日記

お寺の活動の核をみつけていく作業

おはようございます。副住です。
ブログが更新できずにいた、この一か月弱で
意識してなかったのですが、自然と考えが深まりました。
西照寺の果たすべき役割に関してです。今まで、色々とあーだ
こーだと言ってきて、近年纏まってきました!と話してきたと
思いますが、たぶん、現状が最終局面位にいるのだろうと思って
います。西照寺の活動の核がしっかり見えたように思います。
なぜ、そうなったのかと言えば、この一か月の中で、研修会の講
師のご依頼があったり、異なる研修会そのものに参加者として受
講したり、様々な環境が影響したのだと思います。
また、現:西照寺初代住職である父の思いや、これまでのお寺
づくりに関する取り組みなどを聞いてきた話が、自然と総合
してきたのです。
これまで、何となく近づいていたのですが、それが明確に
絞られたような気がしてます。
20代前半の頃から、今後のお寺に不安を感じながら
何をどうすればよいのかもわからず15年近く過ごしてきました。
35歳頃、非営利組織の経営についての塾があることを知り身を
投じました。そこで学んだことを、あれこれと実践の中で理解を
深めながら、足掛け7年。ついに、西照寺が歩むべき道、いや
歩んでいた道が明確になったわけです。
昔から自分の能力の無さには自信を持っていたつもりですが、
ここまで苦労するとは。7年経って、ようやく基本が理解という
か、土台が理解できた!ということです。
そもそも僧侶になりたいのか?も判らず、それなら教義を勉強し
てみて、納得できなかったら、僧侶とならずに、自坊を飛び出そ
う!と思いながら、人生をかけて勉強した挙句、教義に納得して
しまい、お坊さんやってもいいか!と24歳頃に納得したのです。
しかし、お寺を運営していかなければならないことは、教義に納
得することとは別問題。私の場合、僧侶になることには納得した
けれど、お寺を運営・経営していかなければならない課題に対し
ては、解決策がないできました。
その当時、京都のあるお寺でお手伝いをさせていただきながら、
お寺の実情を俯瞰してました、そこで感じたことは「お寺の存在
価値って?」との疑問と、今後のお寺ってどうなっていくの?
という不安。
そこから考えれば、現在に至るまで足掛け20年。
ようやくお寺というか、西照寺の存在価値について、核が明確に
なったように今は思っています。
20年って。ここまでくると、西照寺の核を明確にするだけでも
一世代の仕事となりますよね。まぁ、私の能力の無さで、こんな
に時間がかかってしまったんだけど、そもそも相手がお寺という
数百年も日本の中で続いてきた存在だし、これまで時代的にも
存在意義なんて問われてこなかったものだろうし。
そもそも存在価値を問うということが、時代の流れの影響だろう
し。現在という時代に合わせると、お寺の「存在価値の明確化」
を行うことで、お寺の使命などが理解でき、活動がわかりやすく
なり、しっかりとしたお寺の特徴がだせるし、そこがしっかりと
だせることで、世間の皆さんが、お寺ってどういう場所なのかが
分かりやすくなり、お寺に共感してくださる方がでてくる可能性
が高まるという事なのでしょう。ここが疎かになるから、今の時
代、お寺に人が集まらなくなって、お寺も運営できなくなってい
く。だからこそ、お寺の存在価値を明確にしていくことは、大切
である!とのことなのです。たった、それだけのことを行うのに
7年もかかってしまいました。日々、そんなことを考えながら
色々な情報を仕入れながら、歩んできたのです。
しかし、数百年も続いているお寺には、様々な側面があって、教
義を弘めるという大義名分だけに特化した活動をしているわけで
はなかったのです。お寺には、日本の精神文化も大きく関係して
いるし、そこには教義に触れられていない部分のこともあったり
しました。それはそれで、とても重要なことでした。
そんなことをトータルすれば、数百年の営みを、7年で総括し
核を見つけるという作業は、むしろ超早い位ですね。全体をしっ
かり把握できていない可能性の方が、はるかに高いのです。
そういう意味では、株式会社みたいな、割と近現代に出来上がっ
た会社などの方が、よっぽど歴史がない分だけ、存在意義を明確
化しやすい対象なのかもしれません。
それにしても、お寺って、本当に特殊だよなぁ~。
 

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