お墓って何だろう?(9)【火葬場について】

▼日本の火葬の始まり

日本の火葬の歴史には、実は政治が大きく関与してきました。そもそも日本に火葬を導入したのは奈良時代(遣唐使で唐に渡った僧侶の進言から火葬が日本に入ってきました。その遣唐使の僧侶自身が遺言を残し、火葬したのが日本の火葬第一号だと言われています)です。それを当時の天皇家が受け入れ持統天皇が皇族で初めて火葬となったのです。それ以降、天皇家は火葬が基本となっていきます。(全体的には土葬と火葬は半々くらいだと言われています)

江戸時代、徳川家はキリスト教が広まるのを嫌い、仏教を重んじました。火葬も奨励されたのです。その為、江戸時代はお寺で火葬をしていました。これも政治的なことが関係しています。

▼火葬禁止??

その後、明治維新の時、明治政府は神道を重んじ、仏教を排除(廃仏毀釈)しようとし、結果お寺で行っていた火葬は明治6年に禁止されたのです(当時の火葬率は30%位)。

しかし、東京では土地が狭く、火葬が禁止されると土葬しかできなくなります。土葬には広い土地が必要となるとの事で、火葬禁止に伴い東京にできたお墓が今の青山霊園です。

しかし、青山霊園では埋葬者のお墓スペースが足らず、結局政府は2年後に火葬禁止を解除することになるのです。理由は、東京・大阪で土葬に対応できなかったからです。

しかし、政府は火葬を復活させる大義名分を、伝染病になった人は火葬にしないと公衆衛生上よくないと説明しました。自分たちの政策の失敗を認めたくなかったのです。ここから火葬場と墓地に関して、公衆衛生上の観点から考えられるようになるのです。


火葬の復活に伴い、政府は火葬場を取締りの対象にすることとなります。これまで火葬はお寺で担われていましたが、政府が取り締まることにより、お寺から火葬場の役割を奪い取ったのです。

結果として、火葬場は都市に作ってはいけない。火葬の煙は毒であるから、人民の生活圏外に設置しなければならない。遺骨をその場に捨てない。火葬場には煙突を作る必要がある。火葬場の建設や運営に国は援助をしない。などのルールが定められました。

これらの取り締まりなどが戦後に作られた墓地埋葬法に踏襲されてくることとなります。このような国の政策にもかかわらず、火葬場も墓地も国の補助金がないということで、日本は亡くなった後の後始末の問題については何も責任をとらないという世界でも珍しい国となったのです。

▼火葬率の高い日本

尚、日本の火葬の現状は世界でも突出しています。昭和56年で6割。70年末で7割。今は99.9%

さて火葬場は、伝染病になった方の最後の隠れ病舎の横に作られることとなっていくのです。必然的に辺鄙な場所に設置されることになるのです。よって、火葬場建設には皆が反対するものとなっていったのです。

これは規制の問題も影響した結果と思われます。しかし、最近火葬場は故人を弔う最後の場所として見直されるようになり、火葬場を良くしていこうという動きがでてきたことは、或る意味で良いことかもしれません。

Author: YS
よりよい人生の送り方を、エンディングを通して探ってゆきます。

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