お墓って何だろう?(10)【現代のお墓】

明治期に墓地は大きな変化を迎え、これまでの宗教的な要素以上に、公衆衛生上の観点から捉えられ、現代の墓地の概念形成がなされ、法律上の規制が生まれてくることとなるのです。

因みに、昭和23年に施行された「墓地、埋葬等に関する法律」の第1条には

「この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。」とあります。

▼お墓を集める

これらの規制が出来上がったことで、墓地は個別の設置を許されなくなり、一か所にあつめて管理者を設置する共同墓地が推進されてきました。例えば、公営墓地、寺院墓地、公園墓地などです。日本初の公園墓地は、大正時代に設置された東京の多磨墓地(多磨霊園)です。その後、千葉県の八柱霊園、横浜の日野墓地、大阪の服部霊園などが出来てくることとなりました。

以上のように、現代の墓地規制の背景には、明治期から昭和初期にかけての社会状況が影響しています。その当時は、家社会が基本であって、家督制度(明治時代の制度で、長男が全ての財産を相続する)が当然の社会でした。

▼家の価値⇒お墓の価値に

人口増加に向けた社会の流れがあり、現代のような少子高齢化問題等も予想できない時代です。従って、お墓も「〇〇家ノ墓」と墓碑に刻まれ、お墓の相続が当然と考えられ、何世代に渡っても継続していくお墓の価値観が生まれました。

さらに日本の経済発展に伴い、高額で立派な墓石のお墓が建墓されてきたのです。

Author: YS
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