人事異動

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おはようございます。住職です。

私は築地本願寺にある、教務所という部所で非常勤勤務しているのですが、人事異動に伴い、

上職が交代となりました。

しかも今回の人事は、これまで築地本願寺に関わっておられた上職の異動が多かった為、私もその

影響を受けることに。特に直属の上職の交代は、当然ながら、影響は大きいものです。

そこで、新たな上職の指示に従いながら、また、私の要望もお伝えしながら、私の任務を前進させたい

と思っているのです。その為には、まずは意思疎通をしっかり行わなければならないので、突然ですが、

これから築地本願寺に出勤し、ひとまずご挨拶とできれば、これまでの私の所感などをお伝えしたいと思い

ます。

いやいや、人事とはわからないものですね。比較的大きな組織だと、上職が交代することで、判断が異なっ

てくるケースがでてくるので、仕事も進め方も、都度変わってきます。

まぁ、組織ってそんなものなのでしょうけど。

筋トレ

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今日は、先日綴った私の筋トレのその後について、勝手にご報告申し上げます。

数年前に購入した筋トレ器具。

折角購入したのに、自宅や書斎に置けない(床が傷つく恐れと、そもそも部屋が狭かったから)で、物置

に入れっぱなし状態になっていました。

ウォーキングを止めてしまい、筋トレを思いつき、ついに物置から取り出すことに。

人工芝を引いている場所があったので、屋外だけど、そこでいいじゃん‼ と思いつき、これでやることに

当初は、腹筋20回で、お腹が筋肉痛となってしまい、腕立て伏せも10回が限界。

その後、なるべく毎日やるようにしていて、腹筋は筋肉痛が治まってから不思議と30回でも余裕に。

今では、腹筋30回、背筋30回が普通です。やろうと思えば、腹筋50回はキツイけどいけます。

背筋は50回も普通にできるでしょう。

問題は、腕立て伏せです。今は20回が限界。

現時点の筋トレメニューは、腹筋背筋を30回。腕立て伏せを20回。一日一セットのみ。

無理なく続けられるようなメニューじゃないと、続かなくなるし、できれば毎日の方が良いし。

それで、自分なりに無理ない感じで、今は上記のメニューとなってます。

腹筋と背筋は、毎日全然できます。腕立て伏せが一番少ないのに、毎日20回がシンドイ。

なので、私は腕と胸筋が弱いのかもしれません。体重が重くなったということもあるでしょう。

なるべく身を引き締めたいと思います(笑)

