お墓って何だろう?(6)【中世以降は共同墓地】

▼お墓の始まり

中世(いわゆる鎌倉時代後半から室町・戦国時代)からは、各地に同時多発的に共同墓地が出現してきます。共同墓地とは、ある程度広いお墓専用の地を設け、地域の人達が共同で利用する遺体処置(火葬)の施設を伴った専用墓地のことです。

共同墓地ができた背景には、当時の僧侶の活動によるところが大きかったと指摘されています。

そもそも中世以前から僧侶にはお墓が造られていました。中世の頃、僧侶の中で、お墓の選定地となる場所にお経(写経)を埋め、経塚(お経を埋めて石塔などを建てた塚)を築き、その地に結界を設けて聖地化するという宗教的行為が盛んに行われました。この行為は、当時の風葬による遺骨の乱雑な現実に対し、庶民の宗教的需要を高めたのです。

▼「お墓をちゃんとしよう」という動き

想像してみれば納得しやすいですね。いくら金銭的な問題や、あるいは「遺体を動物に施す」との仏教的な価値観が風葬にあったとしても、遺体や遺骨が動物に食い荒らされている現実は見たくはなかったことでしょう。また、「穢れ」の恐ろしさも手伝って、庶民の潜在的な意識の中に、死者に対する宗教的行為が求められるようになったのです。

そのような現実に対して、僧侶が自分たちのお墓を聖地化し、亡くなった方の死後の安寧などを大事にする姿勢を見れば、庶民の宗教的需要は高まる一方だった事が想像できます。

さらに大事なことは、この時期に僧侶は自分たちの墓地に、庶民の被葬者も受け入れていくのです。

これらのような背景があって、中世以後は、各地で共同墓地ができてきます。多くの共同墓地では、お経を埋めた経塚が築かれています。

当時の共同墓地では火葬もあったようですが、土葬(遺体をそのまま土に埋める)も多く、さらには共同墓地の中で、遺体を放置(風葬)するなど、混在していたようです。因みに、共同墓地の中で火葬も行われていたようです。

Author: YS
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