お墓って何だろう?(4)【中世以前は遺体放置】

実は、中世以前の平安時代、一般民衆(庶民)の葬送は風葬(ふうそう)といった形が主流だったのです。

つまり、庶民が亡くなると、遺体は屋外で風にさらされながら放置(儀礼を終えて)され、そのままにされていたのです。当然、遺体は鳥や獣によって食べられます。当時の都、京都の町中では、貴族邸宅の敷地などに、犬などが赤ちゃんや子どもなどの遺体の一部をくわえこむ事態が多発していました。

遺体の一部が、自宅の敷地にあれば、古今東西、人間の心情としても嫌なものです。ですから、当時の制度としても、遺体(一部でも)が敷地に持ち込まれた場合、その地や住人などが汚染されたと見なされ、いわゆる穢(けがれ)の考え方によって、公務などの日常活動を定められた期間、自粛するなどの決まりがあったのです。

因みに、この頃、陰陽師が全盛期を迎え社会的な活躍をしています。おそらく、穢れを払うなどの呪術的役割が求められた時代だったのでしょう。

このような事から、平安時代や鎌倉時代初期は、庶民のお墓事情は現在とは全く異なっていたことが解ります。つまり、庶民が亡くなると風葬となり、そもそも遺骨が残らない為、現代のような遺骨を納めるお墓はなかったのです。現代の感覚とは全く異なるお墓事情ですね。

因みに、なぜ風葬だったのか?と言えば、一説によると、仏教には死体を動物に施すのを功徳とする教えもあり、当時の僧侶の中にも、自分が死んだら必ず林野に置いて鳥獣に施せと遺言し、実行されたとの事実もあるようです。

そう考えると、鎌倉時代の僧侶親鸞も「自分の遺体は鴨川に流し、魚の餌にしてくれ」と生前述べていたことも理解ができます。

Author: YS
よりよい人生の送り方を、エンディングを通して探ってゆきます。

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