恩師からの謹呈本

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おはようございます。住職です。

私には、これまでの人生で特に影響を与えてくれた先生が4人います。つまり、恩師ですね。

一昨日の事ですが、私が大学生の時、私の人生に大きな影響を与えてくれた第一番目の恩師である、

武田先生から謹呈書として、先生のご著書が送られてきました。

武田先生は、私の大学時代の指導教授です。因みに、大学院(修士・博士)でも指導教授。

先生と出会ってなければ、私は浄土真宗の教学について、あまり勉強しなかったでしょうし、お寺を継ぐか

どうかも悩むことはなかったと思われます。

武田先生と出会うまでは、恩師と呼べるような、私の人生に深すぎる影響を与えてくださった方と出会わな

かったので、そういった意味で、武田先生が第一番目の恩師となるのです。

さて、一昨日、先生から謹呈書が届いたのがこちら。

箱をあけてみると。。。

当然ながら、専門書ですよ。 第一印象「先生、書かれたんだ。スゲー!!!」

その直後の第二印象「ちょっと分厚すぎでしょ。先生、これじゃ読めないかもよ(不安)」

その分厚さが気になって、計ってみました。

本で8センチって!!! しかも専門書。 さらに武田先生の文章は難しくて内部では有名。

知識の幅が広いし、国際的で英語はペラペラ。

キリスト教神学や西洋哲学、東洋哲学にも精通してるので、こっちの知識が全然追いつかないのですね。

因みに、科学も勉強しているし、当然ながら、基礎である専門の真宗の伝統宗学も抑えています。

なので、学生時代、時に何言ってるのかわからないのです。

「ホワイトヘッドが言っているだろう」「西田(幾多郎)が言ってますね。絶対矛盾の自己同一と」

など、浄土真宗の講義を聞いているのに、「それ、誰?」と思う人の名前や単語が連発。しかも

こっちが知っていて当然とのスタンスで講義をされるので、知識が乏しい私は追いつけないのですね。

学生時代の私はよく思ってました。「どうなってんだ、この先生。モンスターなんじゃ???」

そんな訳で、懐かしい回想でしたが、先生は大学を退官された後でも、こうやって執筆活動を続けられ

人生をかけて研究者としての姿勢を見せてくださいます。

そんな先生も齢80を超えられていて、私達に対する遺言みたいなものだから!と電話で言ってくださいまし

た。

先生の質の高さを知ると、改めて、自分の出来損ないぶりと、今の自分の姿勢さえ恥ずかしくなりますね。

世界の核のコンセンサスが・・・

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おはようございます。住職です。

昨日、朝日新聞のネット記事でした。

記事のままですが、「核軍縮」「核不拡散」「原子力の平和利用」を三本柱とする「核不拡散条約」

(NPT)の会議が最終日を迎え、ロシアが同意をせず、否決されたと報じられました。

ロシアが、当会議の「最終文書」の採択で、どの箇所に同意をしなかったのかは不明ですが、基本的に

当会議の内容は、「核軍縮」「核不拡散」「原子力の平和利用」の三本柱からの逸脱はないでしょうから

ロシアの否決内容が不明ではあるものの、普通に考えれば、これまでの世界の核に対する常識が崩れてきて

いることを表しているのだろうと推察します。

つまり、ロシアがウクライナに侵攻する以前は、NPTの会議で世界的なコンセンサス(意見一致)がとれて

いたわけで、そこには、核に対する上記三本柱の内容が重んじられていたのだと思います。

それほど、核は人類にとっても世界にとっても、大変な脅威であるわけで、特に核を保有する国々のコンセ

ンサスがなければ、安心できない世界となってしまうわけです。

これまでは、コンセンサスがとれていたわけで、だからこそ、それが当たり前の姿でした。

だからこそ、今後の世界では核は使われないし、戦争も起きないよ!と言われていたのです。

それがロシアがウクライナ侵攻を始めた今年の2月以降、核の使用さえも仄めかしたプーチンの発言以降、

当たり前のコンセンサスさえ、合意できない状態に。

大変な世界になってしまいました。

今後の世界では、核戦争もあり得る!という考えも現実味を帯びます。

もちろん、そんな事考えたくもないし、あり得ない!と思いたいです。

しかし、もう現時点で、それはあり得るのだと思います。

人類は愚かです。

もはやここまでくると、NPTだろうが、国連だろうが、常任理事国だったロシアがこうなってしまった以

上、以前のように纏まることは難しいでしょう。特に、短期においては。

だからと言って、気持ち的にはロシアを常任理事国から外し、制裁を!と思いたいけど、それをやると

ロシアは中国と組んで、新しい自分達中心の秩序を構築しようとするでしょう。

世界は、これまでの旧来型の世界秩序と、新しい世界秩序の真っ二つとなってしまうでしょう。

それをさせない為には、ロシアを取り込みながら、弱体化させていくしかないのだと思います。

あるいは、中国を取り込み、ロシアと新しい秩序をつくらないように、繋ぎ留めておく必要がありそうです

中国的には、ロシアと新しい世界秩序を構築する動きをしだしてもおかしくなさそうです。

もし、そっちに舵を切るならば、台湾侵攻が始まるでしょう。

しかし、現時点では、そこまでいっていない。

アメリカは中国が台湾に侵攻しないように、目を光らせている。

これらの動きを見ていると、未だ中国は現状の秩序に留まっている方が、新しい秩序を構築するよりも

都合が良いと判断しているのでしょう。

新しい秩序構築に向けて、台湾を侵攻すれば、もしかしたらアメリカと戦争となるかもしれないし、

犠牲が大きいと判断しているのかもしれません。

いずれにしろ、今はまだ様子見なのか、損得勘定で、現状維持の方が傷は浅いとの判断なのでしょう。

しかし、状況が変わってくれば(例えば、アメリカの弱体化や他国への無関心姿勢など)、もしかしたら

中国は動くかもしれませんね。その時、我が国、日本はどうなってしまうのでしょう?

