関係が近すぎない。
言った後の日常を気にしなくてよい。
評価される心配が少ない。
途中で黙っても、その沈黙を急かされない。
そうした距離があるからこそ、話せる言葉があります。
家族には言えないことでも、家族ではない誰かになら、少しだけ話せる。
それは、逃げではありません。
家族を避けているわけでもありません。
むしろ、言葉を壊さずに扱うために、少し距離が必要なことがあるのだと思います。
聞き出すのではなく、待つこと
ただし、第三者が聞くといっても、大切なのは「聞き出すこと」ではありません。
無理に深い話をさせることではありません。
人生を整理させることでもありません。
感動的な言葉を引き出すことでもありません。
大切なのは、話せる範囲で話してもらうことです。
言いたくないことは、言わなくていい。
思い出したくないことは、無理に思い出さなくていい。
言葉にならないことは、言葉にならないままでいい。
そのうえで、もし少しだけ話せることがあるなら、静かに聞く。
話の途中で沈黙があっても、急かさない。
まとまっていなくても、直さない。
意味づけしすぎない。
美しい話に仕立てない。
ただ、その人が話した言葉を、その人の言葉として受け止める。
西照寺が大切にしたいのは、そのような聞き方です。
一言でよいことがある
人が誰かに残したい言葉は、長い文章である必要はありません。
きれいにまとまった人生訓でなくてもいい。
立派な教訓でなくてもいい。
感動的な物語でなくてもいい。
ほんの一言でよいことがあります。
「ありがとう」
「無理しないで」
「あの時は嬉しかった」
「心配していた」
「大事にしてきたことがある」
「手を合わせることを忘れないで」
その一言が、後になって、遺された人の中で響くことがあります。
生きている時には、何気ない言葉に聞こえるかもしれません。
けれど、亡くなった後に、その言葉が何度も思い出されることがあります。
大切なのは、言葉の長さではありません。
きれいに整っているかどうかでもありません。
本人が、自分の言葉として話したこと。
本人が、残してもよいと思ったこと。
その人の口から出た言葉であること。
そのことに意味があるのだと思います。
西照寺が考えていること
家族の中だけで、すべてを聞くことはできません。
親子だからこそ聞けないことがあり、
親にも子どもに言えないことがあります。
だからこそ、家族の外に、静かに言葉を扱う場があることには意味があるのではないかと思います。
それは、家族の代わりになる場ではありません。
家族関係を変えるための場でもありません。
悩みを解決する場でもありません。
人生を評価する場でもありません。
ただ、言葉を急かさずに聞く場。
話せる範囲で話せる場。
言葉にならないものを、無理に言葉にしなくてもよい場。
そのような場があることで、はじめて話せることがあるのではないでしょうか。
西照寺では、家族には言いにくい思いを、静かにお聞きする場も必要ではないかと考えています。
答えを出すためではありません。
何かを決めるためでもありません。
無理に気持ちを整理するためでもありません。
ただ、誰にも言えずにいた思いを、少しだけ言葉にしてみる。
そのお手伝いを、西照寺ができればと考えています。
そして、その中で、もし「残しておきたい一言」が生まれることがあれば、
その言葉を、本人の言葉として、静かに預かることもできるのではないか。
今は、そのような取り組みも少しずつ考えています。
もちろん、無理に話していただく必要はありません。
言葉にならないものを、無理に言葉にする必要もありません。
言いたくないことは、言わなくてよい。
残したくないことは、残さなくてよい。
それでも、もし残しておきたい一言があるなら。
その言葉を、本人の言葉として、静かに預かる。
西照寺では、これからもホームページ・ブログ・noteを通じて、
「親に聞いておくこと」
「家族の中で言葉になりにくい思い」
「亡くなった後に残る後悔」
「家族ではないからこそ、話せること」
「本人が残した言葉を静かに預かること」
について、少しずつ発信していきます。
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