西照寺 樹木葬の特徴 

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おはようございます。住職です。

今日は朝から晴れて良い天気となっています。少し気温は低いですが秋晴れです。

今日は、西照寺の樹木葬に埋葬されている方に、ある会社の幹部の方がお参りになる予定です。

埋葬の場所のご案内と、幹部様のお参りの予定を、樹木葬のご利用者様からご依頼ご報告を受けたので、

西照寺としても、天候が晴れたので良かったなと思っています。

西照寺の樹木葬は、桜とハナミズキの木々を表象として、その樹下の土にご遺骨を納骨する形態です。

特徴としては、永代個別に埋葬し、ご遺骨を土に還していくことを意識しています。

まさに、遺骨を自然に還していく形ですね。

それが今どきの皆様の意識と合致しているようで、段々と残数が少なくなってきました。

西照寺の樹木葬は、ご遺骨を納骨する時、骨壺から専用の袋に移し、各個別納骨スペースエリアの石蓋を

開け、深さ60センチほど下の土の上に置く形で納骨します。

あとは、自然の働きに任せ、ご遺骨が土に還っていく仕組みです。これを大切にしているのです。

個別のまま土に還っていける部分が、他の樹木葬にはあまりないようで、そこが特徴になっています。

また、ペットと共に入ることが出来る点も、非常に喜ばれています。

https://saisyoji.jp/%E8%A5%BF%E7%85%A7%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%A8%B9%E6%9C%A8%E8%91%AC/

来月、東松山地域にチラシを入れるようです。ぜひ、ご覧ください。

因みに、私からのお願いで、文化財鑑賞会の情報も加えてもらうと思います。

その為、少し情報が多く、統一性がないチラシになるかもしれません。

せん。(笑)

周りに流される時もあります

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おはようございます。住職です。

今日は寒い一日との事です。小雨も降っていて、確かに寒いです。

さて、最近私はなぜか上手く事が運びません。そんなめぐりあわせなのかもしれませんね。

特に自分に問題があった!とかというよりも、私の周りの環境が上手く運ばないような印象です。

これまでは、上手く回っていたように思えましたが、急に流れが悪くなったような感じです。

その分、心配事が増えています。

もっとも、私はお気楽なタイプなのか、仕方がないな。と内心思っています。

物事、なるようになる!

上手くいかなければ、それを受け入れるしかないのです。

それに逆らって、何で上手くいかないんだ!と血眼になったところで、どうにもならないこともあるのだと

思うのです。

要はバランス。何でもかんでも、自分の思い通りにはならないし、かといって、何でもかんでもなるように

なる!と他人任せになるのも違う気がします。

そこら辺のバランスが非常に重要ですね。どちらにも偏りすぎず、上手い事バランスを取りながら受け止め

ていくことが大事です。

もちろん、ストレス溜まりますが、しかしバランスを失って、右往左往して苦しみの渦巻きに入っていくよ

りも自分を保てるので、苦しい中ではあるけれど、苦しみに飲まれ過ぎないようにしています。

これも仏教が身に染みているおかげかも。

西照寺 寺宝展示会 

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おはようございます。住職です。

西照寺では、11月3日 文化の日に合わせて、寺宝の展示会を開催いたします。

西照寺 文化財鑑賞会です。

ぜひ、お越しいただき、本物のパワーを感じていただければと思います。

日本刀もありますので、お子様にも見ていただき、好奇心を抱いていただけると思います。

詳細は、以下のリンクからもご覧いただけます。

https://saisyoji.jp/bunkazai/

ストーブ 登場!

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こんにちは 住職です。

昨日から、いきなり寒くなって、今日も曇りなので、とても寒く感じます。

もう、ストーブが必要だと思われます。物置から出しましょう!

灯油ストーブは、とても暖かいから冬場は重宝します。私には欠かせないアイテム。

早いんだけど、今、今後の寒さを考えると、恐ろしくて物置から出してしまいました。

あとは灯油! 最近、値上がりしてるみたいだから、早く買っておこう!と思います。

西照寺 文化財鑑賞会

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おはようございます。住職です。

いよいよ寒さを実感してくる季節が始まってきたようです。今朝は雨で気温も若干低くなってます。

明日からもっと寒さを感じる気温となりそうなので、覚悟していこうとかと思っています。

新型コロナウイルスの感染者数も猛烈に減って、東京では100人を下回る日が続いています。

この程度であれば、いつも通りの感染対策をして、活動を再開してもいいと思えます。

そこで、西照寺では秋の文化財鑑賞会を再開することにしました。

例年通り文化の日 11月3日に開催をする予定で動いています。

当日、一日の開催です。

このような状況ですから、一応、予約制にしてみます。

できれば、お子様にも見てもらいたいです。

日本刀などもあるので、ぜひじっくりと見てもらい、何かを体感してもらえれば、開催趣旨に合う為

嬉しいのです。

本物から何かを与えてもらう! それを生きる気力にしてもらえるようになるのであれば、最高です。

それだけが願いなのです。

体感できるかできないか、これが非常に重要なのですが、その前に、本物を見る機会がないと感じることも

できません。まずはその環境を整えることから始めています。

今後、新型コロナウイルスの感染者数が飛躍的に上昇しない限り、開催する予定です。

世界を目指せ、西照寺!