状況によって、右往左往するような慌てふためく日本となるのでしょうね。

今のうちから、覚悟を決めておくなり、方針くらいは決めておいて欲しいものですね。

それが政治家だと思います。状況状況によって、政治は変わるとは思うけど、独立国としてのアイデンティ

ティーくらいは持っておかないと、示しておかないと、相手国からバカにされてしまいます。

知っている人が次々亡くなる

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おはようございます。住職です。

今朝も、西照寺のご門徒さんの訃報が届きました。

私の実感なのですが、特に今年に入ってから、お世話になった恩師や良く知る方が立て続けに

お亡くなりになるので、本当にいつ死ぬのかなどわからないな。今、できる事をしておかなければ!

と強く思うようになっています。

私は45歳なのですが、この年齢になると、私が知っている(TVで見たことある)芸能人の訃報に接したり

実際に知っている方の訃報に接することが多くなります。これは自分の年齢と比例して、多くなっていきま

す。私は僧侶ですから、立場上、普通の人よりも訃報に接する機会は多いと思います。

そんな私でも、最近特に、縁が深かった方の訃報に度々接すると、あるいは私の現在の心境とも関係がある

のかもしれませんが、命の儚さを感じ入り、自分もいつ死ぬのかわからないな。と思うようになってくるの

です。不思議と。

折角、この世界に生れることができて、今、有難いことに、元気に生活ができている。

だからこそ、今のうちに、やれることはやっておかないと!と思うのです。

後悔先にたたず。

自分の死が迫り、身体が思うように動かせなくなってから、やり残した事に気づいても遅い。

だからこそ今、自分がこの世界で何を果たすべきなのか?を大事に、取り組まねばならないと思わされま

す。数日前に使命について綴りましたが、私の現在の心境も影響しているのだとは思いますが、

訃報に接することで、命の儚さを感じます。

偉そうなことを言いながらも、日々やらなければならない事に集中できるかと言えば、そんな事もなく

相変わらず、サボりたいし、楽したいし、遊びたいし、自由にしたいとの思いはいつでも出てきます。

そこと上手に付き合いながらも、やらなければならない事も進めて行かねばなりません。

40歳越えて 筋トレを無理なく始めてみる。

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おはようございます。住職です。

私がコロナに感染した7月16日(朝から高熱で、クリニック検査で即、陽性判明)以降、毎朝続けていた

ウォーキングを止めることとなりました。

隔離解除後も咳喘息が悪化してしまい、お盆前までコロナの影響に苦しんでいたので、歩けなかったし、

その後も、後遺症問題を調べたら、感染2ヶ月くらいまで注意した方が良い!との情報がありました。

今のところ後遺症はなさそうに感じているので、再開して後遺症が出てきたら嫌だと思い、今も止めている

のです。

しかし、運動を止めてしまうことで、どうしても体調も芳しくないのですね。

特に、最近は睡眠障害に陥っています。ちゃんと眠れたと思える翌日は、全然眠れなくなるのです。

全然スッキリ眠れなかった!と感じる一日を終え、翌日は、寝れる。そんな睡眠の良し悪しを交互に繰り返

す状態。たぶん、疲れていないのかな。と思ったり。さらに、運動を止めれば、どうしても太ってきそうだ

し。そこで、軽めに運動!と考え、筋トレをはじめてみることにしました。久しぶりの筋トレです。

いざ、やってみて驚きました。腹筋を20回やっただけなのに、筋肉痛が。軽めの筋肉痛だけど。

一番驚いたのは、腕立て伏せ。全然できないの。20回やるので大変。

学生時代(大学)なんて、体重も軽かったからか、60回70回くらいはできていたと思います。

もちろん、一時的にやる!という感じですが。

それが今や20回やるのが大変。因みに、背筋は全然余裕。

一番大変なのは、腕立て伏せ。これが1回やるのに限界が、20回ほど。

腹筋も同程度で、1回につき、せいぜい30回位。背筋は全然いける。

そんな感じになっているのです。筋肉がないんだ!と思うのと同時に、学生時代よりも太ったからか?とも

思えています。因みに、学生時代は53キロ程度。そして今は65キロ程度。この15年で12キロ位太ったことに

なります。痩せないと。。。

今後は、ウォーキングをしばらく止め、筋トレを続けていこうと思ってます。

でも、過剰な筋トレは嫌なので、少しづつやっていこうと思ってます。

今は、一日一セット、腕立て・腹筋・背筋をそれぞれ20回やる!から始めてみます。 

首都高 料金高すぎだよ。

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こんにちは 住職です。

昨日は、久しぶりに築地本願寺に出勤してきました。車で。

ETCカードを忘れて、関越から、外環、さらに首都高を通るルート。

関越自動車道の東松山インターから乗って、首都高の銀座インターで降りるのです。

久しぶりに、車で行ったことと、ETCカードを忘れてしまった為に、現金払いとなったことで

驚かされることに。

まず始めの関越自動車道は、東松山インターから練馬インターまでで1440円。

これは問題ないというか、そんなものだろう!と思い、特に気にも留めませんでした。

因みに、距離的に言えば、40キロくらいか!?

そして、練馬JCTから、外環自動車道に入ります。ここで新たに料金が発生。

1040円だったかな!? お、結構高いな!と思いました。

外環自動車道を通る理由は、首都高速に乗る為なのです。

関越自動車道と首都高は繋がっておらず、外環を経由しないといけないのです。

だから、外環を走る距離は、おそらく7キロ程度なのかな。10キロ弱くらいと思います。そこで1040円。

そこまでは、まだ良かったのですが、今度は外環から首都高に入ると、首都高の料金が。

それが1950円。思わず、「高いよ!」と口ずさんでしまいました。さらに、なんでこんなに高いんだ!!!

