そもそも中世以前から、一部の僧侶にはお墓が建てられていました。当時、お墓が建てる事ができたのは、天皇や貴族の一部の有力者と、僧侶でした。それ以外の庶民は、風葬が多かったのです。
例外としては、屋敷墓(やしきばか)というお墓がありました。要するに、庶民の中でもお屋敷を新設した初代の主だけ、特別に屋敷の敷地内にお墓が建てられました。
当時、屋敷を建てるという事は、一族の初代と見なされるほど大きな事業だったのです。ですから、今後も屋敷(一族)を護って欲しいとの思いで、いわゆる一族の護り神的な意味合いで建てられたお墓だと言われています。
中世以前は、いわゆる社会的上層部の有力者しか建てられないお墓ですが、いつの時代においても、社会的上層部のやり方を真似したいと思うのは、時代を問わない人々の志向なのかもしれません。