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こんにちは。住職です。

仏教は地に足がついており、長い歴史の中で、多くの僧侶が生き方の見本を示してくださっています。

つまり、生き方を伝えてくれる先人がいるのです。

仏教に基づく生き方を今風にアレンジし軸とすると、これ以上ない生き方のアイデンティティになり得るは

ずです。

あとはお坊さんのそれぞれが、仏教の生き方をどのように今風にアレンジして、社会に提示できるか? 

今を生きている人間に対して、アプローチできるのは、今を生きているお坊さんだけです。

すでに亡くなってしまっているお坊さんには、それは出来ないのです。

亡くなっているので、実際に話すこともできないし、会うこともできないのだから。

また、今後人間の作業を奪うと懸念されているAIにもできません。AIは実際に生きていないから。

これからの西照寺は、大変厳しく難しい道ですが、世界から必要なお寺として生き方の軸を整えていくサー

ビスを生み出していこうと思っています。

西照寺のアレンジした仏教の生き方に共感してくださる方々を創り出し、新たなコミュニティーを築いてい

きたいと思っています。

この時代ですから、距離は関係ありません。

ネットで繋がることができます。

もちろん、時には現場として西照寺に来る価値も当然でてきますが、今出来ることは、昔よりも手軽に色々

な事が出来るのです。

いずれは英語や外国語もやらないといけないかもしれません。

だって、生き方のアイデンティティを示していくのに、日本人に限定する必要はないでしょう。

ネットで繋がれれば、距離も関係ありません。

最終的な目的地は世界です。

最終的には壮大な事を考えていますが、なにはともあれ、現実的に生き方に共感してくれるファンをまずは

一人つくることから始めないと・・・

言っていることは大きいんだけど、実際のところの影響力は相当小さいな。( ノД`)シクシク…

生き方の拠り所(どう生きていけば・・・)

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おはようございます。住職です。

今朝は目覚めが早すぎました。4時に目が覚めてしまいました。

まだ頭は眠いのに、目が覚めてしまうのですから、辛いのです。

寝不足 イメージ (フリー画像引用)

さてさて、連載の続きです。

これまでは、自分を取り巻く外部環境(地域社会や国や一族など)によって、否が応でも、ある種の強制的

生き方の枠が勝手に定められていたのですが、個人化する流れの中で、それらの力が勢いよく失われてきた

のです。

ここが近年新たに起こってきた日本人の問題だと私は考えています。

この生き方のアイデンティティの問題は、人間の根本的な問題となり得ます。

ですから、これを抜きにして生きていくことは、危険なのです。

生き方のアイデンティティが形成できなければ、人生において、時として何か問題が起こった時に、猛烈な

自己不信に陥ってしまう可能性もでてくるでしょうし、時として重要な決断を下さねばならない人生の岐路

で、自己が進むべき道が明確に決断できず、右往左往する結果にも繋がるように思います。

右往左往 イメージ(フリー画像引用)

つまり、何となく生きてしまう人間をつくりだしてしまうのです。

「何が良くて、何が悪い」との判断軸を構築できるのは、自己の生き方の拠り所次第によって変わります。

人生の中で重大な決断をしなければならない局面に出あう際、もっとも頼りとなる判断軸こそ、

自分の生き方のアイデンティティです。

それがあれば、多様性の中でもしっかりとした自己主張が保てるし、責任ある決断もできるのです。

逆に、それがなければ、自己がわからず、右往左往する人生となってしまいます。

おそらく、自分がよくわからず、周りに流され右往左往する人生を好む人はいないと思うのです。

なぜなら、周りに巻き込まれ右往左往する人生は、疲れるからです。

悩み疲れ イメージ(画像引用)