と不満が。近年はETCカードで、いくら払っていたのか、わからなくなりましたが、確か首都高は銀座まで

昔は850円程度だったような気がしていたのです。

あまりの認識の違いがあって、ネットで調べたら、2022年の4月から首都高の料金が改定されたらしいです

さらに、ずいぶん値上がったらしく、悲鳴が綴られていました。

ちょっと前は、首都高は走った距離分で値段が決まっていたのに、この改定は、すべて統一金額のようです

外環も首都高も、走った距離の料金ではなく、すべて統一料金となったみたいです。

なので、短い距離しか高速使わない人は、かなり損するような感覚になりました。

昨日は、私の家から築地本願寺まで片道の高速代だけで4430円。

往復だと8860円もかかってしまうことを知り、驚いてしまったわけです。

もう首都高使えないな。車で行くなら、練馬から一般道だな!と思った次第です。

何かを体得する為には10年かかる。

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おはようございます。住職です。

今年に入り、私は自分が果たすべき役割について、ようやく気付かされたのです。

これまで、自分がこの世界に生まれてきて事に対して、果たすべき役割があるなどと考えたことも

ありませんでした。

ここ数年、私が色々と教えていただいている先生が複数おられるのですが、その先生達から、上記のような

果たすべき役割について、色々と指摘されたり、問われたり、考えさせられるような刺激を与えてもらった

わけです。因みに、この複数の先生は、お互いを知りません。まったく別で関係ない方。

これまで、そんな事など全く考えたこともない私(たぶん、多くの日本人はそんなこと考えたこともないの

ではないでしょうか。そんな教育受けたことないし)でしたが、そんな事を刺激を与えられ続け、問いただ

され続け、指摘され続けてくると、悩みに悩むこととなります。そんな状態が数年ありました。

これまで、私は経営という事についても少しだけ学んできたので、例えば西照寺の理念として、何を果たす

べきか?お寺がどうあるべきか?など考えてきたことはあります。でも、それは私個人についてのものでは

ありません。西照寺というお寺ということだったわけです。

それなので、西照寺がどうあるべきか?などと考えてみても、なかなか答えなんてでなかったわけですね。

西照寺の理念を考えることだけでも、これまた、数年かかっていました。

因みに、時間的系列を言いますと、最初に西照寺の理念について悩み数年かかりました。私が40歳頃になる

まで悩み続けました。でも残念ながら、明確な結論は出せず。そのまま、どうしよう。と悩み続け、

そんな最中に、複数の先生との出会いがありました。一人の先生は5~6年ほど前に出あいました。

もう一人の先生は、4年前に出あいました。

特に、この2人の先生は、お互いを知らないんだけど、私に教えてくれるある部分で共通しているものがあ

りました。それが、私が果たすべき使命を考えろ!との事でした。

最初は、何を言っているのか、さっぱりわからず。むしろ、人間がこの世界に生まれて来るのは、別に何か

を果たすために生まれ来たわけではないだろう。そもそも、例えば生まれる前に神様か何かいて、私に

地球に生れたら、〇〇を果たしてきなさい!などと使命を与えられた記憶もないし。

むしろ、たまたま生まれてきただけじゃん。などと考えていたのです。

それなのに、先生達から、何度も何度も同じような事を問われ続けるうちに、う~ん。と。

