年を重ねるほどにみなさん、割とさらっと、「思い残すことはない」「いつ死んでもいい」と言われます。
それ自体は本心からの言葉としても、「あなた明日終わりです」と言われたら、また違う感慨が湧くかもしれません。
親鸞聖人の残された言葉で「みづから流転輪廻をはかるに、微塵劫(みじんごう)を超過すとも、仏願力に帰しがたく、大信海に入り難し」というのがあります。
言葉の意図は諸説ありますが、簡単に意訳をすれば、「何度生死を繰り返しても、生の苦しみ=愚かな自分の思い、未練、煩悩を断ち切れずにいる」となります。
心の奥底にある、山のような未練を自認してみませんか?
目次
▼ストレスの根源
例えば客観的に考えて、40年前の時代はみな、今よりずっとストレスの少ない生活を送っていました。それは経済や仕事の在り方もありますが、「人のつながり」が人を支えていたことが大きいと考えられます。
仕事や勉強にかこつけて自分の事だけ考えればよい方向にどんどん進み、それが楽なように思えて、実は新たな苦しみを生んだ背景があります。
誰かとかかわり、誰かを支えることは、実は支えてもらうことにもなっていたのです。
▼子供の未来を支えること
例えば今の時代子育てをするのは、40年前に比べてずっと大変になっています。
お金もそう。誰かが見てあげなければというのもそう。誰かが話しかけて、大人になる階段を拓いてあげるというのもそう。
これをすべて親がやらねばならない。できません。本来ムリなのです。地域の交流がすっかり絶えた分、そういう「地域全体で人材を育てる」という発想が途絶しました。
だから子供が増えません。人が増えません。人口増は、社会の幸せ・国の発展には欠くべからざる要素なのですが、先進国はこぞって、それを捨てる方向で歩みを進めてきました。
もう限界と思われます。
このことについて、何かできないか。西照寺では様々な角度から思案検討から試案を重ねてきています。
ここがうまくいくすべがあれば、あなたの思いがあとに伝わり、形に残せ、子どもの未来も拓けるのです。
こんなことがなぜ未練と向き合うことに結びつくのかは、次回以降でおまとめします。