生き方のアイデンティティは、個別に自分勝手に養えるものではなりません。

そもそも自分なんて、地に足がついていない生き物です。間違いだらけです。

だからこそ、頼りない存在なのです。

私は、実はこの生き方のアイデンティティの拠り所になり得るとすれば、それこそが仏教なのではなかろう

か?と思っているのです。

私は、これまでの2500年を越える仏教の歴史の中で、今ほど仏教の力が発揮できる時代はないのではないだ

ろうか!?とさえ思っているほどです。

運動再開

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こんにちは 住職です。

連載をしてきましたが、今日はちょっと別の話題です。

私は今日から、久々に運動を再開しようと思っています。

今朝は、軽くやってきました。

9月に入り、雨降りが続き、さらに昨年私は秋のお彼岸頃から咳喘息を再発したこともあり、

運動で疲れが溜まっていたこともあって、今年の秋は慎重に過ごそうと考えていたのです。

9月に入ったと同時に、天候不順が続いたこともあり、さらにワクチン接種もあったし、体調を

優先したのです。10月4日に2回目のワクチン接種を終え、今日で一週間が経過したこともあり、

体調と相談しながら、今日は再開してみました。

因みに、2回目のワクチンで、私は副反応がありました。

非常に身体が怠くなり、翌日に発熱。一日発熱していましたが、風邪薬を服用したら、解熱して

翌日には快復できました。

咳喘息と、ワクチンの副反応などを考慮し、慎重に過ごしてきました。

今は、普通に過ごせているので、運動を再開してみたのです。

明日から、涼しくなるそうなので、体調の変化と相談しながらですが、運動継続を再開できたら!と

思っています。

一応のご報告でした。

アイデンティティ

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おはようございます。住職です。

これらのように、以前は生き方のアイデンティティの根源が、自分の外の環境から自然と作

られていたのです。

それが戦後教育の中で個別化の価値観が進み、現在の日本では地域社会が崩壊し、個人化が進みました。

画像引用 persolさんより

さらにインターネットの影響で世界と簡単に繋がれる状態となり、多様性を尊重する社会が創られつつあり

ます。

これは素晴らしいことだとは思いますが、個人化と多様性を認める社会が進んだことで、これまでの自分の

外部からの影響が剥ぎ取られてしまいました。

いわゆる地域社会だったり、家制度だったり。

それらが剥ぎ取られた結果、肝心の個人個人の生き方のアイデンティティが自然と形成されず、一人ひとり

に委ねられてしまったのです。

しかし、どうやって生き方のアイデンティティを見出していくのか、そんな経験をしたことない人達ばかり

です。

結局、どう生きていくべきなのか?自分の生き方のアイデンティティが見失われる結果が、現在の時点なの

だろうと思います。

拠り所

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おはようございます。住職です。

おそらく、今後のお寺の役割は、個人個人の生き方の中心軸となっていけるかどうか?だと私は思っていま

す。

多様性が求められる現代。

色々な人の存在を認め合う社会。

しかし、その根本となっている個人の生き方の拠り所まではまだ問われていません。

むしろ、個人個人に視点を当ててみると、それぞれの生き方の拠り所が脆弱である可能性があります。

人間一人だと寂しいものです。

どう生きて行けば良いのか?自信が必要なのですが、その自信が持てないのです。

なぜなら、拠り所がしっかりと確認できていないからです。

拠り所は、木の支えとなる部分の根っこのことです。(イメージ画像引用)

例えば、上の画像で例示すれば、木の根っこが、拠り所となるでしょうか。

そこがしっかりと根付いていれば、木の幹として例えられる「自分は何者なのか?」という部分がしっかり

できてきます。

画像には、幹の細さは関係ないと書いてあるけど、根っこがしっかりしていたら、幹は太くなるはずだと私

は思いますが。

また、木の枝の部分は例えるならば「自分がどう生きて行けばいいのか?」という部分に例えられるかも。

より進展させれば、自分がどのように生きているのか? どんな行動をしているのか? どんな人生を歩ん

でいるのか?など、そんな部分が枝の部分だと思います。

画像では、木の枝(太さは関係ない)とありますが、拠り所となる、根っこがしっかりしていて、幹も太け

れば、枝も必然的に太くなると私は思います。

このように、自分がしかりと自信をもって生きていくには、拠り所が必須だと私は思います。

自分が何を大事にしているのか? 自分は何者なのか? 自分はどのように生きて行けばいいのだろうか? 

とても漠然とした問題ではあるけれど、充実感をもって生きていくには必要不可欠な部分です。

特にこれまで(高度経済成長期頃)の日本社会では、生き方の道標は、地域社会の中にあったと思われま

す。

地域の眼を気にしながら、生き方のアイデンティティを構築されていったのです。

アイデンティティ=自我同一性と日本訳されます。 (画像引用)

その前(明治期から戦争後頃まで)は、おそらく天皇中心の国家観だと思うので、日本国や天皇が拠り所と

なっていたはず。

それ以前(江戸時代だったり、広くは武家社会)は、おそらく家族や一族が拠り所だったと思われます。

特に武士家系であれば、家に伝わる刀剣こそが生き方の象徴だったのかもしれません。

西照寺蔵 11月3日開催の文化財鑑賞会にて展示予定