仕方が無いので、私の考え方を変えてみることとしました。

人間、どのように考えるか、あるいはどのように物事を受け止めるか、などはそれぞれの自由です。

だから、考え方を変えてみることを敢えてやってみたのです。

私は何を果たす為に、この世界に生れてさせてもらったのだろうか?と。

でも、私にしかできないことなど、ないのでは? 私はそんな特別な能力をもっているわけでもないし。

むしろ、そもそも私は劣等生だったんだから、私にしかできないものなどあるわけない。 

などと自分を卑下するような考え方の方が顔をだしてきました。

しかし、それでも尚、先生からは問われ続けるので、他人がどうこうよりも、自分的にどうなのか?

何ができて、何ができないのか。何に興味があり、何に興味がないのか。などなどに思いが向いていきまし

た。

その後、ある有名な社長の本を読んでいたら、会社創設時、自分が何をしたいのか、周りの社員にコンコン

と伝え、想いを伝える事が重要であったとの事を知りました。

この本を読んだ時、先生達から言われていたことと相まって、私は自分の気持ちに向き合うようになりま

す。

私はこれまで10年ほど、お寺は何をするべきなのか?など、悩みに悩み続けてきたのです。つまり、お寺の

理念作りに悩んできました。結局、お寺の理念は明確化できなかったのですが、ただ、相当悩んだこともあ

って、そこには自分なりの想いなどもあったのです。

そこで、これまでの自分の気持ちを振り返ることで、なぜあの時あのように思ってたのだろう?と、

今年になって、始めてこれまでの自分の思いや考え方などを振り返ることとなったのです。

そうしていたら、自分の考え方の源泉にたどり着くこととなりました。

そこで納得できたことは、自分には自分の人生の歴史があって、その歴史こそが、今の自分自身なんだな。

という事でした。そうしたら、他人と比べても仕方がなくて、私は私なのだ。と思うようになりました。

つまり、私の人生は私しか歩んでいないわけなのです。

その時点で、他の誰でもない私となります。

そんな私は、この世界の為に何を果たすべきなのか?

そのように考えてみた時、自分なりの答えがでてくるのだと思わされました。それがきっと使命なのです。

自分がこの世界に、何を成し遂げる為に生れさせてもらったのか?との使命は、勘違いでもいいでしょう。

本当はそんな使命などないのだけど、私が勝手に勘違いして、使命があるんだ!と受け止めたっていいと思

うのです。

勝手に自分なりの使命をが創り、そこに人生かけて突っ走ることができるんだから、それでいいのです。

きっと幸せだと思うのです。なぜなら、一生懸命に生きようとするから。

今年になって、私は自分の使命をやっと見つけだすことができました。先生達に感謝しています。

そして今、その使命を果たす為にできる事を進めている段階にあります。

本当に、ここまで来るのに悩みに悩んで10年かかりました。

そういえば、仏教を学び、落ち着くまでにも10年ほどかかっています。

猛勉強して、仏教が何を言っているのか、心で納得するまでが約2年。

そこから浄土真宗の教義を学び3年。

その後、学生を終えてから、社会に出て、社会の中で教えを咀嚼するのに、5年ほどかかりました。

そう考えると、私の体感からの感想ですが、何かの分野で一生懸命頑張って、ようやくそこに納得できる

ようになるまで、つまり基礎が身に染みるまでには、10年はかかるのですね。ちゃんと努力してです。

自民党は、しっかりやって欲しいと思います。岸田総裁の聞く力はどうなっているのでしょう?

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こんばんは 住職です。

酷暑の暑さも、若干弱まってきたようにも感じています。

8月も下旬に入りました。

それにしても、自民党議員と、旧統一教会の話題は今なお継続中。

さらには、安倍元首相の国葬やコロナ問題、あるいは旧統一教会問題なども関連したのか

内閣改造直後にも関わらず、支持率はむしろ下がってしまいました。

確かに、私個人的な印象ですが、新たな内閣で目を引くような改造ではなく、報道によると

派閥バランスを重視したものだと伝えられ、結局何がしたいのか?よくわからない感じなのだと

思っています。

さらに、旧統一教会との関係をあやふやにしつつ、最近だと萩生田政調会長が取り上げられ、

旧統一教会の幹部と、かなり深い友人関係になっているとの報道までされていました。

また、メディアの質問に対し、萩生田氏の応答が苦しい言い訳となっている事案なども絡め、

自民党(岸田総裁も)と旧統一教会との関係は断絶できない関係なんだ!との事が、国民に伝わってきてい

ることも、支持率が下がった要因になっているのでしょう。私でさえ、すでに呆れています。

このような関係を認める政党に、今後は投票しようと思えなくなります。だって、裏で何やっているのか

わからないし、何かやっていても、すぐに誤魔化しや言い訳で乗り切ろうとする議員が、自民党には

たくさんいることがわかってしまったから。もはや、信頼の問題になってきたように思えます。

結局、政治も議員は自分の都合で動いてて、問題が起こっても、国民と向き合おうとしてくれません。

正直、日本国が経済でも何でも良くなる期待感さえ持てず、このままジリ貧になっていく、弱体化していく

だけの時間を待っているだけなように思います。

嫌なことがありました。

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こんにちは 住職です。

中々大変なことです。終わった事なのに、問題がぶり返される。こんな経験はありませんか?

それも、相手側のチェック漏れによる問題ぶり返しなので、こちらとしては、フラストレーションがたまり

ます。もちろん、人間ですから間違いはあります。私も間違ってばかりです。だからこそ、お詫びが大事で

す。

最初の一言がお詫びから入るのであれば、私も納得いくのですが、でもなぜかそれが無く、チェック漏れ

の説明があり、こちらの出方を見られました。

正直、私も僧侶ですが、このような態度にはムッとします。

本来であれば、こちらとしては突き返しても問題ないレベルだと私は思います。

既に契約は執行済みですから。

しかし、ルールに則ることは大事なので、不備が見つかったのであれば、訂正したいとは思います。

ただし、先方のチェック漏れ、いわゆる危機管理不足によって、こちらが提出した物は通ってしまっている

わけで、すでに1年前に契約は終わり、事態は執行済みなのです。

そんな中で、今更資料に不備が見つかり・・・との事で、今日業者の人が説明に来られたのです。

私も説明を聞いて、内容を把握したのですが、道義的に一言目からお詫びの言葉から始まって欲しかった。

こちらの出方を見ておられたわけです。ここら辺が、先方の側の社風が感じられます。

だから私も不満を述べました。論理的な不満であり、感情的なものではありません。

そうしたら、本当におっしゃる通り、ごもっともなのです。

全くこちら側の責任で、誠に申し訳ございません。とお詫びが。遅いよ。 

私が不満を述べる前、この説明を始める前にお詫びからだよ!と内心思いました。

やっぱり業種によって、それぞれの社風というのか、常識が違いますね。

私は今回の件に関しては、人としてどうなのだろう?と正直思います。

自分達のミスが招いた資料不備、それを説明し、こちらが納得する様ならお詫びしなくても。。。

そんな姿勢が感じられたので、それがとても嫌でした。

私が論理的にオカシイでしょ!と不満を言ったら、自分達のミスを認め、お詫びの言葉が。

しかし、それでは遅いのです。私はミスがあったならば、それはそれで仕方がないと思うし、

その上で、解決策を考え、協力できる部分は協力しようと思います。

でも、そんな態度でこられたら、動きが鈍りますね。

おそらく、今日の内容であれば、怒り出して、追い返すような人がいても全然不思議ではありません。

そこはまぁ、僧侶として、こちらの不満を伝え、事後で意味がないんだけど、なるべく書類に不備がない

ように整えなおさないといけないと良心が働き、なおかつ、先方の説明者も、上層部と私との板挟みとなり

大変になるだろうと思ったので、出来る限りの協力はするように伝えました。

それにしても、どんな仕事をしているんだか。信頼できなくなってくるって。トホホ。